6-2.
一礼してブランデンブルグ卿が部屋を去ると、部屋はアルベルトひとりになる。
「あの聡明なお嬢さん、どんな令嬢に成長しているんだろう」
彼の中で好奇心が疼く。
バウムガルデン王国とデラスランド公国の平和条約が結ばれたおりに、アルベルトも幼いながら、相手国のことを知っておいた方が良い、という父母に連れられて渋々付いていった。歳の頃は十歳頃だったろうか。
王子教育を受けているといっても、まだまだ他国語は流暢に操れず、バウムガルデン王国の人々の輪の中からひとり離れて壁際でときが経つのをただ待っていた。
そんなとき、声をかけてきてくれたのが、幼き日の彼女だった。
──アンネリーゼ。
『他国語を話す人ばかりで、退屈していませんか? 大丈夫ですか?』
そう、流暢なデラスランド語で、アルベルトよりも五歳ほども幼い少女に語りかけられたのだった。
絹糸のような銀色の髪、湖水を思わせる青い瞳。そしてなによりも目を引いたのは、きゅっと口角の上がった愛らしい笑顔だった。
『え……』
『あ、そうだ。ちょっとここで待っていてくださいね!』
驚きで一瞬固まってしまって、彼女の小さな背中を目線で追う。その小さな身体は大人たちに紛れてしまって見失ってしまったけれど、しばらく待っていると、彼女は両手に細身のシャンパングラスを持って帰ってきた。中には薄紅色の液体が入っている。
『お待たせしてごめんなさい。わざわざデラスランドからいらしてくれたのだから、ぜひ、我が国の特産品を口にしていただきたくて。お酒は入ってないから私たちでも大丈夫。さあ、こちらをどうぞ』
そういって、片方のグラスを渡される。
彼女があまりにも流暢にデラスランド語を操ってくれるので、つい、私もそれに甘えて会話もデラスランド語で話を続けてしまう。
『君はその年で随分流暢にデラスランド語で話すんだね。正直驚いたよ。今いくつなんだい?』
そう尋ねると、少女ははっと気がついたように、グラスを側にいた給仕のものに預けて、両手でスカートを摘まんでカーテシーをする。
『私は、バーデン伯爵家の長女、アンネリーゼ・バーデンと申します。』
慌てて頭を下げたときにさらりと肩から零れ落ちる銀の髪が、部屋を照らすシャンデリアに照らされて複雑に煌めく。
そして、顔を上げた彼女の瞳は青。まるで深い湖水のような瞳だった。
『バーデン……』
そういえば、と思い出す。
さきほど、アレクサンドラ女王陛下が、とある少女に「バーデン家の青き宝石」と名付けたとかなんとか、という話だ。
「君が、『バーデン家の青き宝石』か」
「やめてください、恥ずかしい。女王陛下が大げさにおっしゃりすぎなんです」
そういってアンネリーゼと名乗った少女は、顔をうつむき加減にした。そこから覗く頬は恥じ入りほんのりと色づいている。それがアルベルトの心に一層愛らしさを沸き立てる。耳朶までその色が染まっていることなど、彼女は気付いてもいないのだろう。
──恥じ入り、耳朶まで赤く染めて、愛らしい。
アルベルトは心の中でアンネリーゼを愛らしい少女だと微笑ましく思った。
──歳の差はそうだな、私が十歳、彼女が五歳だというから、ちょうど五歳前後といったところか。
教養も礼儀も申し分ないし、すでにデラスランド語を習得している彼女であれば私の花嫁に望んでも、申し分ないだろう。すでに教養豊かで気の利くアンネリーゼを、アルベルトは好ましく思っていた。
その結果、彼女との婚約を父王に相談しようとアルベルトは考えた。
彼女はバウムガルデンの伯爵家令嬢だが、確か母親がバウムガルデン王国と血を連ねる公爵家の出のはず。そうであれば、地位は他国の伯爵といっても、なにも問題はないだろう。王子教育で学んだ自国他国の貴族に関する教育が、こんな場面で役に立った。
