第5話:芸術家?この箱庭をカラフルなわたし色にしてあげます!
メタバースの星空から意識を浮上させ、ゆっくりと目を開ける。 そこは相変わらず、外界から遮断された薄暗い地下の防空壕だった。凛の服装も、星空のスカートから元の巫女装束に戻っている。 しかし、先程まで鉛のように重かった身体は嘘のように軽く、ミコトと繋いでいた右の手のひらには、仮想空間で分け合った確かな温もりが残っていた。
「エネルギーレベル、完全に回復しました。凛、ありがとうございます」
ミコトがヘッドギアのランプを正常な青色に点灯させ、ホッと息をつく。 二人は頷き合い、重い鉄のハッチを開けて再び灰色の街へと足を踏み出した。
統治AIの追っ手はうまく撒けたようだった。警戒しながら崩れかけた二人は劇場の跡地を通りかかった。
「……」
凛が視線を落とし考え事をしている。
「どうしました?凛」
「…うん。なんか…おかしいなって思うことがあって」
「…おかしい?」
ミコトが不思議そうに小首をかしげた。
「ここに来て、はじめて私たちが警備ユニットに挑んだときのことなんだけど。ミコトが私のことを『オリジナル人類』で、生体アクセス権が……えーと、何とかとかしたって言っていたじゃない?」
「あー、最高管理者権限のことですね」
「…そう、それっ!オーバーアクション!」
凛が乗り出して指差す。それに対して、ミコトがはにかんで優しく訂正した。
「ふふっ、オーバーライドですよ?凛。人間は我々の創造主ですからね、管理者としての権限が与えられて、プログラムの書き換えが行われたんですよ」
間違えを指摘され、耳を少し赤くしながらも凛は続ける
「だから、おかしいんだよ。なんで、私たち襲われてるのかな?って思うじゃない。創造主だよ?神様みたいに崇めてもらってもいいのに、全く歓迎されてないよね」
ミコトが口を開けたまま瞠目した。
「…あれ?確かに…。……本当ですね!何でそんな明快なことに私も考えが至らなかったんでしょう?」
曲げた人差し指を顎に当てながら、ミコトは深く考え込み始めた。
「凛の言う通り、凛が統治AIに狙われる理由がない。それなのになぜ、私たちは排除されようとしている? ……もしかして、歴史に干渉しようとしていることに対しての、何かしらの強制力が働いているとか? それとも、完璧に構築されたシステムは、その機能を維持するためだけに凛を『バグ』として処理している? ……なるほど、これは原因の究明が必要ですね……ブツブツ……」
まだまだ考察が続きそうな雰囲気を察してか、凛がそれを遮った。
「理屈で考えても仕方ないよ。今起きていることを受け止めて、目の前のことに集中して対処するだけだよ」
意外なほど冷静な発言をする凛に、ミコトは少し面食らう。
「凛は強いですね。窮地においても、諦めることがなくて」
「ううん、ミコトのおかげだよ。私ひとりじゃ、こんな現状絶対受け止めきれない」
凛が苦笑いする。ミコトもつられてくすくすと笑顔がこぼれた。
――その時。廃墟の奥から、ふわりと音楽が流れてきた。
それは、旧地球のクラシック音楽を思わせる、極めて精緻で美しい旋律だった。ピアノと弦楽器の音色が、寸分の狂いもない完璧なテンポで奏でられている。
「……音楽?」
「生体反応があります。凛、こちらへ」
ミコトに促され、瓦礫の陰からそっと覗き込むと、そこには一組のユニットがいた。 タキシード姿で指揮棒を振るうレプリカントと、その傍らで目を閉じ、美しいドレスを纏って歌う女性型のソード。
彼女の歌声は、どこまでも澄み切っていた。レプリカントの指揮に合わせて空間の原子が踊り、彼女の周囲には光の粒子で構成された極彩色の大輪の花々が、まるで精巧に作られた3Dモデルのように次々と咲いては散っていく。
「あれは『芸術保存ユニット』です。過去の人類が残した音楽や舞踏のデータを、この現実世界で寸分の狂いもなく再現し、保存するための存在…いわゆる芸術再生機ですね……」
ミコトが小声で解説した瞬間、不意に音楽がピタリと止んだ。
『――不協和音を検知。我々の完璧な旋律を乱す、未登録の生体波形』
指揮棒を持ったレプリカントが、機械的な首の動きで凛たちを振り返る。女性型ソードも目を開けたが、その瞳には感情の光は一切なく、ただ虚無が広がっていた。
「排除シークエンス、再生」
