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クアットゥオル・シーズン  作者: 二郎
第5章 人々の生活
49/65

第48話 帝立スキエンティア魔法学園 フェイズ2

 真田はマリアンヌが淹れる紅茶を飲もうと、スキエンティア魔法学園に来ていた。

 部外者である真田が学園内をウロウロするのは体裁が悪いという事で、取り敢えず職員が出入りする玄関近くにある外部との窓口である事務室の前にいた。

 やはり外客を迎えるという場所という事もあり、焼き物の壺に鮮やかな花が活けていたり細かな金の刺繡が細工されている赤い絨毯が引かれていた。


 「来たのはいいが、この後どうするんだ。まさかこの格好のまま実験室にまで行くと言わないだろうな」


 「そこまで非常識ではありませんよ。もうすぐエステルが戻ってきますので、もう少々お待ち下さい」


 「そうか」


 真田は渋々といった様子でマリアンヌと一緒に待つ事にした。

 従者であるエステルはマリアンヌから事前に何か言われていたのか、ヘクセレイギルトの正面玄関で真田がマリアンヌと合流すると、一足先にスキエンティア魔法学園へと戻って行ったのだ。

 苛つきを抑えながら真田が待つこと数分後。


 「お待たせしました。お嬢様」


 一旦、離れていたエステルが戻って来た。その手には黒い衣服を持っていた。


 「ありがとう、エステル」


 エステルから黒い衣服を受け取ると、マリアンヌはそれを真田に見せるかのように広げた。

 それはスキエンティア魔法学園の校章が入った制服の上着だった。

 襟や裾、校章などの細部に至るまで人の手によって、丁寧に編み込まれた一品物だと一目でわかるような上着だった。きちんと手入れをしているのか、皺は見受けられなかった。また持って来たエステルの手には白いシャツ、黒と灰色のチェックのネクタイ、黒い革製のベルト、黒のズボンが今からタンスに入れるかのように丁寧に畳まれていた。

 真田は嫌な予感を感じながら、マリアンヌに簡単にこう尋ねた。


 「それをどうするんだ」


 返ってきたマリアンヌの返答もまた簡単だった。


 「決まっているじゃないですか。貴方が着るんですよ」


 その直後。

 真田は何もかも全てのものを放り投げて、一夜にして堕落した古代文明を滅ぼした神の雷を模した魔術トレノテンペストを放とうとした。

 だが本能と理性との本気喧嘩は、辛うじて理性に軍配が上がりユーテラス大陸に新たな川が出来る事は無くなった。

 真田は激しい葛藤を覚られないように平然とした顔で尋ねた


 「大体の予想はつくが、何でそれを私が着る事になるんだ」


 「それは騒ぎにならなようにする為ですよ。」


 何を当たり前の事を言っているんだというような口ぶりだった。


 「実験棟にある私の実験室までに行くには、学園内の廊下を通って行かなければなりません。しかも今は昼食の時間ですから大勢の生徒や教師の方々が行き交っています。もしそのままの格好で行ったら、生徒会長である私が一緒に居ても騒ぎになるのは確実です。それを防ぐ意味合いで、サナダさんには我が学園の予備の男子用の制服を着て貰います」


 真田は完全に予想通りのマリアンヌの答えに頭を抱えた。

 そして少しして真田は色んな事を諦めたかのような口調で、


 「他の生徒への一時とはいえ学園生活に影響が出るのは私としても不本意だ。物凄く嫌だが、その制服を着よう」


 マリアンヌから上着を受け取り、今にも睨み殺しそうなエステルから白いシャツ、黒と灰色のチェックのネクタイ、黒い革製のベルト、黒のズボンを受け取った。

 スキエンティア魔法学園の制服一式を受け取った真田は、マリアンヌ達が気付かない程のほんの一瞬だが、懐かしそうな顔がしたが、それも直ぐに表情の奥に引っ込んだ。


 「それで制服に着替えたいのだが、着替える場所は何処だ」


 「着替え場所でしたら、そこの部屋が倉庫となっていますのでそこでお願いします」


 マリアンヌが示した方向には1つの木製の扉があった。

 真田が着替えようとその部屋に向かい、その数分後。

 スキエンティア魔法学園の制服に身を包まれた真田が出て来た。

 真田は歩いていて、ほんの微妙な窮屈さを感じていた。


 「(見栄えを重視した衣服だから、ある程度は致し方ないな。それに動きが求められるような事は起こらんから大丈夫だろう)」


 真田は納得させると、少し感嘆しているマリアンヌ達へと向かった。


 「へぇ、制服が似合いますね。何だか着こなしている感じですね」


 「私も此処に来る前に君達と同様に学校に行き、似たような服を数年間着ていたからその名残だろ」


 「そうですか。ところで着ていた服はどうされたのですか。持っているようには見えませんが」


 「此処の人達に分からないように隠したから、気にする事は無い」


 「そ、そうですか」


 マリアンヌは曖昧な表情をした。

 色々な追及をしたいのだが、恩人にそんな事は出来ないので取り敢えず疑問を押し込めた。

 真田は嘘は言ってないなと内心ほくそ笑んだ。

 真田は制服に着替えるとノーシェバッカスを発動させ、亜空間内に私服を直したのだ。

 真田は黒と灰色のチェックのネクタイを慣れた手つきで、ボタンを覆い隠すように微調整をしていた。


 「よし、これでいいだろ。じゃあ実験室へと案内してくれ」


 「では実験室はこちらですので、付いて来て下さい」


 マリアンヌを先頭にエステル、真田と順に実験棟にあるマリアンヌ専用の実験室に向かって廊下を歩き始めた。


 

 魔法学園はお昼時もあってか実験棟と校舎を繋ぐアーチ型の屋根がある廊下には、近くにある食堂に行こうと大勢の生徒が行き交っていた。

 ある生徒は目的の料理を食べようと逸る気持ちが自然と足が速くなり、またある生徒達は今日は何を食べようか相談しながら楽しそうに向かって行っていた。

 マリアンヌについて行きながら、真田はさりげなく周囲を見ていた


 「(マリアンヌが言っていたように騒ぎはなっていないな。何時も着ていた服のままだと完全に異物扱いされていたと思うが、この制服を着ているおかげで一般生徒Aかお付きの人と思われているかもな)」


