His sob story
投稿初心者です。
生温い瞳で見守っていただけるとありがたいです。
順番を間違えた。
何事にも直情的な彼女に対し、僕は理を説き、手順を組み立て、状況を踏まえてから行動をするのが常だった。
しかし、この時ばかりは外堀から埋めていく性格が災いしたとしか思えない。
悔やんでも悔やみきれない失敗が起きたのは、とある午後のことだった。
「どうしようクレン、このままじゃ、道場畳むしかないかも!」
息咳ききって僕の部屋に飛び込んで来た彼女は、金褐色の癖毛を振り乱してそう口にした。
道場の主である彼女の祖父が亡くなったのはつい先日。僕達は17歳になったばかりだった。
王立学院の武官養成科は剣術が必須科目である。有名な退役軍人である彼女の祖父が代表指南役を受け持つ剣術道場は、そこそこに繁盛をしていた。
通いの生徒以外にも数十名の下宿生達を置いている道場を突然畳むとなると、王立学院に通う彼らは必然的に路頭に迷うことになる。
彼女はそれも含めて憤っているのだろう。道場から身を引くという選択肢は、彼女の祖父が亡くなったとはいえ微塵も浮かばなかったに違いない。
「父上は、誰かに譲渡するか畳むかのどちらかだって言うの」
確かに、かくしゃくとして内務を取り仕切っているとはいえ、年老いた祖母君とその孫娘だけで現状を維持していくのは難しい。
「いずれシアが継ぐつもりってのは本気だったんだ?」
確認の意を込めて、シアことシアンシュカにわかりきった質問をする。
「勿論よ!父上はまだまだ現役だから、道場で剣術の指南をするのは無理だし。剣の腕ならわたしだって負けていない…はずだもの」
確かに、体格的に不利な女性でありながら、シアの剣術の腕には定評がある。剣術だけではなく喧嘩…いや、体術の腕前についても、僕は身を持ってその優秀さを知っている。
十歳で王立学院に入学し、五年後には最年少ながら優秀な成績で武官養成科を卒業した。
剣術は女子ながら三指に入る成績だった。卒業後、軍人にはならずに家業を手伝っているが、進路を決める際には随分と惜しまれ、女性近衛が直々にスカウトに来たと聞く。
それを断って選んだ道場で、年少組の指南は、今は殆どシアが受け持っている。
「二十歳くらいで正式に跡を継いで爺孝行する予定だったのに、あと数年を待てなかったなんてお祖父様の馬鹿ーっなんで死んじゃったのよーっ楽隠居の暁には温泉旅行ご招待って言ったじゃない!」
口で文句を言いつつも、亡くなった祖父が恋しくてたまらない、と、潤んだ灰色の瞳と歪んだ表情が物語っている。
「父君…東方副将軍は道場から手を引くようにシアにおっしゃったんだね?」
「そうなのよ、あの頑固親父!祖父様の道楽で開いた道場に関わりあってないでさっさと嫁にいけ、ですって。確かに金銭的には楽じゃないけど、ちゃんと黒字で回ってるわよ。今後に備えて経理も経営も勉強してたのに!」
それは一人娘が責任を背負いこまずにすむように、という優しさだ。シアもそれはわかっているはずだ。
「わたしは道場に関わっていたいのよ!わかる!?クレンならわかってくれるわよね!?」
年端も行かない時分から棒切れを振り回して祖父母にまとわりつき、実家にいるよりも長い時間を過ごし、道場で育ってきたも同然のシアだ。
道場の隣人だった僕は殆どの時間をシアと一緒に過ごしていたから、その気持ちは勿論理解できる。
「でもね、シア。君はまだ17歳だろう。道場主として居座るには若過ぎる」
「年は関係ないわ、同い年の女の子達だって、王宮に勤務して働いている子が沢山いるじゃないの。」
「みんな下っ端だし、箔付けか婚活目的だけどね」
「上級組の指南役には今まで通りイラーゼ師が来てくれるし、年少組をわたしが見るのよ。下宿生の世話だって、お祖母様やマイラス夫妻がいるし。代表をわたしが務めるってだけで、他は何にも変わらないじゃない。何が問題なのよ」
興奮して椅子に腰も下ろさずまくし立て続けるシアを、まあまあと鎮めながら香草茶を淹れてやる。よかった、ようやく座った。
「まずはシア、君は未婚だ」
「そりゃそうよ」
「未婚で十代の道場主なんて、どう考えても世間体が悪い」
「そういうものかしら」
「そういうものなの。しかも君は女性だから、年若い青年を預かるにはもっと都合が悪い」
「間違いなんて起こりようもないじゃない。わたしより強い下宿生なんて滅多にいないわよ。剣術の才能がある人はうちみたいな道場に通わなくても大丈夫だから当然だけど」
「たとえ事実がそうでも、世間の目はそうは思わないだろうね」
「……じゃあ、どうすればいいのよ」
ふてくされてお茶を啜る幼馴染みの姿に、口元が緩む。
年を経るごとに背丈が伸び、しなやかで女性らしい体つきに変化していったシアだが、子供のような表情で口をとがらせて不平不満を舌に乗せる癖は昔と変わらない。
