7.俺が使ってるのはフェロモンであって、媚薬じゃない
朝、いつものようにギルドに顔を出すと――空気が、何かおかしい。
男たちの視線が、やけに冷たい。そして女たちは……やけに距離が近い。というか、囲まれてる。完全に囲まれてる。
「レンさん、おはようございます♡」
「今日も香り……強めですね……」
「その、今夜って、何か予定……」
「ちょ、待て、近い! あと香りって何だよ!」
俺は手を払って距離を取るが、すぐに別の女性が背後から回り込んでくる。ああ、最悪のパターンだ。
ようやくカウンターまで辿り着くと、ギルド嬢の一人――カヤさんが、眉を寄せて俺を見た。
「……レンくん、ちょっと。こっち来て」
無言で隣の受付カーテンの中に引きずり込まれる。
「な、なんだよ、いきなり」
「さっき受付で“媚薬使ってる”って言われたわよ? 誰かが噂を流してるの。女を落とす薬を常備してる、って」
「誰だそんなバカなこと言ってんのは!」
「でも正直、それくらい不自然なのよ。あなたの……女性吸引力」
俺は額を押さえて、ため息を吐く。やっぱり『フェロモン』ってスキル、周囲からしたら完全に不審者製造機じゃねぇか。
「カヤさん、頼むから俺が変なことしてないって信じてくれよ……」
「それはまあ……理性が残ってる今なら、ね」
「今なら!?」
受付カーテンを出ると、男たちがじと目でこっちを見ていた。
「いいご身分だな、レンさんよォ……」
「女だけでなくギルド嬢まで籠絡とは。やるなァ?」
「……やばい、これ嫉妬の気配濃厚」
背筋に冷たいものを感じながら、俺はそっとメルとリズを探す。……早く助けてくれ。
「レンさーん!」
入り口から聞き慣れた明るい声が響いた。メルだ。後ろに、やや落ち着いた足取りのリズもいる。
「やっと見つけました! あ、あれ? なんでそんなに睨まれてるんですか!?」
メルが俺の背後の男冒険者たちを見て、首をかしげる。
「なぁ、メル……俺、なんか犯罪者みたいに見られてるんだけど」
「んー……ああ、もしかして噂のことですか? ギルドで、レンさんが“媚薬スプレーを開発して散布してる”って聞きましたよ?」
「……拡大解釈にも程があるだろ!?」
「うーん……でもまあ、わからなくもないです~」
メルが俺の首元に顔を近づけ、くんくんと匂いを嗅ぐ。おい、やめろ。
「ちょ、メル! また変な誤解され――」
「ほんのり甘い匂い……ふふ、やっぱりレンくんってずるいですよねぇ」
耳元で囁かれ、後ろの男たちの殺気が跳ね上がる。
「おいコラ貴様ァァァ!!」
「何かの加護でも受けてるのか!? 神にでも媚びたか!?」
俺が「違うんだ、これは女神の嫌がらせで……!」と叫ぼうとしたところで、リズが前に出た。
「いい加減にしなさい。レンにスキルがあるのは確かだけど、彼自身は何一つ悪いことはしていないわ」
いつもの無表情で、しかしはっきりとした口調だった。
「ただそこにいるだけで好かれる。……そんなの、本人が一番困ってるのよ」
その言葉に場が静まりかえる。
俺はリズの背中を見ながら、胸の奥がじわっと温かくなるのを感じていた。
……ありがとう。言葉にしなかったけど、伝わってくる。女にもこんないいやつがいるのか。
だが次の瞬間――
「はぁ~、リズたんまでレンにデレるのかぁ~……俺たち、何も信じられねえよ……」
「この国……もう終わりだ……」
男たちの魂が抜けていた。
「……なんだこれ、地獄か?」
「――お前ら、そこまでにしとけよ」
重い声が空気を割った。
一瞬で場の温度が変わる。ギルドの入り口から、堂々たる体躯の男が歩み寄ってきた。灰色の髪、鋭い目つき、肩に熊革のマント。ギルドの長、マスターのガロスだ。
「い、いけね……マスター……」
「ガロスさん……っ」
男冒険者たちがざわつきながら身を引く。
ガロスはゆっくりとカウンターに近づき、俺の前で立ち止まった。
「レン、だったな。……噂は聞いてる。だが――」
ガロスは俺の肩に手を置き、力強く言い放った。
「このギルドで実績を残した者を、俺は疑わねぇ」
「……マスター……」
なんて熱い男なんだ。
「もちろん、“何か”を隠してる可能性はある。だが、もし本当に危険な存在なら、とっくに誰かが犠牲になってるはずだ。だろ?」
背後でカヤさんがうなずくのが見えた。
ガロスはさらに周囲を見渡す。
「噂を流すのは自由だ。だがそのせいで仲間を貶めたり、任務に支障が出るようなら――そいつはもう冒険者じゃねぇ」
沈黙。誰も何も言い返せなかった。
ガロスは少しだけ口元を緩めて俺を見る。
「まぁ、俺も正直……お前の体から香ってくる“何か”は気になるがな」
「……やめてくださいよ、マスターまで……」
「ははは、冗談だ。とにかく今日は解散だ。お前ら、仕事があるならさっさと行け。噂で時間潰すほど暇じゃねぇだろ」
冒険者たちはそれぞれ散っていく。ざわついた空気が、ようやく落ち着きを取り戻していった。
ガロスが背を向け、ギルド奥へと去っていく。その背中に、妙な安心感を覚えた。
……信じてくれる人がいるだけで、こんなにも気が楽になるとはな。
「レンさん」
メルが、ふわっと微笑んだ。
「もうちょっとだけ、自分に自信持ってもいいと思いますよ?」
「……今のままで充分だ」
俺はそう言いながら、こっそり背後を警戒した。
――だって、フェロモンは今日も止まらないんだから。