天下の織姫様が男に負ける瞬間って、なんかウハウハしますよね。
短冊なんか書いたのはいつぶりだろうか。
小学生の頃に、「竹を切る時、来年も誤ってかぐや姫様の首を刎ね飛ばしませんように」と願ってドン引きされて以来、一度も書いた試しがない。
7月になると、駅や市役所、スーパーのような人の多いところで嫌でも目にする笹の葉は、今年も、沢山の願いの重みで鬱蒼と生い茂っている。
皆、何をそんなに願う事があるのだろう。
ここ10年短冊なんか手にしなかったのは、単にトラウマだけでなく、『書く』という労力を押してまで得たい願いが無かったのもある。
そんな俺が、今、短冊を持っていた。
「ねぇおかぁさーん、ゲイってなぁにー? 」
人波の収まり出した19時のスーパーに、ゴッ、という情け容赦ない音がやけに鮮明に響いた。通りかかる人皆見て見ぬフリをする優しさのトゲを掻い潜り、ゲンコツ喰らった半泣き坊やが泣き出す前に、その親子は逃げていく。
そこで災いのタネを覗きに行きたくなる心理は、人として真っ当なものだろう。
『この世界の男が、全員ゲイになりますように アキ』
中々に味のある願いだ。
素晴らしい、ツッコミ所しかない。
そのステキな魔力に魅せられて、俺はゴミ箱に捨てようとしていた短冊を引っ込めた。
買い物すると無料でもらえる、ツルツルとした安物のプリンタ用紙。笹の下に設置された机には備え付けの筆ペンがあり、例に倣って拝借すると、案の定手が汚れてイラッとした。
俺は、短冊を例の公然猥褻罪の隣に括り付ける。
『どうしてそんな腐ってるんですか ヨシタカ』
翌日、それに返事が帰ってくる。
これは、今日7月2日から、笹の葉が取り払われる7月7日までに行われた、短いやり取りの物語である。
*
『うるさいわね! フラれたのよバカ! アキ』
『人類滅亡論ですねわかります。ですが安心しました、ヤケクソだったんですね。男と男が絡み合うのが大好きですとか書いてきたらどうしようかと思いましたよ ヨシタカ』
返事が気になる。
……早く仕事が終わらないだろうか。
俺の目の前には、隣の同僚のおよそ1.5倍量の包装済みギフト商品が積み上げられている。
仕事、という拘束された時間の中で行き場の無くなったアドレナリンは、俺の中で近年稀に見るスピードを叩き出していた。
別にアキと言う子に下心があるわけではない。ただ、なんというか…… 期待していなかったものに返事が返ってきた。これで、少しワクワクしてしまわない方がおかしいのでは無いだろうか。
「おお、もう終わったのか。今日はもうないから帰っていいぞ」、の上司の声にガッツポーズをしながら、俺は歩いて職場を出る。本当は走りたかったのだが、流石の俺にも羞恥心があった。
あのきわどいコメントに、ヤツはどう切り返してくるのだろう。
想像しただけでニヤニヤする。
扉が開くとむわっとした湿度の塊が俺の全身にぶつかってきて、どいつもこいつも地面に溶けてしまいそうになっている。俺は背中に当たる冷気が完全に閉ざされたのを感じると、一目散にスーパーへと走り出した。
一人、二人と追い抜かしていく爽快感。
もう何人俺の後ろに追いやったか分からなくなってきた頃。
お目当てのスーパーが見えてくる。
返事がなかったらどうしようか。
それはまぁその時だ、むしろそれが当然だ。自分の心のアフターケアも忘れない。
それなのに。
何故俺は、茫然と立ち尽くしているのだろう。
エコ調整27度の冷房が、俺の体を冷やしていく。
・・・ない。昨日俺が書いた短冊が。
一日の疲れが急に、体の芯まで押し寄せてきた気がした。
……そりゃそうだ、わりとアキという子と負けじ劣らずな閲覧禁止ワードを書いていた。従業員が撤去しない訳がない。
それでもどこかに返事が無いかと探し回るあたり、俺はなんて未練がましいのだろう。
そしたら。
『長ッ!! アンタこれ書いてて恥ずかしくないの? てかあの極太の筆ペンでプルプル手を震わせながらコレ書き切った様子想像するだけでマジ笑えてくるんだけどw てか返事返ってくるとかマジビビったんだけどw アキ』
『あと、あの短冊私が恥ずかしかったから私が回収しといたから。 アキ』
その隣には、『この世界の男が、全員ゲイになりますように アキ』、と書かれた短冊がそのままになっていた。
因みに、私は小学生の頃「首をはねるって漢字でどう書くの?」と先生に聞いてカウンセラ室に連れてかれました。