そこで、ふとアルベルトは気がつく。
俯いたままのアンネリーゼを放って置きっぱなしだ。
『レディ、いつまでその花のかんばせを私から逸らしているのです? その愛らしい顔を私に見せてはくれませんか?』
まだバウムガルデンの言葉に精通していないアルベルトは、言葉はアンネリーゼに甘えさせてもらい、デラスランド語で続けた。
すると、いつまでも俯いていたことに気がついたアンネリーゼが、ぱっと顔を上げる。その花のかんばせは、たとえれば純潔の白い百合の花のよう。
『失礼しました、アルベルト殿下。つい、恥ずかしくてご接待すべき殿下をおいて、顔をうつむけたままにするだなんて』
そうしてアンネリーゼはわびるために二度目の礼を執る。
『いいよ、大丈夫。ところで、せっかく持ってきてくれた飲み物が温くなってしまう。一緒に飲まないかい?』
そういって、アルベルトは手に持ったままのグラスを掲げてみせる。
『あっ! そうでした!』
はっとしてアンネリーゼが辺りをきょろきょろすると、グラスを預けられたままの給仕が困ったような顔をして笑っていた。
「さ、アンネリーゼさま」
「長々とありがとう!」
──給仕のものにも敬意を払えるのか。
彼らは使用人。貴族やその子女たちには、彼らをもののように扱う輩もいる。だが、彼女はグラスを持ち続けてくれていた給仕に敬意を払っている。
「いえいえ。これも私の仕事のうちですから。それでは」
給仕は彼女にグラスを渡すと、その場を後にした。
『では、どうしましょうか……』
互いにグラスに口を付けてから、辺りを見回す。そのたびに銀の髪がハラハラ絹糸のように日に輝いて美しい。
──可愛らしいな。
アルベルトは思う。
『そうだ! この城の庭園の中央に、真っ赤なバラの園があるのです。「赤の女王」の名にちなんで。そこを見に行くのはどうでしょうか?』
アルベルトは給仕に二人分のグラスを下げさせて、アンネリーゼに手を差し出す。
『いいね。それは素晴らしい。さあ、行こう』
そうして私たちは楽しい時間を過ごしたのだ。
ところが、だ。
国に戻ってから、彼女との婚約を父母に願い出ようと思っていたところ、既に、あの「赤の女王」に先手を打たれていたのだ。
当時のアルベルトは、これぞ、と思った少女を失い、唇を噛み、ツメが食い込み血が滲むまで手を握りしめたのだった。
◆
「そうか!」
一人になったアルベルトは、バン! と両手で机を叩く。
「バルタザール・バーデン卿が我が国の貴族になったということは、彼女を娶ることも可能ということか! そもそも、婚約の話もなくなったと聞く! 家格は、彼女の父親の功績次第でなんとかなる……っと、悪いクセか。先走りすぎだな」
ふう、とため息をついて、椅子に深く腰を下ろす。
周囲からあまりに「結婚しろ」攻勢を受けていたため、ぱっと現れた昔の思い出の彼女にすがろうとしてしまった。
そもそも、隣国の王太子から婚約破棄をされて移住してきた身。アルベルトがほのかに想いを寄せた、あの頃の幼き日から、素直で愛らしい女性に育っているとは必ずしも限らないのだ。淡い思い出が大きすぎる理想になっている可能性だってなきにしもあらずなのだ。
「……そうだな……」
アルベルトは思案げに顎を撫でる。
「まずは、今の業務状況を改善すべく、バーデン卿を私付きの書記官にしよう。嫁だなんだとかはそのあとだ」
そういって、山のように積み重なった書類の山を叩く。
「誰か! 誰かいないか! バーデン卿を私の部屋へ呼べ!」
そうして、バルタザール・バーデンは、公主アルベルト直属の書記官となったのだった。




