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14.少しだけ、心が揺れた

 ギルドの扉をくぐった直後だった。


 リズとメルと並んで通りを歩いていた俺は、向かいの通りから男の怒号と、木製の車輪が軋むような音を聞いた。


「――馬車!? 制御を失ってる!」


 誰かが叫んだ。次の瞬間、暴走した荷馬車が通りの角を曲がりきれず、ギルド前の広場に突っ込んできた。


 まっすぐリズの方へ――。


「リズ、下がれッ!」


 俺は身体が勝手に動いていた。リズの前に飛び出し、その肩を抱えるようにして転がる。地面に背中を打ちつけた痛みも気にせず、反射的にリズを庇っていた。


 馬車はすぐ近くの石柵にぶつかり、木製の車体が砕けて停止した。砂埃が舞い、騒然とする街の声の中――


「……っ、無事、ですか?」


 メルが駆け寄ってきた。目には明らかに焦りと安堵の色が浮かんでいる。


「うん、大丈夫。ありがと、レン……」


 リズが俺の腕の中から顔を上げ、小さく微笑んだ。その頬がうっすら赤いのは……俺が抱きかかえるようにして倒れ込んだせいかもしれない。


「おい、何があった!?」


 重々しい声とともに、ギルドからギルドマスターと何人かのスタッフが駆け寄ってくる。広場には人だかりができ、野次馬たちのざわめきがあふれていた。


 そのとき――


「……あなた、レン……?」


 振り返ると、広場の端に、神官服の裾を翻したまま立ち尽くすセリアがいた。


 まるで、見てはいけないものを見たような顔。


 その目が俺の表情を――いや、リズを庇った瞬間の俺の姿を見て、何かに気づいたかのように揺らいでいた。


「……なんで、そんな顔するのよ……」


 ぽつりと呟いたその声は、群衆の騒がしさにかき消されたけど、俺の耳にははっきり届いた気がした。


 それが、“憎むべき対象”のスキルだけでない、俺という人間に触れた瞬間だったのかもしれない。


 騒動が一段落し、通りは少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。壊れた馬車の残骸は衛兵によって片づけられ、関係者の聞き取りも始まっている。


「レン、ほんとに、無事でよかった……!」


 リズがもう一度、安堵したように微笑む。胸のあたりをぎゅっと押さえて、体中の力が抜けたように肩を落とす。


「俺こそ。ぶつかったのが、リズじゃなくてよかったよ」


 そう言うと、横でメルがこっそり俺の袖を引っ張った。


「……さっきの、かっこよかったです。ご無事で、ほんとうに、よかったです」


 照れくさそうに、それでも真っすぐ俺の目を見て言ってくるメル。俺は軽く苦笑して、彼女の頭をそっと撫でた。


「ありがとな。お前らが無事で、何よりだ」


 その様子を、少し離れた場所からセリアがじっと見ていた。未だ動こうともせず、硬い表情で何かを考え込んでいるようだった。


 ……さっき、俺の名前を呼んだよな。


 あれは、きっと無意識に出た反応だったんだろう。彼女の中で、俺のことは“スキルで女を惑わす忌まわしき存在”だったはずだ。それなのに――


 ギルドに戻って、報告を終えた後のことだった。


「セリアさん、戻ってたのか。さっきは……見てたんだろ?」


 俺が声をかけると、セリアは一瞬だけ目を見開き、それからすぐに視線をそらした。


「……別に。あんなの、当たり前の反応よ。仲間を守るのは、誰だってそうするでしょ」


 言葉の端にトゲはある。でも、前よりも感情的ではない。それがむしろ、俺には少しだけ、距離が縮まったように思えた。


「そっか。……でも、お前の前でそういう“当たり前”を見せられてよかったよ」


「……なによ、それ」


 セリアが微かに眉をひそめる。でも、追い返すような強さはなかった。


 その横顔に、リュミエルが言っていたことをふと思い出す。


 ――レンの“フェロモン”は、ただ引き寄せるだけじゃない。“本当のあなた”に触れたときにこそ、真価を発揮する。


(……いや、でも、それは困るんだけど)


 俺は心の中でため息をついた。


 そんなスキルの“真価”なんて見せたくない。女嫌いの俺には、ただただ迷惑な話なのだから。


 だけど、あの瞬間、リズを庇おうとした自分に迷いはなかった。それが、どんなスキルの影響とも関係ない、自分自身の行動だったのは――たぶん、間違いない。


 ……その事実だけは、素直に受け止めておこう。


「おい、レン! セリア、お前も!」


 ガロスが遠くから手を振って呼んでいる。追加の報告があるらしい。俺はセリアに軽く手を振って見せた。


「行くぞ」


「……ええ」


 セリアは、少しだけ遅れて、俺の後ろをついてくる。


 その歩幅は、さっきまでよりほんの少しだけ、俺に近づいていた。

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