9.一人で歩いても、結局迎えに来るんだな
最近、街の中でやたらと視線を感じる。
こっそり見られて、目が合うと逸らされる。だけど全員、決まって女性だ。
(……スキルの影響、強くなってねぇか?)
レンは眉間を指で押さえて溜め息をついた。
常時発動型のスキル『フェロモン』。自分の半径五メートル以内にいる全ての“メス”を引き寄せてしまう、というどうしようもない代物だ。
(わかってるよ。スキルのせいだって……けどな、わかっててもこれ、正直キツい)
今朝、同行していたリズとメルは、別件の依頼で東門方面に向かった。ギルドマスターのガロスが「たまには手分けして行動してみるのもいいだろ」と提案してきたのだ。
(……っていうか、あいつらがいない今のほうが静かで助かる。いや、あいつらに悪気はないのはわかってるけど)
最近では、リズのほうが露骨に距離を詰めてくるし、メルもどこかで妙にベタついてくる。悪意はない。でも、それが逆に困るのだ。
そんなわけで、今日は久々の単独行動。軽めの依頼を片づけようとギルドへ向かうと──
「……あ」
受付嬢のアミナと目が合った瞬間、彼女の頬が赤く染まる。
視線を逸らしながら、なんでもない風を装うのがかえって不自然だ。
レンはそっと視線を外しながら、掲示板へと歩いた。
(もう慣れてきたけどさ……こういうの、ほんとに落ち着かない)
掲示板には、小規模な調査依頼がいくつか貼られていた。そのうちのひとつ──郊外にあるルスの森での小規模な異変報告に目が留まる。
「魔物の活動が増えてる、ね……これくらいなら、今の俺でもなんとかなるか」
報告を提出すると、アミナは控えめな笑顔で「お気をつけて」と言った。
その声も少し震えていたのは、やはりスキルのせいなのだろう。
街を抜け、森へ向かう道を歩きながら、レンは空を見上げた。
風は少し涼しく、空は高く澄んでいた。
こんなふうに一人で歩いていると、時折、自分が異世界に来たということを忘れそうになる。
(……でもまぁ、実際、慣れたんだろうな。最初はどうなるかと思ったけど)
リュミエルの顔が脳裏に浮かんで、思わず舌打ちしそうになる。
事故死からの転生。天界で待ち構えていた女神リュミエルに、つい冷たく当たったせいで、こんなスキルを押しつけられたのだ。
「“メス全部から好かれる”スキルって……人間性否定してんのかよ、マジで」
森の入口が見えてきたところで、レンはふと立ち止まる。
木の陰から、何かがこちらを見ていた。
目を細めると、小さな魔物──リスのような姿の生き物が、ちょこんとこちらを見上げている。
「……やっぱり来るか」
レンがそうつぶやくと、魔物は嬉しそうに足元へ駆け寄り、くるくると尻尾を振った。
「お前も“メス”なんだろ。……はいはい、撫でてやるから、落ち着け」
しゃがんで頭を撫でてやると、リス魔物はうっとりした顔を見せる。
その周囲から、さらに数匹がぞろぞろと現れ──気がつけば、レンの足元は小型魔物たちに囲まれていた。
「……スキルの範囲って、ほんとブレねぇな……」
呆れながらも、レンは魔物たちをやさしく追い払ってから、森の奥へと踏み込んだ。
森の奥は静かだった。だが、静かすぎる。
レンは警戒しながら歩を進める。すると、ぴたりと空気が変わった。
気配だ。殺気とまではいかないが、ただの魔物ではない。
「……いたな」
小さな開けた場所に出ると、そこにいたのは──
一頭の灰色の狼だった。
体長は人間の腰ほどで、目は鋭く光っている。周囲には小動物の死骸。毛並みは乱れ、明らかに興奮状態にある。
「お前が異変の原因か?」
レンは手を腰に伸ばし、短剣を抜いた。魔法のような派手な技はまだ習得していない。今はただ、地道な武器と機転だけが頼りだ。
狼が牙をむいて飛びかかってくる。
それを紙一重でかわし、脇腹に刃を滑らせる。
「ッ……!」
爪が肩を掠め、火花のような痛みが走る。
だが、引かない。
一歩踏み込み、狙いすました一撃を、喉元へ──
狼がくずおれる。
静かに息を吐き、レンは剣を納めた。
「……ふぅ、スキルに頼らず、やれるってところを見せないとな」
彼は魔物の様子を観察し、異常な興奮状態がスキルによるものではないと判断する。傷の跡や異変の傾向から、どうやら別の要因──繁殖期の突入が関係しているようだ。
(スキルで引き寄せたにしても、あんな攻撃的になるのはおかしい。ギルドに報告しておこう)
ギルドに戻ると、アミナがすぐにカウンター越しに立ち上がった。
「お、お疲れさまです、レンさん!」
「ただいま。これ、報告書」
レンが紙を差し出すと、アミナは受け取りながら、ちらと彼の肩の傷を見る。
「ケガ……大丈夫ですか?」
「あぁ、かすり傷だ。気にすんな」
「そ、そうですか……よかった……」
レンは軽く頭を掻きながら、カウンターから離れた。
視線は相変わらず集まっている。が──今日は少しだけ、肩の力を抜いて歩けている自分に気づく。
(まぁ、悪いことばかりでもないのかもな)
そう思いながら、レンはギルドの扉を押して外へ出た。
夕日が、街をやさしく照らしていた。
ギルドからの帰り道。
石畳の通りを歩いていたレンの前に、ふいに二つの影が現れた。
「──レン!」
勢いよく駆け寄ってきたのは、栗色のポニーテールを揺らす少女。リズだ。そのすぐ後ろには、腰までの銀髪を揺らすメルの姿もある。
「おかえりなさい、レンさん。思ったより早かったですね」
「ああ。そっちも無事だったか」
レンはごく自然に言葉を返す。いつの間にか、彼女たちと話すのにも慣れてきている自分に気づいた。
「リズがどうしても、今日中に戻りたいって言うので。走りましたよ、もう!」
「……あたしのせいにしないでよ。レンのこと、心配だったんだから」
リズがふいとそっぽを向く。その横顔は、どこか照れているようにも見えた。
「ま、オレも同じくらい心配してたけどな」
「それは違います。あなたが一番危なっかしいんです、レンさん」
「メル、お前もな……」
そう言いながら、三人は自然と並んで歩き出す。
落ち着いた夕暮れの街に、三つの足音が響く。