8.俺が異世界に行くことになった話
天の上、雲のさらに向こうにある白銀の宮殿。その中央に、小さな玉座がぽつんと浮かんでいた。
そこに腰かけるのは、白と金のドレスに身を包んだ少女──いや、神。天界の女神リュミエルだ。
「……相変わらず、女嫌い全開ね、あの子」
水面のような円形の鏡には、地上のとある少年の姿が映し出されていた。
少年の名前は橘レン。つい先日、異世界に転送されたばかりの転生者。
リュミエルは頬杖をついて、その様子を退屈そうに眺めている。
「女神に冷たくした報い、しっかり受けてもらわなきゃね。ふふ、後悔してるかしら?」
水面に指を滑らせると、映像がにじみ、過去の記憶へと遡っていく。
橘レンが女嫌いになったのは、中学二年の春だった。
当時、彼には好きな子がいた。隣のクラスの、明るくて誰にでも優しい女子──その優しさに、彼は本気で恋をした。
悩んで、考えて、決心して。放課後の校門前で、彼は勇気を出して想いを伝えた。
「えっ、マジ? ごめん、ないわそれ。友達としか思ってなかったし」
彼女の答えは、はっきりしていた。そして、その後ろで友達がクスクスと笑っているのが、何よりも胸に刺さった。
それ以来だった。レンは、女子という存在そのものに距離を置くようになった。
明るさも、優しさも、全部“そういう顔”なのだと、彼は思うようになったのだ。
高校生になってからも、その姿勢は変わらなかった。
授業中も昼休みも、女子とはほとんど会話をしない。誰とも揉めることはなかったが、近づいてくる者もいなかった。
そんなある日。春の嵐のような雨の帰り道、彼は傘も差さず、薄暗い道を歩いていた。
信号は青。けれど、視界の端から飛び出してきたトラックには、彼の反応は間に合わなかった。
音も、痛みも、記憶もなく。ただ、気づけばそこは──
「……よく来たわね、転生者くん!」
目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
目の前には、小柄な女の子……のように見える何者かが、胸を張って立っていた。
レンは起き上がるなり、周囲を一瞥したあと、彼女を見据える。
「ここ、どこだ」
「天界よ。あなたは死んだの。そして、転生の候補者に選ばれたの」
「……はあ」
まったく動じないその反応に、リュミエルは目を細めた。
「普通なら驚くでしょ? 神を前にして無表情って、どういう神経してるのよ」
「死んだならもうどうでもいい。勝手にどうぞって感じだし」
「なっ……!」
神を前にして、なんという冷淡な言葉。
リュミエルは目を見開き、そしてほんの少し唇を尖らせた。
『わかったわ、あなたには“素敵なスキル”を授けてあげましょう。名前は――《フェロモン》。説明は……ふふふ、異世界に行ってからのお楽しみ♪』
『おい、ちょっと待て。ちゃんと内容――』
言い終わる前に、足元が光に包まれた。無慈悲な女神の笑い声が遠ざかっていく。
これがレンが異世界に飛ばされるまでの経緯であった。
リュミエルはふっと笑って、椅子の背にもたれた。
「さて。そろそろ、面白くなってきたわね、レン。次はどんな顔を見せてくれるのかしら」