貴方だけが消えてしまえば
花神楽高校は放課後を迎えていた。生徒の多くは帰宅の徒についたか部活に向かい、教室はほぼ無人の状態だ。そこに、一組の男女の生徒がいた。男の方は一心に机に向かい、女の方は前の人の椅子に座ってその様子を見ている。
「対角線の角度は同じってのは知ってんじゃん? じゃあそことここ一緒じゃん?」
「えーっと…ここがこうなる、のか?」
「そうそう。あとはさ、四角形だったら角の角度の合計分かるじゃん?」
「あ、あー! こうか!」
「よくできましたー!」
「よっしゃー! マジ助かったー! サンキュースロワ!」
「どーいたしまして! …でも灰花ホント飲み込み早いよねー。数学苦手なの信じらんないし」
「そうか? 誰だって苦手なもんくらいあるよ」
「ね、じゃ次ウチの英語手伝ってくんない?」
「もちろん」
男女、宮下灰花とスロワ・エリクソンはテストに向け個人勉強の真っ最中であった。特に灰花は出席日数がギリギリで、テストでいい点数が取れなければ卒業の危機さえある。進学にも不利になるだろう。数学に自信がない灰花が、数学が得意なスロワに相談したのが事の発端である。スロワも苦手な英語を灰花に教えてもらおうと思っていたため快諾した。
鞄からスロワが教材を取り出している間、灰花はふと外に目を向けた。部活の賑やかな声が聞こえてくる。と思っていたのだが。何か様子がおかしい。
「スロワ…」
「ん?」
「何か、外おかしくねぇか?」
「え?」
よく集中して聞いていると、悲鳴のようなものが混じっている。その発信源は外ではなく、校舎内だ。校内で何かが起きている。
「スロワ」
下がってろ、と言いかけた瞬間、教室の扉が勢い良く開き、誰かが飛び込んできた。
「…! くるさん!?」
灰花は我が目を疑った。確かに今日兄弟共に学校を休んでいた。兄の方は事情を知っていたが、弟は知らなかったので少し心配をしていた。だが、その弟の方が、こうして突然自分の目の前に現れるなど、想像もしていなかった。しかも、服や顔を血のような赤黒いもので汚し、手にはナイフを持っている状態で、などとは。
「く、くるさん…どうしたんですか? 一体何が…?」
「………見つけた…」
「え…?」
「宮下…灰花……っ!!」
手にしたナイフを振り上げ、机を弾き飛ばしてくるは突進してくる。灰花は驚きながらもそれを一度は避けた。
「くるさん! どうしたんですか!? 落ち着いてください!」
「うるさい…っ!!」
机を乱暴に押しのけながらくるは再び向かってくる。ナイフを振り回しているため灰花は近付くことができない。かといって背を向けることもできない。ただ、くるをじっと見つめ、呼びかけることしかできなかった。
「何があったんですか? くずはさんは…?」
「その声でくず兄のこと気安く呼ぶんじゃねぇ!!!」
くるは怒りに任せて机に飛び乗り、ナイフを掲げ、灰花目掛けて飛び降りた。灰花が身構える。と、同時に。
何者かが横からくるにぶつかった。くるの身体は空中でバランスを崩し机の中に飛び込む。派手な音が教室を木霊した。
スロワだ。掃除用の箒を持ってくるに体当たりしたのだ。
「スロワ!?」
「アンタ死にたいの!? あっちはナイフ持ってんだよ!!?」
「そんなこと言ってもやりすぎだろ!」
「正当防衛だっつーの!」
そう言っている間にくるはよろよろと立ち上がっていた。まるで怒りに我を忘れ、痛みなど感じていないかのようだ。机がなぎ倒され広くなった教室をくるが駆ける。咄嗟に灰花はスロワを教室の扉の方へ突き飛ばした。その動きでナイフを避けきれず腕から血が飛んだ。
「灰花!」
「大丈夫だこんくらい! それよりスロワは逃げろ!」
「でもアンタ!」
「大丈夫だから! 行け!」
スロワはなおも何か言いたげな顔をしていたが、やがて何やら決意をしたような面持ちで教室を飛び出していった。