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夜にいつものお店へ行くと、ラズノさんが居ました。
お師匠様と短くイミフメイ会話を交わすと、お互いに納得されたみたいで、一緒に食事をしようということになりました。
三人で席について、しばらく。案の定、今夜も寄ってくるひとたちがいます。
「リオー! 相変わらず、ちっこいな。ちゃんと飯喰ってるか!」
失礼なことを言いながら、ガタガタと椅子を持ってテーブルに割り込んできます。
わたしは……やっぱり今日も半笑いです。
いいんだ、もう、いいんだ。これも先々のための人脈づくりの一環だとでも思えば、なれなれしくされるのも我慢できる。
必死で自分に言い聞かせていました。昨日の今日なので動揺してます。
「……同席の許可は求めないのか?」
硬い声を出したのは、ラズノさんでした。
「それに、女性の身体に勝手に触れるのは、あまり感心しない」
わたしが肩を抱かれていることを指しているのでしょう。力が違いすぎてどうしようもないので、できるだけ身を小さくして接触範囲を狭くするくらいしかできません。
「って……なに言って――や、まぁ、あんた先生の知り合いだよな? なんか秘密の話でもあんの? って、そんなことなら、こんなとこで話さないよな?」
「触れるっても、べつに肩抱くぐらい……おれら一応これでも仲いいんだぜ。なあ」
「なあ……? えっと、お前さん、なに怒ってんの?」
なんか気が遠くなってきました。
仲がいい。お師匠様とですか? それともわたしと?
なに怒ってんの――ああ、わたしが言われたらと恐れていた言葉そのものです。自分に向かって言われたんじゃないのに気分が悪くなってきました。うっすらと吐き気がします。
「……彼女は嫌がっていると思うが」
ぱっと視線が集まるのを感じました。
――ああ。ラズノさん、何てことを。
怖くて顔をあげることができません。ケンカになったらどうしよう。ラズノさんが言ってくれたことは真実です。わたしには言えなかったことを言ってくれました。いざとなったら、いや、今すぐにでも「嫌がってます」と同意して彼を庇うべきです。
……無理。
両手が震えてきました。手を隠した方がいいけど、今さらテーブルの下に下ろせば余計に注目されます。
どうしよう。どうしようどうしようどうしよう。
「り、リオ……?」
わたしの肩を抱いていた人から低い声で呼ばれます。何をされても、悲鳴だけは上げないよう、全身に力を入れて身構えました。
「……なあ。判らないのか。ちゃんと見てたら、判るだろう」
ラズノさんは低い悲しそうな声で言いました。
見てたら――バレるでしょうね。わたしが怖がっていることが。
ガタン、と席を立つ音がしました。肩にかけられていた手が離されます。ガタン、ガタン、と音が続いて、沈黙のうちに彼らが離れていくのが足音でわかりました。
手は震えたままです。
……情けない。
わたしはこんな有り様でちゃんとした魔術師になれるんでしょうか。魔術に必要なのは冷静さです。常に平静さをもって、集中して術を使いこなさなければなりません。
ただのニンゲンである彼らに怯えていたのでは話になりません。
いくら見上げるような大男でも、無神経で無思慮で、時にわたしの腕がくだけそうな力で触れてくるようなひとたちでも、あれはこの世界の標準的なニンゲンなんです。
魔物と対等に闘える力をもった、でも、一般的な男性です。
怖いとか言っていられません。
「リオ、大丈夫か?」
ラズノさんから気遣わしそうな声を掛けられました。
お師匠様の沈黙が怖いです。
目線をあげることができず、わたしはうつむいたまま、頭を縦に振りました。うなずいた、というより、振った、という感じのぎこちなさでした。
「大丈夫です」
震えないように抑えながらのその声は、ちっともまったく大丈夫には聞こえませんでした。
――ゴンッ!
頭にきて、テーブルに額を打ちつけました。
「――リオ!?」
めちゃくちゃ痛かったです。涙目ですが、力は抜けました。
「大丈夫です!」
顔を上げて、笑いかけました。笑えました。何とかなりました。
ラズノさんは戸惑ったようにわたしを見て、お師匠様を見て、彼がわたしを見てはいるけど、どうでもよさそうにしているのがわかったのでしょう。困ったようにまたわたしを見ました。
「ありがとうございます、ラズノさん。一生言えずに終わると思ってましたから」
「あ……、いや、余計な真似をしたのでなければ……」
「大丈夫です」
「その……私はどうも要らぬ口出しをしがちでな」
正義感が強いんですね。すごい勇気と自信です。感服します。
わたしには一生縁がなさそうな資質です。
うらやましくて妬ましくて、頭がおかしくなりそうですが、そういうひともいると割り切りましょう。蒼黒の疾風なんて大層なあだ名のある人ですもの。わたしとは世界が違うんですよ。
……そういえば、お師匠様もでしたっけ。月宵の闇使い。
お師匠様は平然とお店のひとに注文をしています。
椅子だけ残された妙な状況と、周りの静けさとで、店員さんもなにか感じ取るところはあったようですが、さすが客商売のプロ、よけいな詮索はしてきませんでした。
とりあえずお師匠様の機嫌は、そんなに悪くはなさそうです。
あの状況に自力で対応できなかったことは、切り捨てられる要件になりそうで不安だったんですけど、考え過ぎだったんでしょうか。
我ながら、魔術師としては最低な態度だったと思うんですが。
そういうのを克服すべきと思っているからこそ、お師匠様は何も言わずにこのお店に通い続けていたんじゃないのでしょうか。だって、お師匠様、よそのひとに同席されて喜ぶタイプじゃないですよ。
……あ、そうか。これで終わりってわけじゃないですね。
ラズノさんが同席しているのは今夜だけです。明日以降は、わたしはわたしの力で対処していかなければならないのです。
これがお師匠様からの試練のひとつだとすれば、いつか乗り越えてみせなければいけないのでしょう。自分でもどうにかしなきゃ生きづらすぎると思いますし。
……がんばります。