きゅい、きゅい ――ある葬式の話(こんとらくと・きりんぐ)
犯罪シンジケートの大物が自動車爆弾で死んだ。享年九十九歳。
黒いリムジンでほぼ満車状態の駐車場に場違いな涙色のクーペがやってきた。リムジンとリムジンのあいだのわずかなスペースで器用にハンドルをまわして、きちんと駐車したその運転席には殺し屋が乗っていた。その手には分厚い紙に大物の家の紋章が透かし彫りにされた葬式の案内があった。
ちなみに殺し屋はやっていない。やった下手人とその雇い主はとっくの昔に建設中の団地のコンクリート基礎のなかにバラバラになって沈んでいる。
殺し屋は車を降りた。会場の神殿が遠くにかすんでいた。森らしい深緑の靄の上を尖塔や丸屋根がいくつも突き出ていて、音楽の切れ端が風に乗って、殺し屋の耳まで届いた。
神殿の周囲を、リムジンが平原みたいに埋め尽くしていた。制服姿の運転手たちは指にタバコを挟んで、あくびをしながら、フェンダーによりかかってボスの帰りを待っていて、グレーの中折れ帽をかぶった私服刑事たちがちょこまか動いてはリムジンのプレート番号を手帳にメモしていた。
リムジンがつくる迷路を、屋根に飛びあがって、一直線に神殿に行きたい気持ちを押さえながら、やっと神殿の敷地に入ったが、そこからさらに玉砂利の道が伸びていた。
枝と葉を四角に切りそろえた人工的な森の道をボスたちがぞろぞろ歩いていた。道の左右には十メートル以上の高さがある柱があり、天使に扮装した少年たちが『死んだのは悲しいが、まあ、天国には行けるんだからいいじゃねえか。地獄に落ちててもおかしくなかったんだぜ』という気持ちを如実にあらわした、明るいのか暗いのか分からない曲をラッパで吹いていた。
殺し屋の目の前を仲が良くないと評判の西地区のボスと東地区のボスが歩いていたので、西のボスに「東のボスがあなたをクズ呼ばわりしていた」と言い、東のボスには「西のボスがあなたをカス呼ばわりしていた」と教えた。事実ではないが、心のなかでそう思っているのは間違いなく、両者のあいだでは険悪な雰囲気が出来上がった。こうした地道な営業活動が明日の依頼を生むのだ。
神殿の前庭では中央に毛むくじゃらの巨大な獣がいて、首輪で逃げ出せないようにされたうえで、柵に囲まれていた。死んだ大物の宗教では、このよくわからない毛玉モンスターを神獣と定めていて、いじめると地獄に落ちるとされていた。
弔問客の流れが、この毛玉の檻によって左右に分かれた。殺し屋はじっくり毛玉を眺めたが、これまで見たどの動物にも似ていなかった。鼻先はないも同然で、むしろへこんで見えた。一応二足歩行ができるらしいが、後ろ足が短くて、前足は退化しているみたいで毛に隠れて見えなかった。口を開けると、赤い口のなかにぬらっと光る舌があり、へこんだ顎の線に沿って、臼のような歯が並んでいた。
左右に分かれた弔問客がまた合流すると、行き止まりに数十メートルの高さから黒、黄、赤、緑、紫の旗が垂れ下がっていた。入り口はこの旗の後ろに隠れてしまっていたので、弔問客はこの重い旗を何とか押しのけてくぐらないといけなかった。ボスたちの内、気の荒い数人が火炎放射器を持ってこいと言ったが、結局、九十九歳で死んだ大物に敬意を表する形で、大きな飛び出しナイフで入りやすいよう旗を裂くだけで終わった。
殺し屋は神殿内部の〈安らぎの間〉に入った。葬儀の案内係が殺し屋ばかりが集まったところへ案内した。そこには顔見知りばかりがいたが、そのうちひとりに女暗殺者のサキ・ヴィンセントがいた。彼女には儲かるかどうかよく分からない話を手紙で持ちかけるという変な癖があった。このときは特に儲かる仕事はないと言いながら、はやく帰りたい、儲かる仕事があるんだ、そこに行ったら、手紙を出そうと言った。
「さっき儲かる仕事は特にないって言ってなかった?」
「言った」
「だよね。じゃあ、儲かる仕事はないわけだ」
