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第三話…女(8749)の幕 桃色いびるキック

こっからなんと第二の主人公の登場となります。


 私は誰なの?


 孤独すら忘れさせらる白と灰色の部屋で女は呟いた。初めてこの部屋に入ったときは、まるで牢屋みたいだわと思った。今は少し古風な木製の机とお気に入りの茶色くて脚の長いベットなどが置いてあり、少しは私の好きな様になっている。清潔感あふれる部屋には窓が一つだけ。窓の外はいっそう緑が濃くなった木々で覆われ、暖かい木漏れ日が部屋をぼんやり照らしている。


 



 今となってはこが唯一の私の居場所、この部屋にいると安心する。


 なにせ私はもう五年もここにいる。今朝も先生はしばらくすれば思い出すよって言ってくれたけど、たしか四年と三ヶ月前にも聞いて、その二週間あとにも聞いて、更に一ヶ月あとも聞いた。そのあとはだいたい二週間から一ヶ月半に一回くらいで聞いたっけ。


 ここに来てからは日常のほとんどを記憶するようになった。日記をつけるのが楽しいから。しかしそれよりもより怖かった。覚えないとまた忘れそうで。






 ―――――私は十二歳のとき友達の誕生日会へ行った。それからのつらい毎日は覚えている。


 ―――――でも、それより前のことが何一つ思い出せないの。






 ―――――気が付くと私は道を歩いていた。手には友達の誕生日に渡すはずだったクマのぬいぐるみを持っていた。


 ―――――でも、それを誰に渡したかったのか覚えていない。


 ―――――もしかしたらそれはプレゼントなんかじゃなくて、混乱する私が自ら作り出した嘘の記憶なのかもしれない。









 ―――――恐ろしく日差しの強い住宅街、通りには誰もいない。


 あれ?私こんな所で何やってるんだろう。ぬいぐるみ?何これ?


 そうだ、ゆかちゃんの家に呼ばれてるんだったわ。ゆかちゃんちどっちだろう?ゆかちゃんて誰だろう?


 たしかママが知ってるはずだわ。お家に帰らなくちゃ。あれ?お家何処だろう?






 ―――――あれ?


 ―――――あれ?


 ―――――――――――――――私、誰だっけ…………。


 さんさんと降り注ぐ光は、舞台の猿を照らすスポットライトみたいで大ッ嫌いだった。すがる思いで電柱にもたれ掛かかり、黄ばみがかった貼紙を目でなぞる。


「しもざわクリニック、来月オープン!!」何か思いだして。お願い。


 後で気づいたことだが、この時私が無くした記憶は私の生活の全てと言っても過言はなかったが、幸い言葉や知識、日常において一通り必要なことは忘れていなかった。


 私は歩き回った。ただただ。思い出せる気がして。始めのうちは平気だった。頭でも打ったんじゃないの。きっとすぐに思い出せるわ。


 一時間…二時間………五時間。歩いている内に小走りになり、小走りはいつしか全速力になった。靴は脱げ、靴下はボロボロになったがそれでも私は走った。


 ここ何処?ねえ、誰か教えてよ。私、誰?ねえ、誰か答えてよ。


 遠くで犬の遠吠えが聞こえる。何気ないその叫びは世界に自分がいることを誰かに伝えているんだって今分かった。


 わけが分からず道端の郵便ポストの横で泣き続けた。自分に降りかかった事実を子供ながら理解した。“きおくそうしつ”漢字なんてちんぷんかんぷんだった。泣いた。涙がなくなっちゃうくらい。そうすれば「お母さん」が来てくれると思った。でもそのお母さんの顔すら思い出せなくてもっと泣いた。


 







 そこに白髪の多い、感じのいいおじいさんが声をかけてきた。「お嬢ちゃん、どうしたの?」ぬくもりのある温かい声は混乱した私を心底安心させた。


「誰?私を知ってるの?」少し泣き止んだ私は答えた。


 おじいさんは、自分は「医院長先生」だと名乗った。おかしな名前だと思った。


「なんにも思い出せないの」また泣きそうになった。この世に自分の居場所なんてどこにもない気がした。

「それは困ったなあ」院長先生は私より困ったような、それでいて泣きそうな顔をした。


「よし、じゃあとりあえず今日はうちに来なさい。今日はもう暗いから」

 そう言って院長先生は私を先生と同じくらい優しい先生の奥さんのいる家へと連れて行ってくれた。


 もしあのまま誰も声をかけてくれなかったら。


 もう私なんて何処にもいなかっただろう。



 ――――始めの一ヶ月くらいはずっと院長先生の家にいた。


 私のことを方々探してみてくれたが、結局わからなかったらしい。私が十五歳の時に聞いたのだけれど、警察に聞いても捜索届けも出ていなかったらしい。それを聞いたとき私はまた泣いた。私の探している人たちは私なんていらなかったんだ・・・。


 身元不明の子供として保護されそうになった私を医院長先生は自分の家に引き取ってくれた。


 バーベキューをしたり、医院長先生の友達のパーティーに招待されたりして本当に楽しかった。一人なことを忘れようとしたがそれでも毎晩泣いた。あの日聞いた犬の遠吠えのように。


 一ヶ月を過ぎると、私はこの施設に連れてこられた。医院長先生は養子になれと言ってくれたが、そこまでお世話になるのはいけないので断った。


 ここの人たちはいつも笑顔で明るかったがそれでいて遠く感じられた。他に入居者が数人いるだけでその人たちもいつも自分の部屋に閉じこもっているのでたまらなく寂しかった。



 そんな私を気遣ってか、医院長先生はたまに会いに来てくれた。お金のない私に家具を買ってくれ、施設のお金も払ってくれた。


 






―――――いつまで待っても迎えは来なかったけど、最悪でもなかった。何でこんなにやさしくしてくれるの?私の問いに医院長先生は「孫ができたみたいでうれしいからさ」と答えてくれた。私がいることで喜んでくれる人がいる、そのことは私を幸せな気持ちにしてくれた。






 そんな優しい医院長先生ももういない。半年前、七十歳になった医院長先生は老衰で亡くなった。お葬式では泣かなかった。



どこも傷のない姿は、優しい優しい院長先生に神様が与えてくれた幸福な死にかたのような気がしたから。


 



その一週間後、今度は六十八歳になる院長先生の奥さんも老衰で亡くなった。


 



 そのあと私は一人きり。本当は四年前になってしまうはずだったから、寂しいといえば贅沢になる。


 



 私は誰なんだろう。


毎日同じことを考えながら過ごすうち、なんだかつらくなってきた。


せめて自分の名前くらいは思い出したい。



「次、診察どうぞ〜」看護婦さんがドアから顔を出し、私を呼んだ。


 いつも笑顔のその看護婦さんも私の名前を呼んだことはない。私にすら分からない自分の名前……。


「はい、今行きます」

 一人がけのソファーから立ち上がると、私は変わらない日々が心底嫌になった。私を探してくれる人も心配してくれる人もいない。



 いつまで続くんだろうかと考えた。どこまでも続く廊下を歩くようなひとりぼっちの淋しい時間の連鎖。


 



 


 見上げると天窓から光が差し込んでいた。スポットライト、あの悪夢の始まりの日みたい。





 そう、私はまだ舞台の上なのね。




 私は窓から中庭へと抜け出した。何もかもが狂ったあの日、私の過去、そして私の名前…。すべて取り返す旅に私は出た。


8749というのはこのキャラクターの登録されている保護対象者番号です。本編で触れるかどうかは未定ですが。。


次回もよろしくおつきあいください。

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