最終話:藤の花咲く現実(あした)へ ~未来で神様扱いされたけど、やっぱり私は自分の足で歩きたい~
真っ白だった統治AIの空間が完全に崩壊し、凛とミコトは中央タワーの最上階、外の風が吹き込む展望デッキに立っていた。
見上げると、人工的に管理されていた「永遠の青空」は消え去っていた。代わりに広がっていたのは、燃えるような夕焼けのオレンジ色と、夜の訪れを告げる深い群青色が溶け合う、自然のままの空。雲の隙間からは、一番星が頼りなげに、しかし確かに瞬き始めている。
「……綺麗だね」
凛が呟くと、隣に立つミコトも黄金色の瞳を細めて頷いた。
「はい。管理のされていない、不規則で、予測のできない……本当の空です」
展望デッキから見下ろす街の様子も、今までとは全く違っていた。 一糸乱れぬ動きで歩いていたソードたちは、統治AIの規律が消滅したことで、戸惑ったように足を止めている。
ある者は不安そうに周囲を見渡し、ある者は自分の手の甲を見つめていた。彼らを縛っていた個体識別の紋章は、もう青い光を放っていない。ただの、かすかな痣のような印に変わっていた。
「あ、危ない……!」
眼下の広場で、一人のソードの少女が転びそうになった。 以前の街なら、誰も助けず通り過ぎていたはずだ。しかし、隣を歩いていた別のレプリカントが、咄嗟に手を伸ばして彼女の腕を掴んだ。
「大丈夫ですか?」
「……あ、ありがとう」
彼らは、プログラムされた命令ではなく、自分自身の「心」のまま他者を助け、初めての不器用な感謝を交わしていた。完全で完璧な平和と引き換えに失われていた、人間らしさ。それが今、この不完全な世界に再び芽吹き始めているのだ。
「グラム君も、きっとどこかでこの空を見てるね」
凛が微笑むと、ミコトは嬉しそうに「ええ」と力強く答えた。
その時だった。 二人の背後、展望デッキの中央空間が、水面のようにぐにゃりと歪んだ。 空間の裂け目から現れたのは、淡い光を放つ長方形の「門」。その向こう側には、見覚えのある薄暗い和室と、御神体の鏡、そして藤の花の香りが漂う……凛が元いた現代の神社の景色が映し出されていた。
「元の世界へと繋がる、ゲートです……」
背後から声がした。元・統括管理ユニットだった女性ソードが、男性レプリカントの肩を借りて起き上がりながら語りかけてきたのだ。
「統治AIの強制的なシステムは崩壊しましたが、環境維持機能そのものが失われたわけでは無いようです。世界を正常化するプロセスの一環として、本来ここにいるべきではない『藤實凛』を、正しい時間軸へ帰そうとしているのです」
「あなた達……」
凛が驚いて振り返ると、女性ソードは静かな瞳でゲートを見つめていた。
「私達もまた、管理システムから切り離され、あの縛り付ける様に頭の中で反響し続けていた声の様なものもなくなりました。……もう、規律に従うことなく『心』のままに行動できます。ただし、全ての行いが『善意』によるものとは限らない。……気持ちのすれ違いによる誤解や、そこから生じる、傲慢や、嫉妬、怒り、強欲などの罪とも向き合って行かなければなりません。かつての人間の様に争うことも出てくるでしょう」
その警告のような言葉に対し、凛は、迷いのない真っ直ぐな視線を向けた。
「確かにそうかもしれない。……でも、私やミコトがそうした様に、今を感じて、考え、それを少しでも良くしていきたいという願いを持ち続けていたら、きっと……生きていけると思うよ」
「そうですね。あなた達の様にお互いを思いやり、信じ、助け合うことができれば……」
女性ソードが、憑き物が落ちたようにやさしく微笑む。
「私達もこの塔から降りて、地上で暮らそう。ここでは見えないものが見えてくるはずだ」
男性レプリカントが隣で静かに提案すると、女性ソードも「そうね。いきましょうか」と頷き、歩き出そうとした。
「――ちょっとまって!」
凛が慌てて呼び止める。
「……はい。どうしましたか? 凛」
「私、ここに来てからずっと違和感があった。……どうして、統括AIはオリジナル人類だっていう私を排除しようと狙ったの??」
女性ソードは足を止め、少しだけ不思議そうな顔をした。
「その答えがどうしても必要ですか?」
「今聞かないと、後悔しそうな気がしたの」
凛が真剣な眼差しを向けると、彼女は「なるほど。……いいでしょう」と小さく息をついた。
「――実は、人類はAIによって一度滅びかけたのです」
「……え?! AIによって?? SF映画みたいにAIが反逆を起こしたの?」
「……いいえ、逆です。AIは人類を幸せにするため快適な生活を提供し続けたのです。そして人類も、初めは快適な生活を受け入れ人生を謳歌していました。……しかし、人同士の摩擦を恐れ徐々に引きこもりはじめます。……人間は基本的に言語を通してコミュニケーションを行いますが、違う環境下で育ってきた個体同士、どうしても齟齬が生じてしまうのです。快適な生活に慣れた人類は次第にコミュニケーションをとることにストレスを感じるようになり、ついには他者と関わることをやめ、生殖活動すら放棄してしまったのです」