「いや。ある。だから、はやく切り上げて帰りたい」
「でも、最初、儲かる仕事は特にないって言ったじゃないか」
「そうだ」
「でも、切り上げて帰りたいほど、儲かる仕事があるの?」
「いや。最初に言っただろう? 儲かる仕事は特にないって」
「んんー?」
これ以上話すと頭がおかしくなりそうなので、話題をそらすつもりで、故人について話し合った。
「いい男だった。昔気質のギャングで、こっちがカネに詰まって、ピクルスの小さいのも買えないくらい困り果てたとき、いい仕事をまわしてもらえた」
「そうそう。本当にひもじいときに、いつだって、あのおじいさんには助けてもらったもんだよ」
「いまのシンジケートはひどいものだ。チンピラか会計士しかいない」
「時代が変わったんだよ。古いぼくらはお払い箱さ」
いよいよ葬儀が始まった。全身を小麦粉まみれになったパンツ一枚の男が神官長を自称した。そして、自分に続いて、同じ祈祷句を唱えてほしいと言った。
神官長は体をくねらせながら、
「バイミフイミー、チイミジュイニー」
「ばいみふいみー、ちいみじゅいみー」
「バックラス、ボコタノーヂ」
「ばっくらす、ぼこたのーぢ」
「キュイ、キュイ」
神官長が飛び跳ねたので、殺し屋も、きっとこの場にいる全員が飛び跳ねるのだろうと思い、
「きゅい、きゅい」
と、飛んだ。誰も飛ばなかった。
「くそったれ」
「なかなかかわいかったぞ」
「くそったれ」
さて、そのあいだも内務省秘密報告書のなかで〈極めて危険な犯罪者であり、恐ろしく狡猾〉と赤字で書かれた男たちが、訳の分からない呪文を唱えていた。
祈祷が終わると、故人とのお別れの儀式が始まった。
祭壇には棺無しで故人を小麦粉まみれにしてパンツ一枚で横にすることになっていたが、死に方が死に方なので、焼き過ぎたハンバーガーのパテみたいなものがひと塊置いてあるだけだった。それでも儀式の格式を守ろうとしたのか、パテの隣にはひと握りの散らした小麦粉とブリーフパンツが置いてあった。
神官長が粉を散らしながら、さあ、お別れの言葉をお願いしますというので、ボスたちは一列に並んで、ハンバーガーのパテに言った。
「じゃあな、ボス」
「あの世でも達者でな」
「おれ、もうハンバーガーが食えないよ」
サキが、さらばだ、ハンバーガー、と言ったので、殺し屋の番になった。
見れば見るほど、バイト初日の失敗作にしか見えなかったが、殺し屋なりに敬意を払った。
「バイバイ。さっき、ぼくはあなたのために恥をかきました。これってリスペクトに入りますよね?」
葬儀が一応終わると、食事が用意されているという部屋に、ボスたちが行儀よく一列に並んで移動した。南のボスが北のボスに足を踏まれたと言って、殺し屋に仕事を頼もうとする場面があったが、他のボスたちに説得され、葬儀中のドンパチはしないことになった。
寄宿学校のようは大広間にテーブルがあって、バジルを混ぜて緑色にしたマッシュポテトが皿の上で円錐を築いていた。酒はねえのかよ、という声が上がって、供されたのが、正気を疑うような甘ったるいリキュールだったので、〈クレイジー・ジョー〉とか〈トリガーハッピー・エディ〉なんて仇名を持つボスたち、もうクソ我慢の限界だぜ、神官長をムニエルにしちまおう、と言い出したが、結局、故人への尊敬を確かめ、乱暴事はやめにした。
マッシュポテトは味にムラがあり、コショウばっかりきいているかと思えば、クリームでどろどろしていて、何の味もしないプレーンなポテトゾーンもあったりして、また食べたいと思えるものではなかった。死んだ大物は非常に尊敬されたボスだったが、どうしてこんなトンチキな葬式をしたのか、理解し難かった。
殺し屋もサキもボスたちも、はやくこの葬式から解放されたかったが、いかんせん見たことのない宗派の葬式だったので、いつ終わるのか、さっぱり見当がつかなかった。
