7-3.
「……っと、話を戻して、と」
そういうアルベルトの言葉で、アンネリーゼの顔も引き締まる。
「例のソロバンを魔道具とした場合、ソロバンの権利と、それを魔道具とした技師と、特許料は按分されることになるだろうが、それは構わないな?」
「もちろんです」
「前の絵本やら、ソロバンやら、電卓やらと、特許料や著作権料で随分と潤うだろうが、どうするんだ? 父親に上の爵位でも買ってやるつもりか?」
爵位を買うというと裕福な商人が男爵の位を買うといった、汚らしい行為、というイメージが強いのだが、実際のところ、複数爵位を持っていて、それを余らせて困っている家もある。また、どの領地も富を生むとは限らない。
緑豊かな麦をたくさん実らせる土地を持つ領地。希少だったり、高価だったりする鉱石を生む鉱山を持つ領地。
それらは誰からも望まれる。
だが、そんな土地ばかりではない。
魔物の跋扈する森を保有する土地。なにを植えても育たない痩せた土地。隣国と接していて、緊張感の緩むことのない土地。ただし、最後の土地については、「辺境伯」など侯爵相当の相応位と実戦的な武力を持った貴族が、先祖代々護っているのだが。
「うーん……、爵位、ですか?」
眉を寄せて考えてから、アンネリーゼは父バルタザールの方を見る。
すると、バルタザールも苦笑いして、「いいよいいよ」といったジェスチャーで返してきた。
「お父さまは爵位は今のままで良いようです。ですので、教会に寄付します!」
「アンネリーゼ……」
良い思いつきだといわんばかりに片手をあげて答えるアンネリーゼを前に、アルベルトが額を頭で支える。
「あら、いけませんでしたか?」
「ぽいぽいぽいぽいと、稼いだお金を放り込まれる教会のことも考えようよ」
脱力したアルベルトはつい砕けた口調になる。
「うーん。お金に困っている人を助けるのには、継続的に資金を与えることと聞きました。だから、いい案だと思ったんだけれどなぁ」
つられてアンネリーゼまで口調が砕けかける。
「アンネリーゼ。確かに継続的な資金の提供は必要だ。本当に働けないものには、最低限の生活の保証もね」
「……セーフティ、ネット」
「ん?」
「民の生活の、最後の、救済の網のことです」
「聞き慣れないな。十進数といい、セーフティネットといい、その名前は君の発案かい? だとしたら、君はいい言葉を思いつくね」
アルベルトがニコリと笑う。
──あはは。前世にあった言葉であって、自分の発想ではないとは、この状況では説明できないなあ。
心の中で苦笑いをしているアンネリーゼを余所に、アルベルトの政策案は止まらない。
「そう。たしかにセーフティネットは必要だ。だけど、民にそれに甘んじさせてはいけない。努力すること、それによってより良い生活を得ることができる、そんな希望を持てる国にならなければならないのだ!」
そういって、アルベルトがぐっと片手の拳を握る。
それを聞いて、アンネリーゼははっと我に返る。そうだ。支給されるお金に甘えて、働けるのに働かなかったり、嘘の申告をしたりという不正受給は許してはいけない。
──って、それにしても公爵閣下ったら、随分前衛的な考え方をなさるのね。
アンネリーゼは心の中で驚いた。
前に住んでいた大国バウムガルデンは──いや、この世界はといっていいだろう。典型的な封建社会だ。王族、貴族が頂点で支配し、農民、商人がそれを税を支払うことで支える。その見返りとして王族や貴族は、外敵から納税者たちを守るのだ。
それに比べて、今の公主閣下の発言は自由競争主義的な意味合いを持っていたように感じた。いや、だからといって、都の外壁の外には魔物もいるし、盗賊、山賊といった輩もうろついていると聞く。
そう考えると、閣下のお考えなのは、封建主義と自由競争主義のいいとこ取り、といった考え方なのだろうか。
うーん、と真面目に思案に耽ってしまうアンネリーゼ。
そうしてしばらく思案に耽っていると、トントン、と机を指先で叩く音がした。
アンネリーゼはなにかと思って音のする方に視線を送る。
すると、やや厳しい顔をしたアルベルトが机の上に載せた書類を突いているではないか。
「そろそろ仕事に戻れ」ということなのだろう。
──さっきまで理想を語っていらしたのは、閣下なのに。
少し頬をふくらませて、アンネリーゼは自分の書類に視線を戻す。すると、それはアンネリーゼで決裁できるものではなく、公主閣下自らが決裁すべきの内容の案件だったのだ。
「公主閣下──……」「アンネリーゼ……」
語りかけようとすると、互いの呼び合う声が重なり合う。
「お先に……」
アンネリーゼが引くと、「ありがとう」と答えてからアルベルトが一枚の書類を持って立ち上がる。そして、アンネリーゼの座る席までやってきた。
「御用でしたら、私の方から行きましたのに」
アンネリーゼが恐縮すると、「いやいや」と笑って返すアルベルト。
「そういう堅苦しいことはこの執務室で働くものには、気にする必要はないよ。で、本題だ」
そういって、アルベルトはピラリと一枚の書類をアンネリーゼの前に置いた。
「これは、私が決裁すべき書類だろうか?」
その問いに答えるように、アンネリーゼは首を横に振る。
「いいえ、閣下。それは父や……そうですね、私でも決裁可能かと思います」
そう答えると、満足そうに口の端をあげてアルベルトが笑う。
「で、来ていただいたところに恐縮なのですが……」
アンネリーゼも、先ほど手もとに置いていた書類をアルベルトの前に差し出す。
「ん?」
眼前に差し出された至近距離の書類に、アルベルトが視点をあわせる。
「こちらは逆に、閣下ご自身でなければ決裁できないような類いのものとお見受けしますが、いかがでしょう?」
そう問われると、アルベルトはアンネリーゼから目の前の書類を取り上げ、上から下まで慎重に確認する。
「確かにそうだ。よく手もとで留め置いてくれた、アンネリーゼ。これを安易に許可していたらまずい事態に陥るところだった。良くやったぞ」
「お役に立てて光栄です」
アンネリーゼは、素直に彼の役に立てたことを喜んだ。




