7-2.
そうして数日。
「……これは酷いですね……」
とある書類を計算し終えて、アンネリーゼがソロバンとペンを置いてため息をつく。
この世界の数字は、偶然か必然か、前の世界のものとほぼ同じだった。
だが問題はそこではない。そうなれば、金額が大きくなればなるほど、ゼロの数が多くなる。そして、ただの足し算ならばまだ良いものの、かけ算、割り算となると、途中の計算でゼロを増やしたり減らしたり、数字をごまかしたりと、やりたい放題の書類が山積みなのだ。
ふう、とため息をついて、アンネリーゼが椅子に深く腰掛けなおす。
「公主閣下、ひとつ提案があるのですが」
「なんだ、申してみよ」
アルベルトも、自ら手がけていた書類の手を止めて、アンネリーゼを見る。
「ここの、三桁ごとに、カンマをつける規則にしてはどうでしょう」
そういって、試しに、かなりの額の予算案に消すことが可能なインクで書き足してみる。
「ほう。これなら、どの程度の金額なのかが視覚的にわかりやすい。ああ、そうだ。あなたが家から余分に持ってきてくれたというソロバンだが、あれは一度理解すれば使い勝手が良いな。精査の時間が短く正確に済む」
そういって笑ってみせると、アンネリーゼが嬉しそうに笑い返す。
「……と、そうか」
思い出したように、アルベルトが自らの顎をトンと突く。
「アンネリーゼ、あなたは確か、絵本という子供用の本の発明で特許権を申請していたね」
「あっ、はい。ご存じで……」
「ああ、女性が特許を申請してくるのは珍しいし、あのバーデン家の令嬢ということもあって目に留まったんだ。……でだ。このソロバンも、特許申請して、広く世に広めないかい? 特に数字を扱う、我々経理を監査するものや、商人なんかは喜ぶと思うんだよ」
あのというのは、どういう意味だろう? と心の中で引きつりながら、アンネリーゼが尋ね返す。
「そんなに必要とされますでしょうか……?」
「さっきいったとおり、監査するもの、商人と、ごまんといると思うぞ」
うーん、とアンネリーゼは悩んでしまう。
──あ、でも。
ふと、過去の前世の光景を思い出す。
みんな計算するときは一部の人を除いて大多数が計算機を使っていたわよね。そう、ソロバンの電子版の電卓!
この世界にも電卓があったら、たいして使い方を学ぶこともなく、みなも簡単に計算ができるようになるのではないだろうか?
「あの、閣下」
「どうした? アンネリーゼ」
「この、ソロバンの機能を、魔道具として自動計算できるようにするのは可能でしょうか?」
「そう、だな……」
考えるときのクセなのだろうか。アルベルトが顎をトントンと叩く。
「機能は単純、魔力源としては、ゴミとして破棄する程度の魔石があれば十分なはず……」
すさまじい勢いでアルベルトが考えを口にしていく。
「おい、そこの侍従! 王家直属の魔道具師を呼べ! ドワーフ職人のラッセルだ!」
「はいっ!」
名指しされた侍従が、百八十度向きを変えて、まっすぐに廊下を走っていった。本来は廊下を走るなどマナー違反なのだろうが、公主からの勅命である。しかも、アルベルトの剣幕からして、急を要するくらいには読み取ったのだろう。
「魔道具……ですか?」
ランプだったり、上下水道だったり、そういったものが魔道具でまかなわれているというのは、この世界で成長する中で知った。
──だけど、電卓なんて作れるの?
この世界に住んでいて、前の世界にあったものがないことに、アンネリーゼも不自由を感じたことはある。それで生み出したのがソロバンだ。実家の大工に作ってもらった。
さすがに実家はお抱え魔道具師などはいなかったから、ソロバンで限界だったのだ。
というか、公主と会話を交えるまで、思い出しもしなかった。
──なんだか、公主閣下とご一緒だと、なんだかできないことはないんじゃないかと錯覚しそう。
ふふ、とアンネリーゼは袖の下で微笑む。
「どうした、アンネリーゼ」
「いえ、公主閣下とご一緒ですと、なんだかできないことなどなにもないのではないかと思ったのです」
そういって、アンネリーゼは花がほころぶように笑った。
それを見たアルベルトの顔がばっと赤く染まる。
アルベルトの脳内に、王妃となったアンネリーゼとともに国政を行う様子が頭に浮かぶ。自分とアンネリーゼの間には、自分の髪色の黒を継ぎ、アンネリーゼの瞳の青を継いだ男の子がともに仲睦まじく座っている。
「え?」
それを見たアンネリーゼが、なぜ? と問うように首を傾げる。
「閣下?」
「あ。ああああ、なんでもない。んっ、うん……。確かに、できないことなどなにもなさそうだな。あなたには、思いもよらない発想力がある。そして、私には公主としての人脈と財力がある」
「確かに、公主閣下にできないことなどなにもなさそうですわね」
ふふっとアンネリーゼが微笑む。