 完全に真田の想像通りだった。

 此処まで来るまで多くの生徒と教師にすれ違ったが、生徒会長であるマリアンヌに挨拶する生徒と教師はいたが、真田を気にかけるような素振りは無かった。

 一部の教師は見慣れない真田に怪訝な視線を送っていたが、多大な影響力を持つ公爵家の人間であるマリアンヌが居たので、問題にする事無くそのまま通過して行った。

 真田達は周囲の流れに沿って歩いていると、勝気な碧の瞳で腰まである三つ編みの女子生徒がマリアンヌに声をかけて来た。


 「会長、此方に居られたのですか。探しましたよ」


 「ごめんなさい。ヘクセレイギルトに頼んでいた物を取りに行っていたの。何か問題でも発生したの?」


 「いえ、昼食を一緒に誘おうかと思いまして」


 「そうなの、気持ちは嬉しいけど今日はごめんなさい。頼んでいたトゲトゲ草で早く傷薬を作らないといけないから」


 「いえ。会長のお考えは理解していますから、私の事は気にせずに薬作りに邁進してください」


 「ええ、ありがとう」


 「‥‥‥ところで会長」


 「何かしら」


 三つ編みの女子生徒の口調が変わった事に気付いたマリアンヌは少し警戒感を抱いた。


 「後ろにいる見慣れない男子生徒は誰でしょうか」


 三つ編みの女子生徒の射るような鋭い目が真田を捉えた。


 「この学園には色々な髪の色をした人が多く在籍していますが、黒髪は居なかった筈です。その男子生徒は一体何者でしょうか」


 「この方は私が独自で新しく雇った護衛の方です」


 「‥‥‥護衛ですか」


 三つ編みの女子生徒は胡散臭そうに真田を見ていた。

 そうマリアンヌが言う通り、今の真田の身分はマリアンヌの護衛となっていた。

 真田が学園内を歩き回っても唯一怪しまれない身分だと、マリアンヌが提案したのだ。

 それには真田は猛反発した。

 貴族が嫌いなのにその貴族を護衛するなんて、受け入れない事だった。

 よく日本の年末のテレビで見た体験入学の学生か実験器具を卸す業者にしてくれと真田は反論したが、それだと説得力が弱いという事で押し切られる形で護衛役になったのだ。

 三つ編みの女子生徒は少し腑に落ちない表情をしていたが。


 「‥‥‥そうですか。つまらない事を聞いて申し訳ありません」


 「いえ、本来なら事前に言うべきだったのを私の不注意で混乱させたしまったわ。此方こそ申し訳ないわ」


 「それでは会長、これにて。昼食は後日にでも」


 「ええ。その時を楽しみにしているわ」


 マリアンヌと三つ編みの女子生徒が別れようとしたその時だった。


 「これはこれは生徒会長。ご機嫌麗しゅう」


 その言葉とは裏腹に敬意など微塵も無く、見下しているように聞こえた。

 真田たちが声がした方向へと視線を向けると、そこには男子生徒が立っていた。

 真田と同じ位の背丈でショートの金髪。スキエンティア魔法学園の制服を着用している、学園に何処にでも居そうな男子生徒だ。右手の人差し指には黒い宝石の指輪をしていた。

 ただ真田たちがを見ている碧の瞳は泥のように濁っていた。

 エステルは口にするのも忌々しそうに呟いた。


 「お前はダニエル=ハリセイ」


 この男子生徒ダニエル=ハリセイは、学園では敵う者はいないとされていたマリアンヌを、全くの無傷で勝利をおさめた生徒だ。

 この珍事は瞬く間に学園内に広がり、ダニエル=ハリセイの名は一躍轟く事となったのだ。

 突然の2人の出会いに周囲の生徒達は足を止め、真田たちを中心に人だかりが出来た。


 「これはハリセイさん、ご機嫌麗しゅう。今からお昼ですか」


 「ええ。午後からも授業がありますからそれに備えて、胃袋を満たしておかないといけませんから」

 

 「それはそれは。午後からの授業、頑張って下さいね」


 「ありがとうございます。平民で一般生徒である僕が、貴族である生徒会長を打ち負かすという栄誉を汚すような真似は出来ませんから」


 真田はピシッと空間に罅が入るような音が聞こえた。

 それを端に真田たちの周囲の空気が急速なまでに重くなっていった。

 周囲の生徒達も引いた顔つきとなっていた。

 それを分かっているのか分かっていないかは定かでは無いが、ダニエルは能天気なまでに続けた。


 「いやぁ、余裕のある生徒会長が羨ましいですよ。平民である僕に負けたばかりだというのに男を連れているなんて。何処にそんな余裕があるのか御教授願いたいものですね」


 マリアンヌは何も言わずに握る手を強めるばかりだった。


 「それとも先日の模擬戦で僕に敵わないと判断されたのですか。それは大変な栄誉と同時に励みになります。学園最強と言われた生徒会長に勝てないと考えられたのですから、より魔術の腕を研鑽していかな‥‥‥」


 「黙れっ!!」


 掴みかかるかのような怒声でダニエルの言葉を遮ったのはエステルだった。

 ダニエルを睨むその瞳には激しい怒りが満ち溢れていた。


 「たかが1回、まぐれでお嬢様に勝ったぐらいで偉そうにするなっ!! どうせズルをして勝ったのだろう」


 いきなりの大声にダニエルはきょとんとしていたが、次第に太々(ふてぶて)しい表情と戻った。


 「いますよね。自分にとって認められない敗北をすると、いちゃもんをつける輩が」


 「何を!」


 「じゃあ、試してみますか。生徒会長を討ち破った僕の力がズルかどうか」


 ダニエルが右手を(かざ)すと同時にエステルは腰の短剣に手を当てた。

 2人から発せられる重く肩に圧し掛かる圧迫感が周囲の生徒達の本能を刺激し、輪を亀のような速度だが徐々に広がって行かせた。

 このまま両者が衝突を起こし、大勢の怪我人が出る大参事に発展するかと思われたが。


 「2人共、そこまでだ」


 真田の断ち切るには十分に威厳に満ちた声によって、この場を支配していた緊張感が風に流される霧のように霧散した。

 邪魔をされたエステルとダニエルは、真田を敵のように睨んでいた。


 「邪魔をしないで下さい。私はこのような無礼な奴を叩きのめさなければいけないのです!!」


 「僕もだ。このような生徒会長の後ろにいるだけの奴に馬鹿にされて黙っている訳にはいかない」


 「何を!!」


 犬歯を剝き出しにするかのように睨むエステルに真田は面倒臭いなと溜め息を吐いた。

 真田は口に出すのも億劫だと思いながら。


 「エステル、従者である君がそのような態度では駄目だろう。主人のマリアンヌが我慢しているというのに君が噛みつくような真似をするな。従者の振る舞いは主人である人間の評価に直結する。今の君がしている行為はマリアンヌの評価を貶める事となる。それは君にとっても不本意だろ」


