【三題噺】きっと、ずっと、いつまでも。
私は先輩が好き。
先輩は空が好き。
そして、今日も広がる青空。
ずっとずっとずっと好きだったのに。
「ごめんね」
伏せられた茶色の瞳に、長い睫毛が影を落とした。
引き結ばれた唇が震えている。
「君とは付き合えない」
綺麗な顔を泣きそうに歪めて、先輩はそう言った。
これ以上、そんな顔をして欲しくなくて無理に笑う。
「気にしないで下さいよ。先輩が悪いんぢゃないんですからぁ」
わざと変な顔を作ってみせる。
「私がブスなのが悪いんですよ」
「そんなこと……」
白磁器のような白い肌、透き通った茶色の大きな瞳に長い睫毛、華奢な四肢。
先輩は綺麗だ。
それを先輩はこの17年間で否応なしに、自覚させられている。
だから今、何を言っても私を傷つけると知って、口を閉ざした。
なんて心まで、綺麗な人。
「私、そんな先輩が大好きです」
精一杯の笑顔で、私は言葉を贈った。
涙で前が見えない。
それでも走る、走る、走る。
なわとびを、沢山やったのは、痩せて先輩の隣に並びかたったから。
慣れない化粧品選び。
戸惑ったけど楽しかった。
好きな人のために、頑張るのは素敵だと思えた。
私の世界の中心は、先輩だった。
先輩がいたから、私は変われた。
変わろうと思えた。
苦しくなんてなかった。
只々、愛おしかった。
何かにつんのめり、両足が一瞬だけ宙に浮く。
あの日も、先輩と出会ったあの日も、私はこうして水溜まりに転んだ。
水溜まりの泥水が制服に飛び散る。
地面に打ち付けられた手足が痛む。
痛くて情けなくて、余計に涙が溢れる。
もう走れない、もう立ち上がりたくない。
先輩が大好きだった。
本当に大好きだった。
出会った日から、ずっと。
「立てる?」
そう言って、手を差し出してくれた人がいた。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を、あげれば優しい笑顔があった。
それが先輩だった。
その時は綺麗な人に見下ろされて、水溜まりの中で転んだ自分がひどく惨めに思えてしょうがなかった。
「立てますから」
俯いて立ち上がる。
そこで、はっとした。
左目のコンタクトがない。
おろおろと地面を、手探りし始めた私に気づいて先輩もしゃがみ込む。
「このあたり?」
「は、はい」
制服が泥水に浸るのも気にせずに、一生懸命に探してくれる姿に胸が一つ高鳴る。
「あった!」
はしゃいだ子供の様な、純粋な喜びが滲んだ声に振り返れば、差し出された白くて細い指。
「はい、これだよね」
私はその時、生まれて初めて、そんなに綺麗な笑顔を見た。
容姿じゃない。
内面の煌めきが、外側にまで及ぶ様な綺麗さ。
なんて美しい心の人だろうと。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ」
上擦ったお礼に、さらに笑顔を向けられて顔が熱くほてる。
自分の気持ちがわからない。
どうして、こんな……
私の戸惑いを知らずに、先輩が空を指差して呟く。
「あ、空晴れたね」
2人で水溜まりの中に座り込んだまま、空を仰ぐ。
青空を見たら、何故か色んな気持ちが透き通っていく気がした。
横目で、先輩の顔を盗み見る。
やっぱり、綺麗だ。発光してる。
それでも――――
「本当にありがとうございましたっ!」
「え?」
立ち上がり、勢いよく頭を下げて、驚く先輩に背を向けて走り出す。
それでも、私はきっとあの人が好きだ。
あの人の隣に並べたらと思う。
でも、まだ駄目だ。
もっと綺麗になってから。
内面も外見も。
とりあえず、今日家に帰ったらなわとび100回から始めよう。
私は、そう決意した。
その数分後に、入部した部で先輩と早い再開をするとは、露知らずに。
思い出した出会いの日に、また涙が溢れ出しそうになる。
先輩はあの日、大丈夫?とも、痛くない?とも聞かなかった。
ただ、立てる?と聞いてくれた。
あの一言が本当は嬉しかった。
でも、もうあの言葉はない。
空を見上げる気にもなれない。
もうあの日の空は何処にもないから。
俯いた顔から、涙が伝い落ちる。
涙が水溜まりに波紋を生む。
それをひどく絶望的な気分で見つめる。
けれど、止んだ波紋に目を見開く。
「青空……」
水溜まりの中に映る青空に、つられて空を仰いだ。
あの日の様に。
静かに立ち上がる。
私はもう、あの日の自分じゃない。
あの日の空は何処にもない。
でも、いい。
忘れないから、覚えているから。
先輩がずっと好きだから。
変わらないことはあるから。
広がる空に宣言する。
「私は先輩が大好きです」
きっと、ずっと。
いつまでも広がるこの青空みたいに。
三題噺として書きました。
なわとび、空、コンタクト。