19.特別な距離
朝の陽射しが、木漏れ日のようにレンの肩を照らしていた。
ギルドの掲示板の前には、昨夜の依頼で一緒だったリズ、メル、アオイ、そしてセリアがそれぞれのやり方で眠気を追い払っている。
「……緊急依頼ってわりには、意外と静かだな」
レンが呟くと、リズが肩をすくめた。
「ギルドの人が言ってたわ。あの魔物、周辺の探索でも他に目撃情報がないって」
レンは納得したように頷いたが、ふとアオイがじっと自分を見ているのに気づいた。
「な、なんだよ」
「……あんた、ちょっと。こっち来なさい」
有無を言わさず、レンはアオイに引っ張られ、ギルドの建物の裏手に連れていかれた。
「なんだよ、いきなり」
アオイは腰に手を当てたまま、鋭い視線でレンを睨みつけた。
「昨日の夜、あんたひとりで屋根の上にいたでしょ。ぼーっと、ため息ついてた」
レンは一瞬、言葉を失う。
「見てたのかよ……」
「まあね。あたし、こう見えて夜目は利くの」
レンは目を逸らした。
「……別に、ただ考えごとしてただけだ」
「うそ。あんた、自分のスキルのこと……すごく気にしてる顔してた」
アオイはわずかに声を低くする。
「『フェロモン』ってやつ、いつも女に囲まれてるくせに、あんた全然楽しそうじゃないじゃん」
「……そう簡単に割り切れるもんでもない」
アオイは小さく笑った。
「だったらさ、無理に一人になろうとしないで。……そういうの、わたし嫌いなの」
レンは彼女の真っ直ぐな目に、言葉を返せなかった。
「ま、私が近くにいてあげるからさ。あんたがどんなやつか、ちゃんと見てやる」
「お前……変わってるな」
「ありがと。わたし、特別だから」
からかうような笑みを浮かべてアオイは先に戻っていく。
レンはその後ろ姿を見つめながら、どこか胸の奥が軽くなったような気がしていた。
ギルドのホールに戻ると、リズが腕を組んで不機嫌そうに立っていた。
「随分と長い内緒話だったわね」
メルもどこか目をそらしている。
「レンさん……お戻り、おそかったです」
セリアが唇に指を当てて、ニヤニヤと笑う。
「ふふん。ま、女の子と“二人きり”で何してたのかは聞かないであげるわ。ねぇ、レン?」
「お前ら……人の事情に首突っ込むなっての」
レンが頭をかくと、セリアはくすくすと笑いながら新しい依頼書を取り出す。
「でも、次の依頼。これもなかなか面白そうよ?」
少女たちの視線が、自然とレンに向けられる。
彼の“特別”なスキルが巻き起こす騒動は、まだまだ続いていくのだった。
◆
アオイの「特別だから」という言葉は、いつまでも耳の奥に残っていた。
いや、あれはたぶん、軽口だ。自分が他の女子と同じに見られたくなかっただけ。……そうに決まってる。そうじゃなきゃ、俺の過去がよほど皮肉だ。
それでも、リズやメルが近くにいるたびに、ふとアオイの顔が浮かんでしまうのは、なぜなんだろう。
「……ねえ、レン」
リズが夕食後のギルドの談話スペースで、声をかけてきた。
「ん?」
「今日、なんか……ずっと考え事してる?」
「別に」
「ほんとに? もしかして、また“あのスキル”で困ってるとか……」
そう言って、リズの視線がちらと向けられる先には、受付の女性、テーブルの向こうの冒険者たち、そして通りすがりの給仕の娘たち。
あいつら、俺を見るたびに、目をそらさない。妙に声が高くなるし、距離感も近い。
「うん、まあ……。放っといてくれないよな、あの目つき」
俺は肩をすくめる。フェロモン。放っておけば、また誰かが膝に乗ってきかねない。
たとえば、さっきも宿に戻る道中で、見知らぬ女性が花束を抱えて走ってきて「これ、よかったら……!」とか言い出す始末だ。誰だよ。
「気持ち悪いスキル……」と、すぐ隣のセリアが毒づく。
「まったくだ」と返すと、セリアはちょっと意外そうにこっちを見た。
「え?」
「俺だって困ってんだよ、これ。自分で選んだわけじゃないしな」
セリアは口を閉ざしたあと、小さく鼻を鳴らす。
「なら、少しは態度を改めたら? どいつもこいつも鼻の下伸ばしてると思ってるのよ」
「改めてこれだよ。どこをどうしても寄ってくるんだよ、こいつら」
思わず口調が荒くなる。でも、セリアは驚くどころか、逆にうっすら笑った。
「……なら、まあ、しょうがないわね。許してあげる。ちょっとだけよ」
何が「許す」なんだかわからないが、まあ、気分は悪くない。
そのとき、メルがそっと紅茶を差し出してきた。
「レンさん。あの、もしご迷惑でしたら、わたし……距離を取ったほうが……」
「いや、メルは別にいいよ。お前らは……その、変な意味で寄ってくるわけじゃないし」
「……っ」
メルの耳がぴくんと動き、顔が赤くなった。しまった、誤解されたか。
「っていうか、なんでもない。気にすんな」
そしてまた、ふと視界の端に、アオイの姿が浮かんだような気がして、俺は頭を振った。
俺にとってこいつらは、“特別”なのかもしれない。




