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18/19

18.俺に宿ったのは、祝福か、それとも――

 夜の森は、昼間とはまるで別の顔を見せる。


 木々は風もないのに揺れているように見え、獣の気配も妙に近い。森の奥に進むにつれ、空気はひどくよどんでいた。普通の魔物ならこんな場所を好むはずがない。

 だが、何かがここを拠点にしている。そんな嫌な予感が背筋を冷やす。


「ここ、すごく、匂いがします……魔物の……それも……変な、感じです……」


 メルが耳をピクリと動かしながらそう呟いた。彼女の鼻と耳は獣人として非常に敏感だ。レン自身も、フェロモンの影響で動物的な嗅覚に近い直感が備わってきているのか、かすかな血と硫黄のような匂いを感じ取っていた。


「気をつけなさい。瘴気が濃い。普通の魔物じゃないわ」


 セリアは銀の杖を握りしめながらそう言い、レンの肩をぐいと引いた。相変わらず高圧的な態度ではあるが、どこか焦りがにじむ。


 と、そのとき。


「……ちょ、あんた、またなんか撒いてない?」


 アオイが鼻をひくつかせて、レンを睨んだ。


「……は?」


「この距離で、なんか……クラクラするっつーか、熱くなるっつーか……って、こっち見んな! その顔もアウト!」


「わ、私はっ、別に……ちょっと集中できないだけで……」


 リズが顔を赤くしながら、剣の柄を握る手をぎゅっと強くする。隣ではメルが、ふにゃあとした顔でレンの後ろにぴったりと張り付いていた。


 ——フェロモンだ。戦闘前の緊張状態で、無意識に仲間がレンの匂いに反応してしまっている。


「はぁ……。この状況でまで女を惑わすとか、あなた本気で罪深いわね」


 セリアが眉をひそめながら呟いた。いや、こっちだって困ってるんだよ。


「……みんな、距離を取れ! 来るぞ!」


 レンがそう叫んだ瞬間、地面がひび割れた。


 腐ったような肉塊の中から、異形の魔物が這い出してくる。女性のような顔をした上半身、だが下半身は節足動物のような多脚。その顔には、人の感情を模したような笑みが張り付いていた。


「な、に……これ……」


 メルが目を見開いた。


 その魔物が、レンを見つけた瞬間、狂ったように突進してきた。フェロモンに引き寄せられているのは明白だった。


「クソッ……俺が囮になる! リズ、正面! アオイ、火力頼む!」


「了解!」


「任せなさい!」


 リズが前方に回り込み、魔物の脚に切り込む。アオイが魔法陣を描いて火球を放つ。メルは一瞬ためらったが、素早く矢をつがえて魔物の目を狙った。


 ——が、魔物はフェロモンに執着しているのか、レンに向かって突進を止めない。


「こっちだ、こっち……っ!」


 レンは森の中を駆け、魔物を誘導する。背後で何発かの矢が飛び、火球が爆ぜるが、致命傷にはならない。魔物の脚の一つが彼の肩をかすめたとき、リズが剣を振るって飛び込んだ。


「レンを、狙うなッ!」


 鋭い一撃が魔物の脚を断ち切る。そこに、アオイの雷撃が重なり、ようやく魔物の動きが止まる。


「セリア!」


「はいはい、回復はこっちよ。まったく……無茶ばっかりするんだから」


 セリアの光がレンの肩を癒す。見下ろす目は厳しいが、手はやさしかった。


 ——ようやく、魔物は動かなくなった。


 その場にあったのは、黒く焼けただれた地面と、残された異様な痕跡。


「これ……“裂け目”?」


 リズが指差した先には、まるで空間が歪んだような黒い割れ目があった。


「禁術よ。……誰かが、魔を意図的に呼び出してるわね」


 セリアが小さく吐き捨てる。


「なぁ……こんなこと、普通あるか?」


 レンの問いに、誰も答えなかった。

 ただ、その裂け目を見つめるアオイが、ぽつりと呟いた。


「……あんた、なんか普通じゃないのは間違いないわ。自分でもわかってんでしょ?」


 レンは答えなかった。ただ、どこかで誰かが、自分に何かを仕掛けている——そんな不吉な直感が、心をかすめていた。


 森の魔物を討伐した一行は、深夜近くになってようやく街へと戻ってきた。


 ギルドの受付は遅い時間にもかかわらず明かりが灯っており、冒険者数人が眠そうな顔で詰めていた。リズが手際よく報告をまとめ、アオイが補足、セリアは裂け目の痕跡について簡潔に記述した。


 レンは、というと——


「……これ、あんたの匂いで寄ってきたってことでいいのよね?」


 アオイにそう訊かれて、言葉に詰まった。


「まぁ……たぶん」


「ホント、厄介な体質ね。あんた自身はわるくないんだけど、周りはたまったもんじゃないでしょ」


「言ってくれるなよ……」


 結局、フェロモンの効果で魔物まで引き寄せてしまうという現実は、冗談で済ませられるものではない。リズが斬られれば命に関わるし、メルやセリア、アオイもいつ巻き込まれてもおかしくない。


(……このスキル、やっぱり何かがおかしい)


 そんな思いを胸にしまいながら、レンたちはギルドから宿へと戻る。


 宿の自室。荷物を置き、顔を洗い、ようやく息をつく。夜の冷気が火照った体に心地いい。


「ふぅ……疲れた」


 天井を見つめながら、レンは静かに呟いた。


 ふと窓の外に目をやると、月が淡く輝いていた。


 異世界の夜はどこか不安定で、それでもどこか美しい。戦いの緊張が去った今、ようやく心が落ち着いてくる。


 けれど、その落ち着きの先にあるのは——


(俺を見てた……あの魔物の目)


 執着とも、欲望とも違う。もっと深いところから染み出すような、何か……。

 忘れようとしても、あの視線は今もどこかで残っていた。


 このスキルは、人間だけでなく、魔物まで惹きつける。


 なら、自分は——


 どこまで、誰を、巻き込むことになるんだろう。


 月は何も答えなかった。

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