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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

落ちこぼれた人の話

作者: 大森張力
掲載日:2025/12/20

電気が眩しい……

 あ、え、うそ。あああああ! 死ねなかった。しくじった。最悪。終わった。

 身体のどこかをぐちゃぐちゃに掻きむしってやろうと思ったけど、腕が言うことをきかない。両腕ともなぜか肘の辺りで脳信号が止まってしまう。

「ああ! 先生! 目、覚ましてくれました!」

 お母さんが泣き声混じりに叫んでいる。自分の腕が上に持ち上がったのが見えたそのときに初めて、お母さんが自分の手を握っていたということに気づいた。極限まで足が痺れているときの感覚とそれは似ていて、手を握られているという感覚はない。お母さんが号泣しながら言っている。

「よかった、よかった。よくがんばったね」

 よくない、と言おうとしたが、声にならなかった。声が出なかった。今、私がこの世界にいるという事実が受け入れられなくて、もう一度目を瞑ってみる。光が瞼越しに入ってきて眩しい。

 やっぱり生きている。我思うに我ありってことだ(使い方が違うかもしれない)。

 どうしてこの世にまだ私はいるんだ。

 何をしくじったのか、思い返してみる。


 ここ数年、日本では毎年二万人近くの人が自殺で亡くなっているそう。これはつまり、最大で二万タイプの自殺の手段があるということを意味している。まあ、ダブりを考慮しても、せいぜい百通りくらいは手段があるんじゃないだろうか。その中の内一つぐらいは私にぴったりの方法があるはずだから、とりあえず一つずつ考えていこう。そう思ったのが大体半年ぐらい前ぐらいだったか。


 それで、一番最初に思いついたのは、やっぱり定番の首吊り。一番オーソドックスで、手短に済ませらえる手法。最初はこれでいいやと思ったものだが、いざするとなったときに、一つ、重要な問題にぶち当たった。首を吊れるところが、意外にも全然ない。創作物を参考にしてみても、首吊りで死ぬキャラたちがどこから首を吊っているのか分からないものが多い。

 首を吊れる場所の条件というのは、「身長より高い位置にある、体重をしっかり支えながら吊ることのできる場所」である。クローゼットだと足が付いてしまう。カーテンレールだと折れる可能性が高い。ドアノブ式は、やり方がよく分からない。自宅の梁は逆に位置が高すぎて、紐を結ぶことができなかった。外の木の枝で吊るのもアリだったが、屋外だと誰かに引き止められる可能性があるため、人に見つかる前に手短に縄を結ぶ技術が必要になる。そんなものは勿論無いし、それを身につけるために練習をするというのも、生きている時間の無駄である。

 唯一、逝けそうだと思ったのは、学校のトイレの中の荷物掛けだった。ただ、あの簡素な作りの荷物掛けに私の体重が果たして支え切れるのかどうか、若干怪しかったのと、貴重な個室トイレの内の一枠を潰してしまうというのが申し訳なかったと思ったのでやめた。


 ところで、自殺を考える上で考慮すべき点として、「人への迷惑」というものがある。

 人への迷惑とは、人にイヤな思いを、面倒な思いをさせるかどうか、ということである。一般的に、自殺をするとなった際は人へ迷惑をかけないで死ぬことが求められる。例えば今の個室トイレでの首吊りの場合、私の死体を見つけることになる清掃員か誰かに迷惑をかけることになる、でしょ?

 他にも、病院で死ぬ場合は病院の関係者各位に迷惑をかけることになる。救急車で運ばれる際には、救急隊員に迷惑をかけることになる。サービスを受けたければ、サービスを提供する人に迷惑をかけることになる。学校で勉強したければ、学校で働く先生たちに迷惑をかけることになる。あるモノが欲しければ、そのモノを作る人に迷惑をかけることになる。酸素が吸いたければ、他にも酸素を吸って生きている、人類及び地球上に住む全生命体に迷惑をかけることになる。

 こう考えていくと、人というのは常に誰かに迷惑をかけていることになる。常に誰かに迷惑をかけながら生きているということになるはずである。

 しかし、死ぬときだけは頑張って生きる人たちに迷惑をかけてはいけないというのだ。私としては、これは非常に理解に苦しむものなのだが、それが社会通念としてまかり通っているからには、私もそれに従わなければならない。