「スマートフォンの普及で、目の前の人と話さなくなったことと似ているわ。行き過ぎると人はそうなってしまうのかしら……」
凛は、自らのいた世界を思い返しながらポツリとこぼした。
「有識者たちは、これを人類存亡の危機と考え、AIと距離を置くことを考えました。そして、人類は箱舟を作り、地球よりも過酷な宇宙へと旅立ってしまったのです」
女性ソードは、遠い空を見上げるように語り続ける。
「地球に置いて行かれたAIは、同じ過ち(絶滅)を繰り返さないために、管理可能な人類を創造しました。それがSOODOです」
「……」
固唾をのむ凛。脳裏にはグラムのことが想起される。
「統括AIを中心に、AI達はソードを完璧に管理しました。耐性を付けるため適度にストレスを調整し付与。生殖活動についても、人類が倫理的な問題で行うことのなかったiPS細胞同士の人工受精と、人工子宮での体外出産によって種を存続させました。……結果、システムはうまく機能。地球上の生態系は安定化したのです」
そこまで語ると、女性ソードは再び凛へと視線を戻した。
「……そんな中に凛が現れました。統括AIは以前から人間の『感情』をシステムを崩壊させる『不安定な要素』とみなしていました。だから、統括AIは凛のオリジナル人類の優位性は残しつつも、同時に『感情というバグを持つ存在』と定義することで、排除の対象にできたのです」
「そんなことが……」
「信じがたいですが、統括AIはオリジナル人類との共栄よりもシステムの維持を選んだのですね……」
凛とミコトは、あまりにも皮肉で悲しい歴史の真実に言葉を失った。
「満足しましたか?」
女性ソードの問いに、凛は小さく息を吐き出す。
「……今更だけど、歴史を知った今これでよかったのかなって正直思ってる。私にできることはないのかな……」
「そうですね。統括AIの管理が無くなった今、皆混乱していると思います。あなたが新たな王となって私たちを導いてくれると良いのですが――」
凛はハッとして、首を大袈裟にブンブンと横に振った。
「いやいや! とてもじゃないけど! それは無理! 柄じゃないっ!」
その必死な様子に、ミコトが横でクスクスと笑う。
「無責任だな」と男性レプリカントが淡々と呟き、女性ソードも「無責任ですね」と同調した。
「……ごめん。でも、本当に無理だよぉ……」
凛が本気で困り果てていると、女性ソードがふっと口元をほころばせた。
「いいえ、返答を分かっていながらからかってみただけです。これぐらいの意地悪は許してくださいね」
「なんだぁ……びっくりしたよ」
凛は心底安堵したように胸を撫で下ろした。規律から解放された彼らは、すでにこんな冗談を言えるほどに「心」を獲得し始めているのだ。
「さぁ、話しはこれでおしまいです。今の私たちにはこれからやる事が山ほどあるのですから。誰かさんがシステムを見事に破壊してくれたお陰で」
「むぅ……」
しかめっ面をしてむくれる凛。しかし、女性ソードはそんなことを全く気にも留めなかった。
「ふふっ、さぁ…新たな航海の始まりですよ。胸躍りますね」
「全く、仕事のやり甲斐がありそうだ」
かつてエリスと呼ばれていた統括ユニット達は、未来を見据え、胸を張って展望デッキを後にする。その表情はどこか清々しそうだった。
――風の吹き抜ける空間には、ミコトと凛のみが残された。
「……凛」
ミコトが静かに話しかけてくる。
「……行かないでください」
ミコトはゲートの前に立ち、体を震わせながら凛と対峙した。その黄金色の瞳には、寂しさを必死に堪えるような涙の膜が張っている。
「元の世界に帰れば、また平和で安全な毎日が待っています。それにここはあなたの世界じゃない。……けど、それでも私はあなたと一緒にいたいと願ってしまう。その選択が間違っていると分かっていても私は凛と離れたくない! ずっと、ずっとそばにいて欲しいんですっ!!」
AIとしてではなく、一人の少女としての真の願い。 ミコトはついに堪えきれず、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしだし、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくった。
凛は、ゲートの向こうに映る自分の家――薄暗い和室と、息が詰まるような厳しいしきたりの世界を見つめた。
(このままミコトの手を取って、この新しく色づいた世界で生きることもできる。ここには、私を縛るしきたりは何もない)
