キャラが立つということ
遥は、ずっと「役に立たなければ、生きている意味がない」と思い込んでいた。
誰かの手伝いをする。頼まれたら断らない。自分の気持ちよりも、相手がどう思うかを優先する。
だからこそ、遥は「いい人」だった。でも、心の奥は、いつも少し空っぽだった。
ある日、職場でのプロジェクトでチームを組むことになった。リーダーは後輩のミナ。遥よりも年下で、ちょっと天然で、でもやたらと明るくて、周囲を巻き込む力があった。
ミナは言った。
「遥さん、すごく優しいけど、本当の意見を聞きたいんです。遥さんの“キャラ”、もっと知りたいなあって思ってて」
キャラ?
遥の中で、その言葉が引っかかった。
──私は“キャラ”なんてない。ただ、人に合わせて、役に立てるようにしてきただけ。
けれどその日、ミナが笑って言った言葉が、遥のなかで何かを崩した。
「私、実はめちゃくちゃ不器用なんです。だから遥さんがフォローしてくれて、本当にありがたくて。でも、遥さん自身のことも知りたいんです。“支える人”じゃなくて、“そのままの遥さん”を、見たいです」
不器用でもいい。天然でもいい。明るすぎても、間が抜けていても。
ミナは、ただ“自分のまま”で、ちゃんと人の役に立っていた。
そうか。
役に立つって、無理して誰かの土台になることじゃないんだ。
それは、自分らしく“立つ”こと。
自分の輪郭がはっきりして、その存在そのものが、誰かの光になること。
それに気づいた日から、遥は少しずつ、自分の色を出すようになった。意見を言う。弱音も少し吐く。変だと思っていた自分の癖も、意外とチームの雰囲気を和ませていた。
「遥さんのコメント、さりげなくてツボなんです」
「今日も遥さんの声が落ち着く~」
「そういう視点、すごく助かる!」
誰かの“役に立つ”って、こういうことかもしれない。
誰かの期待に合わせることじゃなくて、自分の“立ち方”を見つけること。
遥はようやく、自分の足で、ちゃんと“立って”いた。