 それを判断できるまでの理性は残っていたのか、エステルは渋々といった表情で短剣から手を離した。


 「君はダニエルといったな。どうやって生徒会長に勝ったか知らんが、(いたずら)に敗者を貶めるような真似は止めろ。それが勝者たる者の礼儀だ。あまり敗者を汚すような真似をすると周囲の者達から痛い目に合うぞ」


 ダニエルは見下すかのような冷たい微笑を浮かべた。


 「誰かは知らないが、生徒会長を破った僕に意見するとは身の程知らずだな。会長に気に入られているからって、いい気になるな。僕がその性根を鍛え直してやろう!!」


 不敵な笑みを浮かべるダニエルは右手の向きを変え、真田に向かって初級魔術ダークネスアローを放とうした。

 周囲のマリアンヌ達は突然の事態に何も出来ずに呆然と見ているだけだった。

 だが、ダニエルが呪文を唱える事は無かった。

 突然現れた槍の刃先によって、呪文を発する事が出来なかったのだ。

 真田はダニエルが唱える前に初心者講習の時に襲って来たグランデハバリーに引導を渡し、ありとあらゆるものを貫く事が出来るかのような直槍を出現させ、槍の刃先をダニエルの目と鼻の先に突きつけていたのだ。

 ダニエルは突然現れた槍の刃先を、身動き出来ないような恐怖に満ちた瞳で見続ける事しか出来なかった。

 マリアンヌを破ったとはいえ、実戦経験が殆ど無いダニエルにとって槍は恐怖そのものだからだ。

 マリアンヌ達は何も無い空中から突然現れ、伸びている槍に驚きのあまり言葉を失っていた。

 真田は感情が乏しい平坦な声で。


 「ダニエル。今の私は非常に気が立っているんだ、これ以上手間をかけさせないでほしい。もしかしたら間違いが起きるかもしれない。そして、もう1度言う。負けた者を過度に侮辱するな。いいな」


 ダニエルは目の焦点を刃先に合わせながら、小さいながらも確実に頷いた。

 真田はそれを確認すると直槍を亜空間へと収納した。

 死の恐怖から解放されたダニエルは緊張の糸が解れたのか、何処か焦点の合わない目でそのまま座り込んだ。

 周囲が真田へ未知の存在に感じるる漠然とした不安を募らせているのに対して、マリアンヌだけが違った感情を持っていた。

 

 「(サナダさん、貴方はやはり只者ではないのですね)」


 マリアンヌは熱病に(うな)されているかのように頬を赤らめて、何かを思い出すかのように瞼を閉じた。

 脳裏に映るのは自分の危機に颯爽と駆け付けた真田の姿だった。

 たった一振りで自分に襲って来た7匹のネーロウルフを倒してくれた。

 2回会っただけなのにまるで物語に出てくるかのようなか弱い姫を助ける騎士のように自分を助けてくれたのだ。

 後で助けて貰ったのはただの偶然だと分かったが、それが気にならなくなるぐらいまでに真田の事しか考えられなくなった。

 それに真田から漂う自由な風。

 何者にも縛る事を許さない強烈な風。

 貴族制を敷いている帝国の住人なら誰もが知っている暗黙の了解。

 特権階級である貴族には絶対に逆らわない事。

 逆らえば明日生きていけるかどうか怪しくなり、貴族の言いなりになるか自分達に飽きて何処かへ行くまでじっと我慢するか、平民達が辿る道はどちらしかなかった。

 ギルトである程度の地位や名声があれば、逆らう事も可能だ。

 だがそれは地位や名声がなければ、何も出来ない事を意味をしていた。

 真田はアハトという地位や名声が何も無い新人ランクにも拘らず、攫われたの同僚1人を助けるために、自分の人生を棒に振るかもしれない危機だというのに勇敢にも立ち向かい救出した。

 公爵家の人間である自分には到底できない事を真田は簡単に出来たのだ。

 だからマリアンヌは真田の事を。


 「‥‥‥長、会長、会長!」


 「はっ!?」


 自分の妄想に完全に入っていたマリアンヌは、糸に弾かれたかのように我に返った。

 周囲を覗うとエステルと三つ編みの女子生徒が心配そうに見ていた。


 「ど、どうされたのですか!?」


 「どうされたかじゃないですよ。何度も声をかけたのですが、何も返事を返されないので心配したのですよ」


 「そ、そうなの。それはごめんなさい」


 周囲の言葉が耳に入らない程までに自分の世界に入っていた事への恥ずかしさにマリアンヌは頬を全身の血が集まったかのように赤くして、愛想笑いで誤魔化した。

 マリアンヌはコホンと一区切りつけるかのように咳払いをした。


 「さあさあ、皆さん。これ以上此処に居ても致し方ありませんよ。料理人たちが腕に(より)をかけて作った美味しい昼食が食堂で待ってます。早く行かないと目的の料理が食べれなくなりますよ」


