⑩
それから二人は明の家に、向かい、ひとときをゆっくり堪能した。
明の家は軽い武家屋敷風で、道場もあった。
明の話では親は海外住まいでいないらしく、家は閑散としていて、明一人にはもったいないくらい広かった。
もちろん武道場もあり、明は毎朝修行に励んでいる。
そして咲子と明がその仲になってからしばらく経って、明が見せたいものがあるからと言って、咲子を部武道場に誘った。
当然、咲子はついて行く。何の疑いもなく。
「ここだ」
二人が道場に入ると、明は迷わず歩いていき、床板を持ち上げた。なんとそこから地下に階段が伸びていたのだ。
「咲子。どうしてもおまえに見てもらいたいんだ」
「……な、なに?ここ?」
階段の奥から空気が飛び出してくる。咲子はこの臭いをかいだことがある気がした。
昔のことの気がする。
昔。
この言葉に思いつく語は一つしかない。
凜だ。
凜の匂いだ。
「何ここ。行きたくない。行きたくないわ」
「そうはいかない。来い」
咲子が逃げ出そうとすると、明は強引に腕をつかみ、抵抗をさせず、階下へと引きずりおろしていく。
「離して!行きたくない。もう思い出したくない!」
明は咲子をにらみつけ、咲子の腕が鬱血するほど握りしめる。
「ここだ」
明は階段を下りた先にあった、重い鉄製の扉を開け、中に咲子を引っ張り込みドアをがたんと閉める。
その先に待っていたのは――
「遥香……。どうして……ここに……」
部屋は予大学の教室くらいでなかなか広く、咲子は驚愕の色を浮かべた。
遥香がなぜここにいなければいけないのか。
そして、なぜ鉄格子があるのか。その鉄格子の中では五十人ほどの少女たちが蠢いていた。
「何……これ……?」
「見ての通りだ。俺はドラッグの密売人だ。お前の父親のようにな」
「……何……を……言っているの……?」
「お前に見せた力があったが、あれは超能力でもなんでもない。俺が作っているドラッグを花に振りかけただけだ。お前は幻想を見ていたんだ。おまえは俺に操られていた。俺に会ったその瞬間からな。おまえの気持ちも俺への思いも全部嘘だったんだ。」
「……嘘。そんな……ことって。まさか……あの電話も……」
「ええ。ごめんね。全部本当に嘘だったの。あなたと会った日から、私はあなたとおままごとをしてきたのよ」
「……遥香……なんで?」
遥香は上を向いて言った。
「明がしろっていったから。私もあなたと同じように騙されたのよ。でもどうしようもないじゃない。これは仕方がないことなのよ。だって私もあなたも明のことを愛しているのだから。
そう言えばあなたに言わなくちゃいけないことがあったわ。あの日、私とショッピングセンターに行った日のことよ。あなたが倒れたのは何でだかわかる?」
「何を言っているの……?どうして遥香……どうしてなのよ……」
「あなたが倒れたのは誰か心の知れた人間といっしょにいることで、あなたは昔の記憶をフラッシュバックしたの。あなたは私を友達だと思っていたのね。かわいそうに」
「そういうことになる。悪かったな。遥香」
「いいわよ。あなたの力になれたのなら」
黒田明は頷き、奥の方に歩いていく。
「そう言えばな」
明はおもむろに振り返る。
「俺はお前の父親の仕事を受け継いだんだ。偶然だったがな。だから喜んでいいんだ。お前の親はちゃんと天命を全うしていた。それがどれほど汚い仕事でもな」
そう告げ、明は奥へと歩いていき、ちょうど見えなくなったとき――
ほの暗い独房の中、何かが動く音がする。ぐちゃぐちゃと落ち葉を引く音だ。
「さあ紹介しよう。工藤凜だ」
「凜……?」
凜だった。髪をぼさぼさに伸ばし、病的なほど美しい肢体が車いすに乗って光の元へと現れた。
よく見ると、足が一本ない。
「おはよう。咲子。明、また友達ができたね」
「……友達……」
「そうよ。ここにいる人みんな私の友達なの。咲子、あなたも友達なのよ」
友達。そうだ。ここにいる少女たちはみんなドラッグに心身を犯されてしまっていたのだ。
凜はうなだれている咲子の前に来て言った。
「あなたの元を去ったのは、この足のせい。だってコンプレックスだったんだもの。仕方ないでしょ。本当に辛かったわ。こんなな苦しみ、わたしだけだよ、味わったのは。それとね、悪かったわ。確か私つい口が滑っちゃったみたいなの。ごめんね。ちくるつもりはなかったんだけど。許して。親友でしょ。
それでね、明は救ってくれた。私を受け入れてくれたの。だからあなたもまた友達になるのよ」
「……凜……騙していたの、私……騙されていたの……」
明は答えなかった。だがそれは明らかに肯定だった。
「こんなことって……こんなの……ない……。ああ……あ……ああああ……」
咲子は吐くように泣いた。
嫌な夢を見ていた。
もう取り返しはつかない。