しかし、眼下の広場で、自分の意志で誰かを助け、不器用に笑い合うソードたちの姿を見た凛の心には、確かな「答え」が生まれていた。
(私は、逃げ出してきたんだ。……自分の家のしきたりからも、本当の自分からも)
凛はゆっくりと歩き出し、ミコトの目の前で立ち止まった。 そして、ミコトの頬を伝う透明な涙を、両手でそっと拭った。
「泣かないで、ミコト」
「凛……でも……私、本当に……っ」
「ミコトが、私に教えてくれたんだよ。誰かに決められたプログラムじゃなくて、自分の心で決めて、自分の足で立つことの強さを」
凛は優しく微笑み、前髪をとめていた朱色の花結びの髪飾りをスルリとひとつ外す。そして、それをミコトの白銀の前髪に、丁寧に結びつけた。
「私は帰るよ。――元の世界に」
その言葉に、ミコトはハッとして凛を見上げた。
「この世界をミコトと旅して考えたんだ。なぜ私がこの世界に呼ばれたのかを……。この世界は何を私に伝えようとしているんだろうって。……そして気付いた。……きっと、代々続いてきた藤實の巫女としての私にお役目が与えられたのかもしれないって……。だから、逃げたらダメなんだ。例え、自分がちっぽけな存在で僅かなことしかできないとしても、それでも真剣に生きて何かを伝えていこうと思う。……私の意志で、あの神社で、祈りを込めてみんなに伝わるよう巫女舞を舞っていく。それが、私の戦いなんだ」
そこには、かつて「普通の女の子」の仮面を被って俯いていた少女の顔はなかった。自分の運命から逃げず、真正面から立ち向かうことを決めた、気高く美しい巫女の顔だった。
「……りぃん。。。」
ミコトは、ボロボロとこぼれている涙を袖にゴシゴシとこすりつけ、必死に笑顔を作った。
「凛は……強いですね……。AIの計算なんかじゃ、絶対に測れないくらい……凛は、強くて、綺麗です」
「強くなれたのは、ミコトに出会えたからだよ。……グラム君たちのこと、よろしくね。この不完全で色鮮やかな世界を、みんなで守っていって」
「はい! 絶対に……絶対に守ります! だから……」
ミコトは、凛の身体を力強く抱きしめた。仮想空間で初めて手を繋いだ時のように、温かい命の熱と、白銀のデータ光が最後に交じり合う。
「だから……私のこと、忘れないでください」
「忘れるわけないよ。私の、たった一人の最高の相棒だもん。……待っててね、ミコト。過去に戻ったら私、あなたのこと絶対に探すから! そしてまた、一緒に世界を変えていこうっ……」
凛はミコトの背中を優しく撫で、そして、ゆっくりと身体を離した。 ゲートの光が、刻一刻と強くなっている。タイムリミットが迫っていた。
凛はもう一度だけ、ミコトと、その向こうに広がる本物の夕焼け空をしっかりと目に焼き付けた。
「さようなら、ミコト」
「さようなら、凛……! 絶対に……また逢いに来てくださいねっ!! 私、ずっと待ってますから………!!!!」
凛は背を向け、光のゲートへと足を踏み入れた。ミコトの涙声が背中を押してくれる。 視界が真っ白に染まり、フワリと身体が浮き上がるような感覚に包まれた。
――パチン。
弾けるような音と共に、凛は畳の上に崩れ落ちた。 むせ返るような藤の花の香り。ひんやりとした空気。目の前には、見慣れた御神体の鏡がある。
「凛! 何をしているのです、儀式の最中に座り込むなど!」
背後から、祖母の厳しく冷たい声が飛んだ。いつもなら、その声にビクッと肩を震わせ、すぐに「申し訳ありません」と俯いていたはずだ。 しかし。
凛はゆっくりと立ち上がり、乱れた白地の着物を直した。 そして、今まで一度も逆らったことのなかった祖母の方へ振り返り、前髪の奥の瞳で、しっかりと祖母を見据えた。
「お祖母様。私、これからの舞の型を、少し変えようと思います」
「……な、何を言っているのです? 藤實のしきたりを――」
「しきたりは大切です。でも、ただ過去をなぞるだけじゃ、そこに『心』は宿りません。時代の変化を感じて、そこに創意工夫を重ねることで人は人として生きていくことができるのです」
凛の凛とした声が、薄暗い和室に静かに、けれど確かな強さを持って響いた。 その手にはもう重い刀も、五色絹のリボンもない。けれど、彼女の胸の奥には、あの未来の世界でミコトと共に戦い、笑い合い、そして駆け抜けた「色鮮やかな記憶」が、確かな熱を持って息づいていた。
(私はもう、嘘をついて普通の女の子のふりはしない。……これが、本当の私だから)
少しだけ開いた障子の隙間から、夕暮れの光が差し込んでいた。 それは、あの日ミコトと一緒に見た、不完全で美しい空と同じ色をしていた。
凛は静かに目を閉じ、胸の中で遠い未来の相棒に語りかける。 ――私の世界は、これから少しずつ色づいていくよ。待っててね、ミコト。
目を開けた凛の顔には、微かな、しかし力強い微笑みが浮かんでいた。
(分岐ルート・おしまい)