 マリアンヌの言葉に人だかりを作っていた生徒達は此処に来た本来の目的を思い出し、その足は食堂へと向かって行き、人だかりの輪は崩れて行った。

 人だかりが完全に無くなり、この場に真田達しか居なくなると三つ編みの女子生徒はある事に気付いた。


 「あっ! ダニエルが居ないです」


 「あら、本当ですね」


 呆然と座っていた筈のダニエルが居なくなっていたのだ。


 「会長にあんな事を言っておいて、謝罪をしないとは無礼な奴です。今度会ったら、叩きのめさなければ」


 三つ編みの女子生徒とエステルがダニエル打倒に気合を入れていた。よほど腹に据えかねているのか瞳に激しい怒りが宿っていた。

 マリアンヌは優しく窘めるように。


 「それはしなくても大丈夫わ」


 「それは何故ですか!? 公爵家の令嬢である会長をあそこまで馬鹿にしたのですから、懲らしめないと第二第三のダニエルが出てきますよ」


 「彼は私に勝った事で少し気が大きくなっていたのでしょ。人間何かの間違いはあるわ。それが今回なのでしょう。それにあのような者が言ったところでどうにかなる程、公爵家はやわでは無いわ」


 断言するかのように言い放つマリアンヌにエステルと三つ編みの女子生徒は羨望の眼差しで見ていた。

 真田はなんじゃありゃと半ば呆れた表情でマリアンヌ達を見ていた。


 「では会長、傷薬の製作頑張って下さい」


 「ええ、ありがとう」


 三つ編みの女子生徒が深々と身体を折るように礼をすると、昼食を取ろうと優雅な足取りで食堂へ行った。

 真田もマリアンヌの先導でマリアンヌ専用の実験室がある実験棟へと足を運んだ。



 実験棟と言っても何か特別な構造をしている訳では無く、建物はコンクリート製で白く、校舎より1階分高くだけで、内部構造は中央にある正面玄関をから伸びる各階へと通じる螺旋階段のフロアが建物を左右へと分けているだけだった。

 実験棟に入った真田はつき抜けるかのような螺旋階段のフロアの天井の高さに感嘆していた。


 「此処が実験棟ですね。と言っても授業で使う訳では無くて、放課後や空いた時間に生徒達が思い思いに薬品や簡単な魔法工芸品(アーティファクト)等を製作する場所ですね」


 マリアンヌの観光地にある観光案内所のような説明に真田は聞き流すかのように聞いていた。


 「サナダさん此方です。此方の方に私の実験室があります」


 マリアンヌは自分で指示した方へと案内するかのように先に行った。

 エステルもその後に続き真田も実験室に行こうと曲がり角を曲がろうとしたら、微妙だが魔力の余波を感じ取り足を止めた。

 不可解な事態に首を捻る真田は恐る恐る壁に手を触れた。

 すると薄らとだがコーティングするかのように壁に魔力が覆われていた。

 真田が感触を確かめるかのように壁をなぞっていると。


 「どうしたのですか、サナダさん。部屋は此方ですよ」


 真田の行為に不思議がるマリアンヌの手は、自身の実験室と廊下とを分ける木製のドアノブに置いていた。

 真田は壁から感じる魔術の構成を調べたかったが、専門家でも無く専用の機具も無い今の状況では完全に調べきれないと判断し、マリアンヌの所へと歩いて行った。

 マリアンヌとエステルは真田の行動に肩を竦めながらも、ドアを開けて部屋へと入って行った。

 案内された真田は実験室の広さや器具類の多さに興味深けな目で見回していた。実験室といっても所詮は学生の自由研究レベルだと高を括っていたからだ。

 広さは真田が泊まっている宿屋の部屋を全て繫げたかのような広さで、持ち主の性格を表すかのように整然としていた。

 部屋にはコの字に大人が8人一斉に食事が出来るような木製の大きなテーブルが3つ置かれ。その上には最新のガラス製で円柱型の白い目盛りがあるビーカーや丸底フラスコ等のガラス器具、素材の分量を量る天秤と銅製の分銅、使用目的がよく分からない真田の背丈とほぼ同じ茶色の円柱型の筒が置いてあり、部屋の所有者が使いやすいように使用目的ごとに置かれていた。

 また窓に近くのある一角は、コーディネートに失敗した装飾品のように異彩を放っていた。

 私物なのか実験室には無縁なと思われる座面にフカフカの羽毛が入っている赤いシルクの布が貼られている肘掛付きの椅子2つ。それらに挟まれるかのように丸いテーブルが1つに本が隙間なく置かれている本棚があった。

 そして煉瓦によって組み上げられた簡単な炊事場には、高級そうな花柄が描かれている白いティーポット、同じ花柄の白いカップとその受け皿であるソーサー、茶葉を保管する木箱などの紅茶一式が置かれている棚があった。

 部屋の奥ではエステルは光を取り込もうと、閉めていた複数ある四角い木の窓を開けていた。

 真田はこれは実験室と云うより小さい子供が作る秘密基地に近いなと思った。


 「この部屋と道具を1人で使っているのか。凄いもんだな」


 「それだけ学園の期待が大きいという訳ですよ」


 「どういう事だ?」


 マリアンヌは分からない問題を前にした生徒に教えるような教師のような丁寧な口調で。


 「スキエンティア魔法学園では希望する成績が優秀な生徒に対して、様々な優遇措置が取られています。例えば学園の図書館や帝都にある中央図書館の一般では閲覧禁止の本が読めるようになったり、サナダさんがトゲトゲ草を取ってきたようにヘクセレイギルトを経由してアヴェドギルトに依頼する時にはその依頼金の何割か負担してもらえるのですよ」


 「それは平民の生徒なら助かる優遇措置だが。公爵家である君には然程必要の無い措置では無いのか」


 「それはそうなのですが、今の私はスキエンティア魔法学園の生徒マリアンヌ=カノーヴィルにすぎません。その一生徒が公爵家の権力を使うなんておかしな話でしょ」


 「それもそうだな」


 真田が納得するとマリアンヌは心が満ちていくのを表すかのように嬉しそうに微笑んだ。

 それを見ているエステルは人知れずに何とも形容しがたい妙な表情をしていた。


 「話を戻しますが。優遇措置の最大の利点は、普通ならば実験棟の部屋を使う時ですら複数の生徒達がグループを作って、道具も共有して使わないといけないところを、このように広い実験室に最新の実験道具を1人で使えます。ですので伸び伸びと自分の研究課題を出来るのです!」