相変わらずの、僕の愛しい幼馴染み。
困ったことがあると、いつも僕の知恵を求めてやって来る厄介事の運び屋。
それは、幼い頃は元より、王立学院の武官養成科と文官養成科に分かれて通っていた頃も、卒業して家業の手伝いと内務省の下っ端役人という異業種に就職してからも、変わっていない。数少ない下っ端の休暇を狙いすましたかのように、難題を抱えたシアは相も変わらず僕の元に飛び込んでくる。
「考えられる選択肢はいくつかある」
「言って言って!」
「まずは、父君の言うように道場を畳む」
「却下! 却下ったら却下よっ」
「うん、わかっているから落ち着いて。選択肢として上げただけだから。
次に、父君が言っていたように誰かに譲渡する」
「それも却下に決まってるでしょう」
「君の手から離れるのは我慢出来ない?」
「当たり前よ。手放したくないから悩んでるんだもの。今のところ遺産として実権はお祖母様のものだけど、いずれは父上すっとばしてわたしが切り盛りする予定だったんだから」
「そうだよね、だから、シアが実権を握れるような布石をすればいい」
「……クレン、回りくどい言い方しないでさっさと解決方法とやらを教えてちょうだい」
「一、君を代表者に据えてくれる太っ腹な出資者を探すか、もしくは名義だけを貸す。
二、君が道場の代表者の席に座っても文句を言わない配偶者を直ちに迎える。
三、配偶者が無理でも、ひとまず無難な婚約者を据えて道場の経営を続ける。
僕のお勧めは三番目だね、一番実行し易そうだから」
次にはこの台詞を続けるつもりだった。
「だから、僕と婚約すればいいんじゃない?」
それを口にする前に、シアの歓声にかき消されてしまったけれど。
口と同時に手が出るどころか、口より先に手が動いているというシアの特性は、よく知っていたはずなのに。
回りくどいことを言っているうちに、肝心の求婚までたどり着けなかったのは一生の不覚だ。
僕に口を挟む隙など与えずに素早く礼を言って飛び出して行ったシアが、早々に『彼』と婚約を整えてしまったという事態は、筆舌しがたい苦痛でしかない。
文官としての有能さに通ずる頭の回転が売りなのに、回りくどい舌のせいで一世一代の求婚の好機をみすみす逃したなんて、五年たった今でも後悔しきりだ。
婚約成立早々、長期国外視察に旅立っていった『彼』は未だ戻らずシアの婚姻は宙に浮いたままだが、その『彼』はシアの初恋の相手な上、若手武官じゃ一番の出世頭と噂される相手なんだから、僕の苦悩は募るばかりだ。
憂鬱をぶつけるが如く、ここ数年は仕事に明け暮れた。相変わらず隙を伺ってはシアが訪ねて来たが、その回数は以前よりも大幅に減った。休みを取らずに遮二無二働いていたせいもあるかもしれない。
その甲斐あってか、文官として順調に出世街道を躍進する僕の元に、上司であるクレンゲル侯爵からひとつの凶報がもたらされたのは、穏やかな春の昼下がり。
「近々クラウディオ・ロットナーが帰国する。国外視察からの帰国後は近衛隊として勤務に復帰することが内定しているから、辞令を整えておくように」
『彼』が帰国する。
それはつまり、宙に浮いた状態の縁談が、纏まってしまうということ。
棺桶に片足を突っ込んでいた長年の片思いが今度こそ完全に葬られゆく華麗なる葬送曲は、可愛らしい小鳥のさえずりと木々のざわめきと共に、僕の耳に届いたのだった。
あとがきという名のおまけ→
ねえシア聞いた?クラウディオ・ロットナー卿が国外視察から戻ってくるんだって。
ふうん。
つまりはシアも遂に結婚するってことじゃないの?
そうなの?
婚約していたのはその為でしょ?
あ、それ破棄して久しいわよ。
…………は???
あれ、言ってなかったっけ?
……聞いてない。
国外視察に出て三年、わたしの二十歳の誕生日までに戻らなかったら自動的に白紙に戻す約束だったの。今年で五年目でしょう?とっくの昔になかった話になってたわよ。書面も交わしたし、抜かりないわ。
あの頃は差し向けられるご令嬢達に辟易してるって本人から聞いてたから、偽装婚約の話を持ちかけたらすんなり受諾したわよ。
結婚適齢期さえ過ぎてしまえばこっちのものよね。道場はわたしの仕切りで順調だし、父上も文句言うのに飽きたみたい。次に問題が持ち上がるとすればお祖母様が倒れた時だろうけど、まだまだお元気で現役バリバリだもの。
時間はかかったけど丸く収まったのはクレンの知恵のおかげね。やっぱり頼りになるわ、これからも宜しくね。
そう言って、シアはにこやかに、屈託なく笑った。
まさかの展開に驚くより先に、葬り去ったはずの初恋が希望をもたげて棺桶の蓋から顔を出す。
気をつけるべきは、自らの回りくどい舌。
同じ過ちを二度繰り返すことのないよう、今度は堅実かつ速やかに行動すべし、と、僕はかたく胸中に誓ったのだった。