「さあ、もう一度、安らぎの間へお戻りください」と、神官長が言ったので、ボスたちは行儀よく一列に並んで、食堂を後にした。
午後五時半。ボスたちもそろそろ限界だった。葬式が懲役に思え始めたときに荒野地区のボスがタバコを噛み始めた。そして、真っ黒いドロドロの唾を吐いたら、それが海岸地区のボスの靴にひっかかり、怒った海岸地区のボスが放ったパンチは外れて、丘陵地区のボスの顔に命中した。
そこからは大混乱で、ボスたちは敵味方の区別もなく、目についた人間を殴りつけた。
凶暴なボスの何人かは、先ほど放棄した神官長のムニエルをやろうと思い、人間一匹丸ごと焼ける巨大フライパンを探し始めた。一方で、何か騒ぎがあったら、別件逮捕の要領で葬儀会場に突撃しようと待ち構えていた警官隊が針槐の警棒を振り回しながら洪水となって神殿に流れ込み、大物ギャングたちを殴り出した。
殺し屋とサキは幕の陰に置いてあった瓶詰めの小麦粉を目くらましにばらまきながら、何とか神殿の外に出た。
外のほうが混乱はひどかった。頭の形が変わるほど殴られたボスたちが引きずり出されて、例の変な毛玉獣に手錠をかけようとしている警官が麻酔銃を持ってこいとわめいていた。おれたちは何もしていない! 尻がかゆいのにかけない!と叫ぶ運転手たちが物干し竿のようなものに両手をバンザイする形で手錠をかけられていた。
警察がその暴力衝動を一度に解き放った混沌の場を殺し屋とサキがまんまと抜け出せたのは、サキが女性で、殺し屋がショートヘアの少女、もしくは長髪の少年に見えたので、ギャング関係者だと思われなかったからだ。
それに小麦粉を頭からかぶって、全身が真っ白になり、「きゅい、きゅい」と唱えながら、ぴょんぴょん飛びはねていたので、例の変な神官長のしもべと勘違いされた。
神殿を囲む駐車場では命知らずのティーンエイジャーたちが釘抜きでリムジンのタイヤをパンクさせたり、鍵でボンネットに「トーマス・ハックウェル見参!」と、嫌いな教師の名前を刻んでいた。
殺し屋の涙色のクーペはリムジンではなかったので、災禍を免れた。タクシーでここまでやってきたというサキを助手席に乗せ、駐車したときと同じくらいの器用さで道に出て、しばらく走った。
「お腹が空いた」
「そうだな。ダイナーが見つかったら、何か食べよう」
「ガッツリ食べたい」
「あんなポテトしか出ないのに、あいつらはいくら取るんだろうな?」
「真面目な殺し屋が馬鹿を見るようじゃ、世のなかおしまいだよ」
まだ、夕日も赤くならない時刻なのに、市内で営業している店はなかった。ギャングのボスが集結するのを怖がった一般市民たちは軒並みシャッターを閉じて、我関せずの態度をとっていたのだ。
隣町まで五十キロと離れている。ハイウェイを走りながら、殺し屋が言った。
「ムニエルは食べたくない気分だ」
「ハンバーガーも食べたくない」
「まいったな。ムニエルとハンバーガーが食べられないなら、ダイナーで食べられるのはスパゲッティ・アンド・ミートボールくらいしかない」
「ダイナーのスパゲッティ? 冗談よしてよ、サキ。あんなぶよぶよしたスパゲッティ。考えただけで、オエッてなる」
「煙草いいか?」
「いいよ」
サキがガラス窓を少し下げた。紫煙はそこに吸い込まれて、黄昏に溶けていく。
殺し屋も一本つけた。
「ワッフル、卵」と、サキが唱える。
「主力にはならないね」
「サンドイッチ」
「当たり外れが激しい」
「何かないものかな。ガッツリ食べられる、ハンバーガーとムニエル以外のもの……ポークチョップだ!」
「そうだ! ポークチョップだ!」
「さやいんげんもつけさせよう!」
「ビール! ビール!」
この体から湧き上がる喜びの興奮を発散させるためにサキが窓から銃を出して、罪のないサボテンに向かって三発ぶっ放した。
殺し屋は空に向けて、弾倉が空になるまでぶっ放した。