 優遇措置の有利性を政治家が演説しているかのように自信満々にマリアンヌは力説していた。


 「また条件は厳しく、その分野の成績が優秀である事。研究課題に意欲がある事。部屋を貰えたとしても半年に1回、研究課題の成果を学園に報告しなければならず、それで不合格と判定されたら部屋を他の人に明け渡さなければいけません」


 「はあ、厳しいねぇ。私には到底無理そうだな」


 「でも、それをするだけの価値はあります。実験室保有の生徒が学園を卒業すれば、エリート中のエリートである皇帝陛下直属の宮廷魔術師として召し抱えられ。そうでない生徒でも魔術師団やヘクセレイギルトの幹部候補生の道が開かれます」


 「じゃあ君はその未来のエリート達のトップに立つ存在という訳か」


 「ようやくお嬢様の偉大さが分かったか」


 答えたのはマリアンヌでは無く、エステルだった。全く関係の無い筈なのだが、まるで自分の事のように自慢げに言った。


 「お嬢様はそれを入学当時から途切れる事無く、特待生として学園のトップに君臨し続けているのだ。それは公爵家の威光は関係無く、幼少期からのお嬢様御自身の努力によって得られたものなのだ。加えて栄えある公爵家の御令嬢として完璧な振る舞いをされている。本来ならばお前のような者がお目通りになる事すらない高貴な方なのだぞ!」


 心の底からそう思っているのか、言葉は乱暴だがエステルのマリアンヌに対する熱い思いが十分に孕んでいた。それほどまでに真田のマリアンヌに接する態度が許せなかった。

 しかしそれが相手に伝わるかは別問題なので、真田は興味の対象外なのか夢から覚めたかのような半目だった。


 「あっそ。‥‥‥生徒会長さん、そろそろ紅茶が飲みたいのだ」


 「今から紅茶を作りますから、あの椅子に座って待っていてください」


 マリアンヌが指し示した方向には、休憩用のテーブルセットが置いてあった。

 マリアンヌが紅茶を淹れようと簡易炊事場に行こうとしたが、呆けていたエステルが直ぐに我に返り待ったをかけた。

 エステルは真田から少し離れ、マリアンヌしか聞こえないような小声で話しかけた。

 

 「何をしているのですか、お嬢様。紅茶は私が淹れますので、椅子に腰かけてお待ちください」


 「いいのエステル、ここは私にさせて。客人をもてなすのは家人の礼儀でしょ」


 「ですが、お嬢様自らする事ではありません。お父上である公爵様や皇族の方々なら分かりますが、あんな平民で粗暴な冒険者にお嬢様が自らせずとも私が」


 「‥‥‥エステル」


 即座にエステルの身体は硬直し、背筋には冬の冷気のような戦慄が走った。

 本能がマリアンヌの氷がまだ温かいかのように思える程の冷たい声に即座に反応し、この後はどうするべきか脳の処理能力を超えた事態に次の行動が動かせずにいるのだ。


 「(この声は私の記憶が正しければ、お嬢様が初等部に在学されていた時に御学友が悪ガキ共に虐めを受けていた時に助ける為に発せられた時の声)」

 

 エステルは思い出していた。

 悪ガキ共がその後どうなったのかを。

 このままいけば自身に降りかかる災いを想像し、エステルは知らずの内に息を呑んだ。

 此処には自分しか居ないのではと認識させるかのような静寂の後、エステルは恐る恐る口を開いた。自身の敗北を知らしめるかのように。


 「わ、私もお嬢様が淹れた紅茶が飲みたいです」


 マリアンヌの表情は外とはかけ離れた夏の太陽のような満面の笑みを浮かべた。


 「そうなの。じゃあ3人分を作らないといけないわね」


 軽い足取りで紅茶を淹れようと簡単な炊事場にマリアンヌは向かって行った。

 その後ろ姿を見ていたエステルは、何か言いたげそうな顔だったが諦めたのかがっくりと項垂れた。


 マリアンヌが紅茶を淹れようと作業している間、手持ち無沙汰の真田は特にやる事も無いので、机の上にある実験道具類を見て回っていた。

 用途別に置かれている液体を計量するビーカー、物を挟むピンセット、材料を()り潰す白い乳鉢と乳棒などの実験道具が、まるで展示物のように丁寧に置かれていた。


 「(科学と魔法。どちらかの文明として発展しきってないから、このような中途半端な道具類しか出来ていないのだろうな。どちらかの文明として成熟すれば、このような道具類は骨董品扱いになるのだろうが)」


 真田は時代とともに消えて行く道具たちに思いをはせながら机の上を見ていた。

 すると左端の上を錐のようなもので開けた穴に黒い紐を通した紙の束があった。

 真田は何気無しに紙の束を手に取った。


 「これは‥‥‥」


 「それはお嬢様が作っている、傷薬の製作方法及び使用効果に関するレポートよ」


 真田が声がした方を見るとエステルが立っていた。マリアンヌの精神的な威圧の多大な影響に表情は憔悴しきっていた。


 「傷薬の製作?」


 「ええ。貴方が取って来たトゲトゲ草は、お嬢様が作ろうとする傷薬の基本素材。安価な傷薬はトゲトゲ草から作れるけど、効き目がより効果的な傷薬は違う素材で作られている。でもそれは材料が希少なもので高価な物だから、庶民は手を出しずらいわ。それでお嬢様が簡単に入手出来るトゲトゲ草で、効果的な傷薬を作ろうとしているのよ」


