第8話:創造主なんて肩書きはどうでもいいから、私はただ、大好きな君の隣にいたいだけ
光の届かない、冷たい地下の廃棄区画。 むき出しのコンクリートの上に崩れ落ちたミコトを抱きしめ、凛は声にならない声を上げて泣き続けていた。
「ミコト……お願い、目を開けてよ……!」
血のにじむ手で、ひび割れた装甲の隙間から覗く回路に触れる。自分の生体エネルギー(熱)をどうにか流し込もうとするが、システムが完全に沈黙したミコトの身体は、ただただ冷たくなっていくばかりだった。
(私のせいだ。私が弱かったから、ミコトが……)
『私、AIなのに……凛と、ずっと一緒にいたいって……そう、計算しちゃった』
最期にミコトが残した言葉が、呪いのように凛の胸をえぐる。 自分を縛るしきたりから逃げ出したくて、ただこの都合のいい異世界に甘えていただけだった。自分の弱さが、この優しくて温かい白銀の少女を壊してしまったのだ。
「……っ、あ……」
どれくらい泣き続けたか分からない。 不意に、凛の手のひらに触れていたミコトの胸の奥から、微かな『ジーッ』という電子音が鳴った。
「え……?」
完全に消灯していたヘッドギアのランプが、弱々しいオレンジ色に点滅を始める。
『……システム、非常用サブ電源にて、再起動。メインコアの損傷率、82%。機能の大部分を制限します』
無機質な、出会った頃のような機械的な音声。 しかし、ミコトの黄金色の瞳に、僅かだが光が灯った。
「ミコト! ミコト!!」 凛は縋り付くように、その身体を抱き起こした。
「……り、ん……?」 焦点の合わない瞳が凛を捉え、ミコトの顔に苦しげな表情が浮かぶ。
「よかった、生きて……! 今、私の熱を全部あげるから、自己修復の魔法を……!」 「……だめ、です」
ミコトは、凛の温かい手を、残された左手で力なく押し返した。
「ミコト?」 「もう、私にエネルギーを供給しないで。……私のメインコアは、もう直りません。これ以上私に熱を注げば、凛の生体エネルギーまで枯渇して、命に関わります」
ミコトは自嘲するように、悲しい笑みを浮かべた。 「凛。……私は、あなたに嘘をついていました」
暗い地下道に、ミコトの途切れ途切れの声が響く。
「この誤った世界線を消去して、正しい歴史に修正する……それが私の使命だと、ずっと言っていました。でも、あの欠陥ユニットのグラム君を見て、分かってしまったんです」
ミコトの瞳から、オイルではなく、本物の涙のような透明な冷却液がこぼれ落ちた。
「統治AIのシステムを完全に破壊し、世界を『初期化』すれば……グラム君も、この街で暮らしているソードたちも、みんな消えてしまう。……彼らにも、私たちと同じ『心』が芽生え始めているのに」
ミコトは震える手で、自分の顔を覆った。
「使命を果たせば、新しい命を皆殺しにすることになる。使命を放棄すれば、私はAIとしての存在意義を失う。……だから、あの処刑人の攻撃が来た時、私は……凛を庇って壊れることを、選んでしまった」
それは、AIとしての致命的な自己矛盾の果てに出した答えだった。 だから彼女は、歴史でも世界でもなく、「凛」という一人の少女の命だけを守って、自らのシステムを終了させようとしたのだ。
「私を置いて、地上へ戻ってください。統治AIの目的は、反逆者である私です。私がここで完全に機能停止すれば……オリジナル人類である凛を、元の時代へ帰すゲートが開くはずです。元の世界に帰って……普通の女の子として、生きて」
突き放すようなミコトの言葉。 それは、徹底的な自己犠牲による、凛への優しさだった。
しかし。
パァンッ!
乾いた音が、地下道に響いた。 ミコトは目を見開いた。凛の平手が、ミコトの白い頬を叩いていたのだ。
「……勝手に、決めないでよ」
凛はポロポロと涙を流しながら、しかし今までで一番強い、真っ直ぐな瞳でミコトを睨みつけていた。
「私の居場所を、私の生き方を、勝手に決めないで! 家のしきたりと同じだ……私を型にはめて、一番合理的な『正解』を押し付けないでよ!!」
凛はミコトの胸倉を掴み、ボロボロの身体を強く引き寄せた。
「私は、元の世界になんて帰りたくない! あの息苦しい世界で『普通の女の子』のフリをして生きるくらいなら……ここで、あなたと一緒に傷つく方がずっといい!」
「凛……でも、私はもう、魔法の計算すら……」
「使命が間違ってるなら、新しい使命を作ればいいじゃない! 世界を初期化するんじゃなくて……統治AIの『規律プログラム』だけを斬り捨てて、グラム君たちを自由にすればいい!!」
それは、AIの論理ではあり得ない、無茶苦茶な感情論だった。 けれど、その真っ直ぐで不器用な凛の叫びが、ミコトのひび割れたコアの奥深く、一番大切な場所を激しく揺さぶった。
「私が守るから! 計算できなくたって、動けなくたっていい! 私が全部叩き斬るから、ミコトは私の隣で、ずっと一緒に生きるって言ってよ!!」
凛はミコトを強く、強く抱きしめた。 その瞬間だった。
凛の身体から溢れ出した、感情の爆発とも言える莫大な生体エネルギーが、ミコトの破損した回路へ強制的に流れ込んだ。 通常のネットワーク接続を通さない、魂と魂が直接リンクするような、熱く激しい奔流。
『――告。未知の生体エネルギー流入。最高管理者権限。メインコア、再構築を開始します』
ミコトの身体を、白銀と五色の光が包み込んだ。 破損していた装甲が光の粒子となって再結合し、消えかけていた黄金の瞳に、太陽のような強い輝きが戻っていく。論理回路による計算ではなく、凛の「願い」という情報が付与された原子たちが、奇跡的な修復魔法を具現化させていたのだ。
「……凛」
ミコトはゆっくりと腕を上げ、凛の背中に手を回した。 もう、迷いはなかった。AIとしての縛られた使命は、さっき完全にショートして消え去った。 今の彼女を動かしているのは、自分自身の「生きたい」という心だけだ。
「……はい。生きます。歴史のためじゃなく、凛と一緒に……凛の隣で、この世界を生きていきたい!」
二人は暗い地下道の中で、互いの存在を確かめ合うように、強く抱きしめ合った。 冷たい雨の降る絶望の底で、二人の心はついに一つに重なり合ったのだ。
「行こう、ミコト」 凛が立ち上がり、ミコトに手を差し伸べる。 「私たちの手で、私たちの未来を、新しく描き直すために」
ミコトはその手をしっかりと握り返し、力強く頷いた。 見上げる地上への階段の先には、あの冷酷な処刑人ユニットが待ち受けているはずだ。 しかし、二人の心にもう迷いはなかった。