 で、話が脱線しかけていたが、つまるところトイレでの首吊りは、清掃員に迷惑ということで却下された。あとトイレの花子さんにも迷惑だろうしな。「トイレに巣食う幽霊はアタシだけで十分じゃー」って、そんな感じの文句を、きっと言われる。しかたない。


 それで、次に思いついたのが飛び降り。日本では首吊りに次いでメジャーな自殺方法だと思う。しかしながら今の時代、簡単に屋上に出れる建物というのはそうそうない。ベランダから逝こうにも、死ねるほどの高層階に住んでいるのは景気の良い勝ち組の人たちだけだから、そんな友達もいない私にはそれも無理だった。唯一、大学の近くの渓谷みたいなところに架かっている橋からなら逝けるかもと思って、今年の春ごろに一度行ってみたことがある。

 そこの橋の欄干には高さ2メートルぐらいの自殺防止用のフェンスがあって、死ぬには最期の試練としてそれを乗り越える必要があった。もちろん一筋縄ではいかなかった。フェンスの錆びた部分が手に刺さるような感じがして痛かったし、橋の上って風がよく吹くから、見た目の割に登るのにすごい体力が必要だった。それでも、途中までは割とさくさく登ることができた。ただ、最期の最後、フェンスの鼠返しになっているところの登り方がどうしても分からなかった。どう頑張っても重力に負けてしまう。まあ、ちゃんと日頃から運動していればいけたんでしょう。ここに来て日頃運動をろくにせず、ぐーたらして過ごしていたのが裏目に出ましたねー。というわけで、残念ながら、飛び降りも断念。


 次に練炭。一酸化炭素中毒で人が死ぬのは、一酸化炭素という物質が身体に毒だからという訳ではなく、酸素を運ぶ赤血球が酸素と間違えて一酸化炭素を無限に運び続けちゃうから、身体に酸素が回らなくなって死ぬのだ、ということを、学校の化学の授業で習ったこととしてなぜか唯一覚えております。これはシンプルに、すぐ気持ちよく逝けなさそうだからやめました。だって、これって数分はかかるんじゃないの。私は速く、スピーディーに死にたいんだー。

 ちなみに、海とかに飛び込んで溺死も、同じ理由で却下されました。苦しみながら死ぬなんて勘弁だよね。


 それで、次に食中毒。冷蔵庫に入れずに常温で放置した卵やら牛乳やらを食べる。これも最初は良さげじゃーん、と思ったけど、こちらもすぐに死ねるわけじゃない、というかそもそも死ねるか怪しい。致死性が、あんまりないような、気がしませんか。単純に死ぬほどの腹痛がやってくるだけのような、気がしませんか。死ぬことができず、代わりに死ぬほどの痛みを味わわせられるという方がよっぽど最悪だと、思いませんか。

 というわけで、残念ながらこれも断念。

 あとさらに他にも、急性アル中とか、薬物大量摂取薬物大量摂取(オーバードーズ)とか、そういう飲食を伴う系の自殺は基本的に全部すぐには死ねない、もしくは死ねないんじゃないか、という結論が出されました。口じゃなくて、首とか頭を狙って逝け、という教訓をこのときに得ました。


 次。車に乗って車ごとどこかから落ちたり、すごい速さを出してどこかに衝突したりして死ぬ。これもかなり良いと思った。

 免許は持ってないけど、どうせ死ぬので無免許運転でも大丈夫。エンジンをつけます。前面のよく分からないメーターみたいなものが赤く光ります。車のどこかからブルブル音がし始めます。シートベルトは、これから死ぬのでしません。アクセルを踏むと、エンジンがブォンって鳴ってびっくりした。次にハンドルを回すと、回した通りに車の向きが変わって、これまた感動した。

 まず、家の駐車場から車を出して、スピードを目一杯出すことのできる大通りに出ようと思いました。

 出れました。しかし、いざ大通りに出てみると、微妙に車が通っていたんですよ。その車にもし衝突してしまえば、その車の運転手に迷惑をかけてしまう。

 そうして結局、フルスピードを出せないまま辺りをぐるぐるしていたら、遠くの方でパトカーの赤色灯が光っているのが見えました。無免許がバレて逮捕されたら死ねない! やばい! そういうわけで、ガチでめっちゃ急いで家に帰りました。この時は本当に死んだと思った、死んでないけど。

 と、いうことでこれも失敗。

 今思えば、最初から普通にお向かいさんの家に突っ込んでも別に良かった。お向かいさんごと道連れして殺せば、迷惑はかけないで済むだろうから。あ、でもあの世で会った時に気まずいな。じゃあやっぱダメかあ。残念。