 「ふーん。要は安価で大量生産が出来る薬を作ろうとしているのか。頑張るねぇ」


 真田はレポートを細かく目を通していた。

 その紙には使用日時、薬の材料と液体の配合率、使用者の傷の程度、その経過が書かれていた。

 真田は違和感を感じ顔を顰めながらレポートを捲っていた。


 「一般国民の事も考えているとは、公爵家の令嬢らしく御立派な事ですな。生徒会長さん」


 「もう、サナダさん茶化さないで下さいよ」


 マリアンヌは恥ずかしそうにそう答えた。しかしその声色に嬉しさが混じっているのは気のせいだろうか。

 マリアンヌは胴体が円柱形で注ぎ口が細長い銀製のやかんに水系の魔術で新鮮な水を3人分を注ぎながら。


 「効果的な傷薬が高価である事もありますが、1番の要因はカドモニアの森に住むエルフの方々との交易で持たされた薬ですかね」


 真田は思いがけない単語に声が出そうになったが、寸でのところで口を塞ぎ言葉を呑み込み事なき事を得た。

 近くに居るのだが消沈して落ち込んでいるエステルと紅茶の用意をしているマリアンヌが真田の様子の変化に気付く事は無かった。

 マリアンヌは鉄製の輪っかを3本の柱で支えている道具に銀製のやかんを置いた。

 そして簡単な魔法陣を書いた紙の上に短い薪を放射線状に置き、何かの呪文を小さく呟くと魔法陣にマッチを数本合わせたかのような火が出現した。

マリアンヌはティーカップを人数分を用意しながら。


 「エルフの方々の薬は確かに良く効く薬です。今まで医者が匙を投げていた病気が治るようになり、人々は日々の暮らしを謳歌できるようになりました。‥‥‥ですがそれは貴族や大商人といった一部の特権階級の人間だけです」


 手を休めてマリアンヌは開かれた窓から見える楽しそうに話しながら中庭を歩く生徒達を、何かを思い出すかのように目を細めて見ていた。


 「最初は一般にも出回っていたらしいのですが、薬が効くと分かると特権階級の人々が薬を独占し始め、必要な人に法外な値段や効果がギリギリ見えるまでに少なくした薬で売りつけたりして、市井の民は薬の恩恵を受ける事は出来なくなりました。ですから私はそれを無くすためにエルフの薬と同レベルの薬を作ろうとしているのです」


 「‥‥‥御立派な事で」


 真田は呟くかのように言った。

 それには先程までの少し馬鹿にするような色合いは無く、少し認めるかのようなものだった。


 「それにエルフ製の薬に依存しているという事は、命をエルフの方々に握られているも同然。帝国としてはそれでは駄目ですので、それを打開したいという思いもあります」

 

 何かを思い出したのかマリアンヌは周囲を覗うと、開いていた窓を全て締め切っていた。

 真田はともかく従者のエステルですら、突然のマリアンヌの行動に付いて行けずに呆然と成り行きを見守っているしかなかった。

 マリアンヌは暗くなった部屋を明るくしようと、照明用の魔晶石に衝撃を与え部屋を明るくした。

 そして今から重大な事を伝えるかのように真剣な表情となった。


 「それと機密事項なのでまだ一部の人間しか知りませんが、長年してきたフィルド帝国とエルフの方々との交易は今は無期限の停止となり、エルフ製の薬は事実上入手不可能となっています。どうやら交易を委託した商人デラーが、何かしらの思惑に乗って巫女であるソフィア様を人質に取った所為で」


 「おいおい、そんな事を私に言って大丈夫なのか。私がポロッと口を滑らせて言ってしまうかもしれないのだぞ」


 「それは大丈夫です。サナダさんが私の見立て通りの人物なら、口外する事は無いですから」


 さも当たり前のように自信満々にマリアンヌは言い切った。数度しか会ってはいないが真田を信じられる人物と思っているからだ。

 真田はチッ!!と、大きく舌打ちをした。

 マリアンヌから信じられるような事をした自分に苛立ったのだ。


 「それもありますが、この事はサナダさんにぜひお聞きしたと思いまして」


 「私に聞くような事なんてないと思うが」


 「それがそうでもないのですよ。交易の無期限の停止を伝えに来たエルフの大使の方から、デラーを捕まえ巫女様を救出した人物を聞いたのですよ。その方はエルフでは無く人間で、黒髪の少年。‥‥‥その名はサナダと」


 マリアンヌは勿体ぶるかのように呟いた。

 耳に届いた思いがけない人物名にエステルは真田を思わず二度見してしまった。

 マリアンヌは探偵が犯人に確信を思って自分の推理を突きつけるかのように。


 「貴方も髪は黒で、家名はサナダですよね。私はこの出来事には貴方が一枚噛んでいると睨んでいるのですが、どうなのですかサナダさん」


 真田は答えずにレポートを見ている振りをしていた。

 どう答えればこの局面を無事に乗り切れるか考えるのを覚られないようにしていた。


 「(交易をしていた所に居るのだから、少なからずとも当時の状況が伝わってくるとは考えていたが、それを知るのが予想よりも早いな。やはり政治の中枢にいるような人物と一緒に居るせいか)」


 真田は考えがまとまったのかレポートを置いた。


 「どうなのだろうな。前に居た国では少年で黒髪の真田なんて人はそこら辺に居たからな。もしかしたら違う真田という人がその場に居たかもな」

 

 神樹カドモニアの巫女が人質になるという前代未聞の大事件を解決に導き、その当事者である真田はしれっと嘘を吐いた。

 嫌いな奴に嘘を吐いても後味は悪くならないんだなと真田は改めて認識した。

 どう考えても無理がある返答にマリアンヌは、一先ずは納得したような顔をした。

 確証は無いが真田は嘘を吐いていると。しかも重大な事を隠している。

 勘というべき第六感がそう囁いていた。


 「その可能性も否定出来ませんね。私は現場を見ていませんから」


 「そういうこった。考えてどうしようもない事は考えるだけ無駄だ。やれる事をした方が建設的だ」


 「それもそうですね。失礼な事を聞いて申し訳ありません」


 此処で無理に言わせようならば真田が不機嫌となって、事件のあらましを聞き出せなくなってしまうのを回避する為に敢えてここは取り敢えず納得する事にした。胸中では何時か聞き出してみようと固く誓った。


 「気にする事は無い。‥‥‥それよりも実験段階で作った薬の効能の評価はどうしているのだ? まさか実験動物を自分で傷つけて、その効果を確かめるじゃないだろうな」


 「実験動物? 何を言っているのですか。人に使う薬ですから人で試さないと効果が分からないじゃないですか」


 マリアンヌは殊更に不思議そうな顔をした。人の薬を作るのに何故動物を使うのか理解出来ていないようだ。

 真田はこの世界の住人でない事が分かるような不用意な失言に顔を歪めたが、マリアンヌ達はきょとんとした顔で見合わせるばかりで意味を理解してなかった。


 「私が作っているのは傷薬ですから、帝都の治安を守る騎士団の方々は毎日傷が絶えないと聞きましたので、騎士団の方々に頼んでいます。‥‥‥あっ、勿論、少ないですがちゃんと協力者には謝礼は支払っていますよ。任務外の事をさせていますから」