レプリカントがタクトを振り下ろすと同時に、女性ソードの手の甲の紋章が発光する。 空中に浮かんでいた美しい光の花々が、突如として鋭いクリスタルの刃へと変形し、恐ろしいスピードで凛たちに向かって殺到してきた。
「凛、下がって!」
ミコトが瞬時に不可視の障壁を展開し、クリスタルの刃を弾き落とす。しかし、弾かれた刃は空中で軌道を変え、音楽の四拍子のリズムに乗って全方位から波状攻撃を仕掛けてきた。
「くっ……音の反響まで計算して、原子の座標をコントロールしています! なんて精密な……!」
ミコトが障壁の維持に苦力する中、凛は敵の「芸術」を見つめていた。 確かに、彼らの奏でる音は数学的に完璧で、光の魔法は一つの破綻もなく美しい。
でも、それはどこか空っぽだった。 本当に心を揺さぶる音楽には、作り手がその一音一音に込めた熱や、情景、誰かへの想いがあるはずだ。目の前の彼らが展開しているのは、ミコトが言っていた通り「決められたプログラムを再生しているだけの偽物」に過ぎない。
(こんなの、ただのプログラムだ。私がやらされていた実家の型と同じ……心を殺しているだけ)
凛の脳裏に、一つの情景がはっきりと浮かび上がった。 それは、実家の境内にむせ返るように咲き乱れていた藤の花。その藤を背景に、袴姿で白刃を構える自分自身の姿。 まるで一枚の鮮やかなイラストレーションのようなその情景には、目の前の無機質な四拍子なんかじゃない、もっと激しく、感情を揺さぶるような熱い旋律が似合うはずだ。
「ミコト、障壁を解いて。私が、あの中に飛び込む!」
「えっ!? でも、あの完璧な弾幕の隙間を縫うなんて……」
「大丈夫。あんな『心のないリズム』に、私はもう縛られない!」
凛の力強い眼差しに、ミコトはハッとして頷いた。 「……分かりました! 凛の熱を、私が全力でサポートします!」
ミコトが障壁を解除した瞬間、凛は地を蹴った。 頭の中に響くのは、敵の完璧な計算音ではない。自分自身の内側から湧き上がる、自分だけの情熱的な音楽。
『無駄です。計算上の回避率は0.002%――』
レプリカントが無慈悲な宣告と共に、クリスタルの刃の嵐を集中させる。 だが、凛の足捌きは、彼らの予測演算を軽々と凌駕していた。
右へ、左へ。低く沈み込み、高く跳躍する。 仮想空間の星空の下で手に入れた「自由」という感情が、凛の身体を羽のように軽くしていた。
凛が舞うたび、前髪の朱色の髪飾りが揺れる。 刀の鍔に設えられた神楽鈴がシャリン、シャリンと高らかに鳴り響き、凛が思い描いた「藤の花と袴姿の少女」という一枚のイラストレーションが、灰色の廃墟の中で圧倒的な生命力を持って動き出したかのようだった。
「あ……」
凛の背後で見守るミコトが、思わず息を呑む。
『エラー。対象の律動が、我がユニットの演算速度を超過――』
「ここっ!」
敵の懐に潜り込んだ凛は、白刃を鞘から抜き放った。 ミコトが放つ白銀の魔法が、凛の刀身に眩い光を宿させる。
それは、緻密に計算されたプログラムの檻を打ち砕く、圧倒的な「生命の輝き」。
「はぁぁッ!」
一閃。 白銀の光の軌跡が、レプリカントのタクトと、彼らを繋ぐ魔力線を真っ二つに切り裂いた。
パリンッ!という甲高い音と共に、空間を埋め尽くしていた無数のクリスタルが、ただの光の粒子となってハラハラと舞い散る。 完璧だった旋律は途切れ、レプリカントは火花を散らして膝をついた。
「……私達の、舞の勝ち」
刀を振り抜いた姿勢のまま、凛は静かに息を吐いた。 魔力線を断たれた女性ソードが、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。その顔には、先程までの無機質な冷たさはなく、どこか安らかな表情が浮かんでいた。
「すごいです、凛……! さっきの凛の魂のこもった舞、まるで美しい名画みたいでした!」
ミコトが興奮した様子で駆け寄り、凛の手をぎゅっと握る。 その言葉に、凛は前髪の奥で少しだけ照れくさそうに微笑んだ。
「ミコトが、私の動きに合わせて魔法を放ってくれたからだよ。…画竜点睛、完璧な仕上げだった!」
「ふふっ、バディですからね!」
二人は、光の粒子が消えゆく劇場跡地で、顔を見合わせて笑い合った。 しきたりでも、過去のデータでもない。今この瞬間、二人の心が重なり合って生み出したものこそが、この冷たい世界を塗り替える「本物の輝き」なのだと、二人は確信していた。