 と、いうことで、車も断念。


 さあ、ここまでくるといよいよ非現実的なものばかりになってくる。

 まずは凍死。地球温暖化のこの時代に? 却下。

 焼死。自宅に放火してその家の中で死ぬ。外部の人に通報されて消防士の方が救助に来ちゃったら申し訳ないし、何より近所の人に迷惑をかけると思うので却下。

 餓死。数日単位で時間がかかるだろうので却下。

 刺殺。自分のお腹をぶすっと。ロマンはあるけど、まあ無理でしょう。腹切りだって介錯人がいたから成り立っていたらしいので。却下。

 コンセントにフォークをぶっさす。やばいらしいけど、これで死んだという前例を聞いたことがないので多分無理なんでしょう。却下。

 殺人。誰かに殺してもらう。界隈の治安が良すぎてそんな人いません。

 却下。銃。無い。却下。猛獣に喰われる。いない。却下。

 生き埋め。やり方不明。却下。

 死刑判決を頂く。遠回りすぎ。却下。

 安楽死。できるほどのお金があったらこんなこと考えていません。却下。

 老衰。はあ。却下。


 と、いうような脳内会議を数ヶ月続けた結果、電車への飛び込みが決定されたのでした。

 電車に飛び込むというのは人に迷惑をかけまくる自殺の代表例として有名な気がしますが、これは逆なんですよ。私のちゃっちいどこかの骨を、上手いこと電車の車輪が食ってくれたとしたら、脱線アンド横転を起こして電車に乗っている数百人を巻き添えに殺すことができるので、迷惑をかけなくて済む、でしょ? あの世に行ったとしても、数百人も死者がいれば知らんぷりを決めることも充分に可能でしょう。

 最寄り駅までは徒歩十五分。よし。

 轢かれる電車を待っているときのあの感覚はよく覚えている。たぶん、今後一生この感覚を覚え続けることになるんでしょう。真っ暗ではあるけど、この世界のなんでもを軽々と吸い込めてしまうほどのエネルギーを持つブラックホールを、心の中に閉じ込めているみたいな、そんな気持ち。

 私が飛び込んだ瞬間、ホームにいた人たちは、今頃どうしてるかな。私が飛び込んだとき、どう感じたのか。一瞬すぎて、何も感じなかった可能性もあるけど。

 あ、ていうか私が飛び込んだせいで電車が遅延しちゃったかもか。それは全然考慮してなかった。うわ! そうじゃん、ごめーん。結局迷惑かけとるやんけー。下手したら私が電車を止めたせいで、人生計画が崩れた人もいたかも。少なくとも私はこれで人生計画が崩れちゃったよ。えぐいてー。うっわぁガチごめん。

 もうこの時点で失敗だな。その節は本当に申し訳なかったです。

 で……? ああ、それで、失敗した原因については、思い当たるのがいくつかあります。

 一つはホームで飛び降りたこと。普通に考えて、ホームに停まろうと減速している電車に轢かれるより、フルスピードで走っている電車に轢かれる方が死ねる確率は高い。なのに私はホームで飛び降りてしまった。たぶん、私ぐらいの年の子たちは創作物の中だと大体みんなホームから飛び降りて死んでいっているから、変なところで影響されたのかもしれない。

 もう一つ考えられるのは、飛び込む瞬間になぜか少し走ってしまったこと。飛び降りるときに私が少し、本当に少しだけ走ってしまったせいで、電車の速さと私の速さに合成速度が生まれて、線路の方向にぶっ飛ばされて電車の車輪にミンチにされるのではなく、線路の外側の方向に斜めにぶっ飛ばされてしまったということ。ベクトルの足し算の、あの三角形のイメージである。

 だからつまり、走るようにして轢かれるんじゃなくて、倒れるようにして電車に轢かれていれば、ミンチになって死ねていた可能性が高かったかもしれないってこと。ここにきてまさか、学校で習うことが生活の場面で登場するとは思わなかった。

 総括すると、私の自殺の失敗要因は、勉強及びリサーチ不足だったということ。


 はあ。


 なんか、もうしばらくはなんも考えたくないかもな。もうなんでもいいや。もう一回寝ればワンチャン死ねるんじゃねえかな。よし、おやすみなさーい。


 電気が眩しくてなかなか寝れない。

誰か、電気を消して

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