 「それで進捗状況はどうなんだ。レポートを見る限りじゃあまり芳しくないようだが」


 ここにきてマリアンヌの表情は曇った。どうやら1番直視したくないところを真田につかれたらしい。

 マリアンヌは今までの苦労を思い出すかのように難しい顔をした。

 最初は順調に薬のデータを集め、それに基づいて薬の製作を行っていたが。ここ最近はスランプに入っているみたいで、同じ性能の薬を作り続ける毎日だった。


 「そうなのですよ。目標までもう少しだと思うのですが、そこまで中々到達出来ないみたいで」


 マリアンヌの弱気な発言に部屋の雰囲気が重たくなっていく中、真田は誰にも聞こえないようにボソッと呟いた。


 「そりゃあそうだろ。医学、薬学などの知識が圧倒的に不足しているからな」


 「‥‥‥何か言いましたか、サナダさん?」


 「いや。‥‥‥それよりお湯の方は大丈夫なのか」


 「えっ!?」


 真田の注意に何かを思い出したマリアンヌは、沸かしている円柱形のやかんへと首を痛めるのを気にせずにすぐさまに視線を動かした。


 「ああ、温め過ぎている!」


 マリアンヌは何度も激しく蓋が音を立てて動いているやかんに慌てて桶に入っている水を汲んで温度調節をしていた。

 真田は大丈夫なのかと、自身の不安を表すかのように溜め息を吐いた。


 数分後。

 マリアンヌは窓側に置いている丸テーブルにまるで使用人が主人にお茶を出すかのように受け皿であるソーサーを3つ静かに丁寧に置いた。


 「はい、紅茶が出来ましたよ。今私が出せる最高の紅茶です」


 マリアンヌが置いた各ソーサーの上には紅茶特有の橙赤色の液体が入った其々のティーカップが取りやすいように置いていた。

 弱弱しい陽光に照らされた紅茶は茶葉を丁寧に()しているのか、まるで熟練の職人によってカットされた宝石のように輝いていた。

 何とか何時もエステルに入れて貰っている紅茶の温度に戻したマリアンヌは、茶葉を計量しながら磁器製のポットに入れ、お湯を蒸らすように全体的にかけると数分おき、茶葉こしで余計な茶葉が入らないようにした。

 真田は感心したように何度も頷いていた。


 「へぇー、貴族の御令嬢は紅茶を淹れられるのだな」


 「これぐらいは貴族の嗜みですよ。家族や友人、大事なお客様には自分で淹れた紅茶を振る舞いますから。‥‥‥サナダさんは此方の椅子にお座りください」


 マリアンヌは真田に対面の座るように促した。エステルが高級ホテルのスタッフのように椅子をずらしていた。

 エステルは一見笑顔に見えるのだが、その奥から凄みを感じさせるかのようなプレッシャーが放たれているのを真田は感じ取っていたが気付かないふりをした。

 

 「私は紅茶を飲みに来ただけで、お茶会をしに来た訳では無い。エステル、君がそこに座るといい」

 

 真田は内心溜め息を吐きながらソーサーを取った。

 エステルは自身の判断では決断できない事態にマリアンヌに答えを求めるように視線を向けた。

 マリアンヌは肯定するようにゆっくりと頷いた。

 真田はエステルが遠慮しながら椅子に座るのを確認すると。


 「では生徒会長さん、紅茶をいただきます」


 そう言うと真田はティーカップを口につけ、紅茶の味を楽しむかのように少量を飲んだ。


 「ど、どうですか」


 おずおずといった様子でマリアンヌは聞いてきた。慣れているはずなのだが今のマリアンヌからは初心者のように緊張していた。


 「ああ、美味しいな。茶葉が良いのと生徒会長さんの紅茶を淹れる腕前との相乗効果によって、心地よい香り良くて喉ごしの良い紅茶になっているな」


 真田の手放しでの称賛にマリアンヌの表情には、隠しようが無いほどの嬉しさが満ち溢れていた。


 「そうですか。そんな喜んでいくれていただけて、淹れた甲斐があります。おかわりが必要ならば遠慮なく言って下さい。また淹れますので」


 今まで見た事の無い輝かしい笑顔を見せるマリアンヌにエステルは複雑な思いで紅茶を一口飲んだ。

 心地よい静けさが真田達に漂い、紅茶に舌鼓を打っていると不意にマリアンヌが口を開いた。


 「サナダさん、一つ聞いて宜しいのですか」


 「なんだ?」


 「先程サナダさんに無礼を働いたダニエルに槍のようなものを突き付けましたよね」


 「ああ、そうだな。あまりに生意気だったんでな。世の中の厳しさを教えてやろうと思ってな」


 「それは別に構いませんが、その槍は何処から出したのですか。私には空中からいきなり現れたように見えましたが」


 マリアンヌの疑問に同意とばかりにエステルも何度も頷いた。マリアンヌの魔術の知識には真田が行った魔術に心当たりが無かったからだ。

 マリアンヌは薬学以外にも魔術の事も勉学しており、フィルド帝国内ならば禁術指定の魔術以外なら一通りの知識を持っていた。

 初めて見る魔術に驚きもあったが、自分が何も言えないのをいい事に無礼を働く生徒に戒めている真田に興味を持ちすぎて、そこまで興味の対象として見て無かったのだ。

 真田は紅茶を一気に飲み干すと、ソーサーを丸テーブルに置いた。


 「あれはノーシェバッカスという、空間系の収納魔術だ。此処とは違う次元に自分専用の亜空間を作り出し、自分の持ち物を自由に出し入れ出来る魔術だ」


 真田の簡単な説明にマリアンヌの瞳は玩具を見つけた子供のように輝かせていた。

 初めて聞く魔術への期待と、それを上手く運用すれば帝国が更なる飛躍出来ると希望が入り混じっていた。

 マリアンヌは人生の分水嶺の選択肢を選ぶかのような真剣な表情となった。


 「サナダさん。公爵家が第三女マリアンヌ=カノーヴィルとしてお話があります。その‥‥‥」


 「駄目だ」


 真田はキッパリと断ち切るかのような否定した。

 あまりのすがすがしさにマリアンヌは二の句が継げず、ポカンと固まっていた。

 しかしすぐに我に返り、不満を表すかのように少し頬を膨らませていた。


 「サナダさん、まだ最後まで言ってませんが」


 「言わなくても分かる。どうせこのノーシェバッカスを教えろと言いたいのだろ」


 「そうですけど」

 

