15-2.
そうして、双方に「少し考えさせて欲しい」と返事を返してから大分経った。
何事もなかったかのように、セーフティネット、生活保護政策の立ち上げは進んで行く。職業訓練や、その後の就業支援については、人手が足りないエッドガルドさんも大歓迎のようで、諸手を挙げて受け入れてくれた。人員も含めて対応してくれるらしい。私の発明品を取り扱っていることや、この案件のせいもあってか、エッドガルド商会は大分規模が大きくなったように思う。
さらに、住むところのない人の住居、病院の建設、医師の配属については、公主閣下が斡旋して下さった。こういう、普段は何事もなかったかのようにせっしてくれる。
私は、日々、エッドガルド商会、公主閣下のおられる城に足繁く通い、忙殺されることによって、あの問題について見て見ぬふりをしようとしていた──。
◆
「アンネリーゼ男爵令嬢、ね……」
一人遊学のためと称してデラスランド公国に残った王弟マルク・ハイデンベルグは、柱の陰からアンネリーゼの様子をうかがっていた。いや、むしろ、日々彼女の動向をうかがっていた。
「そもそも王太子の婚約者だったため、妃教育は履修済み、容姿に加え語学も堪能で『バーデンの青い宝石』と謳われる程。デラスランドに移って自由になってからは、その知性を発揮して、様々な発明品を開発し、私財を蓄える。それに飽き足らず、その私財は国の恵まれない民のためのシステムを構築する……完璧だ。完璧すぎるほどの逸材だ」
ニヤリ、と一人笑う。眼鏡をクイ、とあげてこう呟いた。
「……私の妃にぴったりだ。兄上にも報告するか」
◆
一方バウムガルデン王国では。
「未来の義弟として接してきたから、まだ異性として認識できない……ってッ!」
ぐしゃりと帰ってきた封書を握りつぶす。もとからの穏やかな性格に似合わず感情を高ぶらせて、姿見の前に立つ。
「弟としてしか見えないなら、男として見えるように、する……!」
まだ幼さが残る一因のひとつ、ひとつに結っていた髪を掴み、ナイフを取り出すと、バサリ、と髪を切り落とした。
「私は、デラスランド公国に花嫁を迎えに行く!」
そう宣言した。
◆
「随分、建設の方も進みましたね」
今日はちょうど病院の建設状況を視察に行ったところだった。概ねの施設は整い、あとは一緒に来てもらった医師たちに不足はないか尋ねたりと、忙しくも充実した一日だった。
「では私はこれで失礼しようと思います」
「今日はもう遅い。警備のものもつけて、送ろうか? ……他意はないよ?」
例の求婚のことをさしているのだろう。くすりと笑って冗談っぽくいうことで私の心を軽くしてくれる。
「大丈夫ですよ。我が家の馬車も待っていることですし……」
「そうかい? じゃあ、私はここで見送るとしよう。ああ、そうだ。美しい髪飾りを作らせたから、つけて帰ってくれないか?」
「えっ。そんな、勿体ないです……」
私は、度々の贈り物に恐縮する。
「いったろう? 『君を口説く』って。……まあ、もので君の気持ちを変えられるとは思っていないけどね?」
そういって、私の髪の横に簪を差し込んでくれる。一歩近づいた公主閣下の背が高く、私は見あげる形になる。
黒い髪がりりしく、長い睫毛が縁取る灰色の瞳が知性を感じさせて、私は触れられそうな距離の耳朶が熱くなるのを感じた。
──きっと、女性たちのほとんどが公主閣下を一目見たら恋しているはず。
公主閣下は素敵な方だ。その上にこの国の公主という肩書きもある。まだ、未婚だというのが不思議なくらいの方だ。
「ほら、こっち。姿見があるからこっちに来て」
優しく私の両肩に触れる。その手は私のものよりも大きく熱い。そして、節くれ立って固かった。
姿見に、私と、その背後に立つ公爵閣下が映る。髪飾りは最初に贈ってくれた首飾りと合わせられるようにしてくれたのだろうか。花をかたどったアクアマリンが美しい逸品だった。
「良かった。似合っているよ。君の瞳の色とそっくりだ」
公主閣下が耳元に顔を寄せ、ささやきかけると柔らかな声と吐息が耳をくすぐる。
その声と吐息と、二人が姿見に映っていることが私を意識させる。
──私は閣下と似合いだろうか。
ふ、とそんなことを思う。それを恐る恐る尋ねようと思った時──。
「アンネリーゼさま、バウムガルデン王国より使者が参っていらっしゃるそうです。至急お戻り願いたいと、ご実家からの伝言です」
「……あ」
戸惑っていた間に、問いかけるタイミングを逸してしまった。
「わ、わかったわ。……今、戻ります」
互いに名残惜しげに、目と目を交わす。
そして、私は部屋を後にした。
◆
「こんな時間に使者……?」
もうすっかり日は落ち、月明かりが空を照らす時間だ。しかも、バウムガルデン王国からというところが、公主アルベルトにとっては気になった。あの一家にとっては因縁の国だから。
「……馬を出せ」
「は」
「……念のため、あとをつける」
月明かりがあるから、アンネリーゼを乗せた馬車のあとを追うのは容易かった。そして、ようやくアンネリーゼの家の前に着いてみると、なんとバウムガルデン王家の家紋をつけた馬車が家の前に付けていた。
「……なぜ……?」
アルベルトが呟く。彼は知らなかった。アンネリーゼが再びバウムガルデンの、しかも今度は第三王子のエリアスから求婚されていることを。
不審に思ったアルベルトは、心の内で「済まない」と思いながらも、屋敷の中に忍び込む。幸いにして、急な来客に慌ただしさを感じさせる家の中は、侵入者を容易く受け入れてくれた。
そして、アルベルトは声のする方へと入っていく。そして、細く扉の隙間を開けた。すると、アンネリーゼとエリアスが向かい合って立っていた。
「エリアス殿下……!」
アンネリーゼの声がした。
髪の長さが変り、多少姿が変ったところはあるものの、かつて見たことのある、エリアスその人だった。
「……使者って……。だって、お断りしたじゃないですか。しかもご本人が、ふれもなく急に来るなんて!」
「断った」という言葉に、アルベルトも安堵する。
しかし、アンネリーゼは驚愕している。まさか、国境をまたいでまで新王太子本人がやってくるとは思わなかったのだろう。
「私がもう子供じゃないところを、君に見てもらいたくてね。直接会いに来たんだ」
相手が相手のため、仕方がなく招き入れたとはいえ、時間も時間だし、非公式に国をまたいでやってきていることに、アンネリーゼの両親などは眉根を寄せている。
「髪も幼く見えるから切ったし、馬の鍛錬も、剣の稽古もした……全ては、君を迎え入れるために」
エリアスが一歩アンネリーゼに近づく。
「……だから、理由はともあれ、お断りした、と申しているんです!」
アンネリーゼは、エリアスの言葉を拒絶するように、一歩後ずさった。
「どうして!? 兄上は廃嫡した。当然だ。あなたと婚約破棄するなんて愚かなことをするからだ。だから、母上が断罪した。辺境の地の戦場へ追いやったんだ。だからバウムガルデンはあなたに最大限の謝罪をした。だから僕は、今度こそ僕の番だ……! 僕があなたを手に入れる……!」
アンネリーゼは大きく目を見開いて、エリアスの狂気にかたまってしまい動けないでいる。そんな彼女に、エリアスの魔手が伸びようとする。




