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7-1.令嬢、業務改革をする

 そうしてしばらく経ったある日のこと。

「お邪魔しております」

 いつもは公主アルベルトの執務室にはいない女性がひとりいた。彼女はにこりと笑みを浮かべて、カーテシーをする。頭を下げるとさらりと銀の髪が肩を滑り、過去のあのときを彷彿とさせる。そして、顔を上げてまっすぐ、素直そうにアルベルトを見る瞳は、湖水のような青。

「私は、アンネリーゼ・バーデンと申します。ご無沙汰しております。決算が年度末の繁忙期ということで、父バルタザール・バーデンの手伝いに参りました」

 そういって、再びアルベルトに向かって一礼する。

 年度末の繁忙期で忙しいときに駆け込みでねじ込んでくる予算案やら、忙しいのを分かっていてわざと不正を紛れ込ませた予算案が提出されてくるのだ。アンネリーゼはそのために父バルタザールに応援を頼まれたのだ。

 ──あのときのアンネリーゼ!

 しかも、「ご無沙汰しております」ということは、幼きあの日のことをきちんと覚えているということ。なんという知性だろう。まだ小さな少女だったというのに。

 確か、あのあと王太子の婚約者だった間、彼女は王太子妃教育を受けていたと聞いている。それによって、あの才知は、さらに磨きがかかったのだろうか。

 容姿は、あのあどけない少女が麗しい少女に成長していたらと想像したとおり。銀の髪は絹糸のようで、そして、礼儀に長じ、知性を湛えた湖水のような瞳。頬はほんのりとピンクに色づき、唇はまるで旬のサクランボのよう。

 ドクン、とアルベルトの胸が高鳴った。

 ──中身は? 心も素直に美しく成長しているのだろうか?

「閣下、我が娘アンネリーゼをこちらで使ってもよろしいでしょうか?」

 そんなとき、ともにいた父親であるバルタザールが懇願するような目でアルベルトに尋ねた。

「……貴族女性が算術を嗜むというのはあまり聞かないが、バルタザールが願い出るほどに、あなたは算術に長けているのかい?」

 アルベルトは意表を突かれた。

 そのとおり、貴族女性の嗜みに、算術はあてはまらない。稀に、夫を亡くした女領主が仕方なく女主人となるべく学ぶのがほとんどだ。

 本来であれば、うら若きアンネリーゼが、算術など学ぶ必要などないはずである。

「長けている……と自ら申しあげるのはおこがましいのですが、私は、とある便利な道具を使うのです」

 そういって掲げて見せたのは、前の世界での「ソロバン」だ。

「なんだ? それは……」

 興味を見せ、片手を伸ばしてくる。アンネリーゼは素直にそれをアルベルトに手渡した。

「何だこの玉は。ああ、木の棒に玉が通してあるのか……」

 アルベルトはかざすようにしてソロバンを眺める。

「はい。上にあるひと粒を五、その下にあるよっつの玉はそれぞれ一として扱います。そして、縦一列で最大九までを積み上げることができるのです。昔、特別に家のものに作ってもらいました」

「なるほど……だが、その先の計算はどうするのだ?」

「はい。今まで積み上げてきた九をゼロに戻し、次の左の玉をひとつはじきます。ここは十の桁になるのです。この国は十進数……十ずつに位が上がるという計算法を取っております。ですから、この道具を使うことによって、正確に、この計算機がある限り桁まで加算、減算することができるのです」

 アンネリーゼは、あえて、「この世界」ではなく、「この国」と称した。

 ──私は、この国で生まれて育ったのだもの。「他の世界」を知っていてはおかしいわ。

「ほほう……。理屈は知解した」

 ──今の説明で分かってしまわれるなんて。

 アンネリーゼは驚きで息を呑む。

「それにしても、アンネリーゼ。『十進数』などとは、良い名付けをするな」

「あっ」

 しまった、とアンネリーゼは失敗に気付く。「十進数」はこの世界にない言葉だったのだ!

「だが、その十進数とやら、この国の算術の形をよく捉えていて、良い名付けだな、アンネリーゼ」

 幸いに、アルベルトは、「十進数」をアンネリーゼの名付けと思い込んだようだった。

「確かに、この国の計算は十ずつ位が変わる。そして貨幣もだ。我が国の通貨、公国銅貨千枚で公国銀貨一枚に、公国銀貨千枚で公国金貨一枚と扱われる。……よく気がついたな、アンネリーゼ!」

 アルベルトは機嫌が良さそうに、ぱしっと小気味よい音を立ててソロバンをアンネリーゼに返す。

「それだけ分かっていれば、十分算術への理解が深いことが分かる。……バルタザール!」

「はっ!」

「賢く、良い娘を持ったな!」

「はっ、ありがたきお言葉!」

 そうして、アンネリーゼは年度末の決算期の書類精査に加わることになった。


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