 マリアンヌは不満たらたらといわんばかりに少し拗ねたように返答した。

 真田は内心溜め息を吐きながら、面倒臭そうに口を開いた。


 「言っておくが、意地悪で拒否している訳では無い。私自身この魔術がどういう術式で成り立っているかは知らないから、教えられないだけだ」


 「そうなのですね。良かった、サナダさんに意地悪されているかと思ったわ」


 マリアンヌは安堵した。

 真田がそのような事をするような人物だとは思っていなかったからだった。

 真田はそんなマリアンヌを見下ろしながら。


 「(まあ、知っていたとしても貴族であるお前には教えないがな)」


 真田はあははと愛想笑いをしながら、その奥では舌を出していた。


 「知らない魔術を‥‥‥。もしかしたら‥‥‥」


 少しするとマリアンヌは物凄く真剣な表情でぶつぶつと独り言を言っていた。

 真田が怪訝な面持ちで悩んでいるマリアンヌの横顔を見ていると。


 「サナダさん、ご相談があります」


 「‥‥‥なんだ。魔術の事以外なら大丈夫だぞ」


 思いの外、真剣な眼差しで見てくるマリアンヌに真田は興味をほんの少し惹かれていった。

 マリアンヌは自分の思いを声に乗せるかのようにゆっくりと言い放った。


 「私に稽古をつけてくれませんか」


 一瞬、思考停止しかけたがある事を思い出し、真田はそれを阻む事が出来た。

 真田はおずおずといた様子で、自身の疑問をマリアンヌにぶつけた。


 「‥‥‥まさかと思うが、それはダニエル関係では無いだろうな」


 マリアンヌは悔しさに手の握る力を込め、静かに頷いた。

 真田は完全に面倒事に巻き込まれたと思い、内心鉛のような重たい溜め息を吐いた。

 マリアンヌは当時の状況を思い出しながら、独り言のように言葉を紡いでいた。


 「私が持てるだけの魔術を全てぶつけても、何故かダニエルには効かないのです。私を含めて学園の上位者は殆どダニエルに敗北しました」


 「だからあのように図に乗っていると」


 マリアンヌはゆっくりと頷いた。決して認めたくは無い学園の恥となるものを認めるかような断腸の思いだった。


 「先程はサナダさんが戒めましたが、それでは駄目なのです。外部の人や教師の方がしても、自分達生徒とは違うという言い訳が成り立ってしまいます。だから同じ生徒で負けた相手に負けたのなら戒める事が可能です」


 なるほど理には適っているなと真田は納得したが、しこりというべきかどうにも無視できない疑問が存在感を増していた。


 「それで剣士の私が稽古をしなければならないのだ。魔術なら教師の誰かに頼べばいい」


 「それが一番いいのでしょ。ですが教師の方々では駄目です。私はこの学園内に居る時は公爵家の令嬢としてでは無く、極力一生徒として振る舞っています。ですがどうしても公爵家の令嬢として扱われますから、教師の方々は二の足を踏んでしまい、私を傷つけないようにしますので稽古にならないのです」


 「だから貴族様扱いしない私に白羽の矢が立った訳か」


 「ええ。私より経験が豊富と思いますので、何か的確なアドバイスでもいただけたらと。‥‥‥一応迷惑がかからないようにアヴェドギルトを通して個別依頼として依頼申請をし、それと見合った額の謝礼も払いますので」


 相手の立場も考えた至れり尽くせりな条件をマリアンヌは提示をした。逆に言えばそこまでしないといけない事態に陥っている事を表していた。

 真田は右手で顎を擦りながら、思考の海に浸った。


 「(普通なら『はい、分かりました』という状況なのだろう。状況的には鴨が葱を背負って来たと言うべきだろうな)」


 相手は子供とはいえ公爵家の人間だ。

 この稽古を成功させればどれだけの報酬金が舞い込んでくるのか分からず、そしてその副産物として得られるコネは絶大なものだろう。

 何せフィルド帝国全土を治める一族のコネだ。そこら辺に居る貴族のコネとは天と地ほどにかけ離れたものだ。

 もしかしたら一般人が立ち入れないような場所に入れたり、普通では手に入れられないレアなアイテムが手に入れたり出来るかもしれない。そうでもなくとも、自身の箔が付きそれを聞きつけた貴族からの大口の依頼が舞い込むかもしれない。

 そんな普通に冒険者人生を送っていても、手に出来ないようなものを手にする事が出来るかもしれないチャンスが目の前に転がって来たのだ。

 誰もが手を伸ばすだろう。

 今までの人生が嘘のように出来る一発逆転のチャンスに。

 物凄く不安そうに見つめるマリアンヌに真田は全てを許すかのような優しい笑顔を浮かべた。

 マリアンヌは次第に晴れやかな表情となっていった。

 だが、放たれた真田の言葉はマリアンヌの些細な幻想を打ち砕くのには十分だった。


 「いやだ」


まさかの拒否!!??

公爵家との繋がりが出来れば、どれだけの恩恵が受けれるか分かっていながら。

どうなるタクト君。どうするマリアンヌ!

そしてこの話は無事終わるのか!? 作者はノープランだ!!

次回をこうご期待!!

閑話休題。

まあ、貴族嫌いのタクト君が貴族からの依頼を受けるなんて考えられませんからこうなるのが自然でしょう。

次回は何故タクト君が貴族嫌いになったのかをちょっとふれる予定です。


誤字脱字がありましたらご指摘の方を宜しくお願いします。

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