5.二人姉妹
「もしかして、反対されてだめだったの……?」
おそるおそる尋ねる。ラミッタは首を横に振った。
「お父さんには何も話してないままだよ。だけど、私はもう……竜騎士にはならないと思う。アルマと見学したのは楽しかったから、残念だけど」
竜騎士にはならない、という返答に、アルマは一瞬息が詰まりそうになる。
「ねぇ、ちゃんと理由を教えてよ」
アルマにしては強く迫った。
それに気づいたのか、ラミッタは空を思わせるような瞳を瞬かせる。
「……よく通っていた農場から、正式に来てくれって誘われているんだよ」
やっぱりそういうことはあったのね、とアルマは心のなかで呟いた。
「でも、それだけじゃないんだ」
「えっ?」
しばらく言い淀んでいたものの、ラミッタは少しずつ話し始めた。
「私は、ずっと空を飛ぶことに憧れていたんだ。竜騎士になれたらいいなって思ってた。農場の人にもまだ決められないって話したよ。だけどね、最近、なれなくてもいいのかなって」
「何で?」
「夢を見られるようになったんだよ」
「え、夢?」
意外な言葉に、アルマは訊き返した。
「そう。空を飛ぶ夢を見るんだよ。ピッコがいてくれるせいかな。ピッコがね、大きな鳥になって、乗せてくれるんだ。それで空へ高く飛ぶの」
「へぇ」
大きな鳥に乗って空を飛ぶ。
確かに楽しそうだなとアルマも思う。
「竜に乗れなくても、眠れば夢で遠くまで飛べるんだ」
どこかうっとりした表情でラミッタは話すが、その言葉には頷けない。
「でも、夢は夢じゃない。本当に飛べるわけじゃないでしょ」
「まあね」
ラミッタは怠そうに赤毛をかき上げる。
「だけど、お父さんは危ないから竜騎士なんてやめろって言うし、お母さんも大変だって言うし。それなら、夢で飛べるだけでいいのかなって思って」
「ラミッタ……」
思わず呼びかけるが、掠れた声にしかならない。
自分よりも行動力のあるはずのラミッタが、すっかり消極的になっている。
夢で満足だと言いだしたことに、ひどく混乱してしまった。
どうしていいのか分からない。
そんなアルマの心が届かないようで、ラミッタは小さくあくびをしたあとに薄く笑った。
「アルマには、竜騎士団に誘ってもらえて、感謝している。心配かけてごめんね。私はもう具合いもいいから、これからは寝すぎたりしないように気をつけるよ。アルマは入団するんだよね。頑張ってね」
「……」
私はラミッタと一緒に竜騎士団に入りたかったのに。
寂しい気持ちがアルマの胸を冷たく浸す。
何か言わなければ、と言葉を探しても何も出てこない。
「また、どこかで会おうね」
やっとそう口にすると、ラミッタは「ん、そうだね」と軽く頷いた。
そのとき、ぴよぴよと鳴き声がした。
「あ、ピッコが呼んでる」
ラミッタの表情が明るくなる。そのことにますます気持ちが冷えてきて、アルマはつい尋ねた。
「ピッコってそんなにかわいいの?」
ちょっと辛辣な物言いだったかなと思う。けれど、ラミッタは何も感じなかったらしい。
「うん、かわいいよ。ちょっと世話してくるからね」
ラミッタはさっと部屋を出て、庭の木箱へ進む。アルマは取り残されてしまいそうになり、仕方なくあとをついていく。
「ピッコ」
話しかけると、ラミッタは木箱を開いた。小さなヒヨコはぴよぴよと鳴いて、ラミッタの差し出した皿から餌をもらう。確かにかわいらしい小鳥だ。
けれども、アルマは大きな疑問に苛まれる。
一体ピッコはいつニワトリになるの?
帰宅すると、アルマはすぐさま姉に詳しく説明した。
ラミッタは風邪がよくなったものの、眠気を訴えていること。空を飛ぶ夢を見ていること。ピッコのこと。
ラミッタが竜騎士団に入るつもりがなくなったことは、話せなかった。本音ではアルマにはそれが一番気がかりなことだったが。今は問題にしない。
それより、ピッコが数か月たっても小さなヒヨコのままだということが引っかかっていたのだ。
「……考えたくないけど、ピッコは魔物じゃないかと思う」
「えっ」
「成長が遅いヒヨコの範囲を超えている。そもそも最初に見かけたときと何も変わっていないなんて、ありえないからね」
サリアは深刻な表情を崩さない。
「魔物のなかには、他の動物の形態を取り込んでそれに化ける物もいる。ヒヨコを見つけて、その形を取ったとしたら、成長しないはず」
「じゃあ、ラミッタは魔物を飼っているってこと?」
声だけでなく自分の体も震えていることに、アルマは気づく。
「おそらくね」
姉の言葉を信じたくない。
アルマは、ラミッタがピッコのことを「かわいいよ」と言ったときの嬉しそうな表情を思い出した。
胸がぎゅっと痛む。
あれほどかわいがって育てているのに。魔物だなんて。
しかし、サリアはこう続けた。
「それに、夢も見せているんだろうね」
「夢も?」
「魔物によっては人間や他の動物を眠りに誘い込むこともできる。ラミッタがもしも自分の願望を夢に見ているとしたら、そこから抜けるのは難しいかもしれない。そういう夢をピッコが見せている可能性もある」
ラミッタの夢までが魔物の影響とは。
アルマは背筋に寒気を感じた。
「まさか……。ラミッタは大丈夫なの?」
「今は大丈夫かもしれない。ただピッコがラミッタや他の人間に魔物だと知られたときは攻撃してくると思う。それに、ラミッタにとって夢は楽しいものなんだろうね。ピッコはそれを感じとって、さらに眠らせるかもしれない。ラミッタが眠ってばかりになることもありえる」
「そんな……」
今思えば、ラミッタの瞳には、いつも灯っていた光が一つ二つ足りないような違和感があった。具合いのせいではなく、すでに眠りがどんどん増しているのでは。
アルマは、心に黒い雲が湧き起こってくるような不安を感じた。居ても立っても居られなくなる。
「どうしよう、お姉ちゃん。私、ラミッタを助けなくちゃ」
すると、サリアは「そうだね」と小さく呟き、何か思索を巡らせている。姉の纏う雰囲気が変わった気がした。
「急ごう。私は竜騎士団に連絡に行ってくる。その間に、アルマは馬車を一台借りてきてほしいんだけど、いい?」
「えっ、うん、分かった」
竜騎士団に行くという姉の行動がまだ見えてこなかった。
けれど、普段は優しくて頼りになる姉が、経験を積んできた竜騎士に変化するのがアルマには分かった。
とにかく事態は急を要する。
アルマは馬車を一台借りに行き、支払いを済ませ、そのまま乗せてもらって家へ戻る。
サリアはすでに帰っていた。
アルマは慌ただしく馬車から降りて、声をかける。
「早かったね、お姉ちゃん」
「うん。お母さんにちょうど会ったから、言づけてきたんだよ」
今日は姉が休みの日、母は勤務の日だ。
姉妹の母は、竜騎士団の宿舎で働いている。若いころ竜騎士だった母は、今では朗らかに竜騎士たちの食事の世話などをしている。時たま、後進へ助言したり相談に乗ったりしていると聞く。
母は、姉を出産したあとで、一時期騎士団長も務めていたことがあるという。
そのせいで、姉のサリアは元団長の娘として知られており、周りからの重圧も相当感じてきたはずなのだ。けれど、人一倍努力して、今では副団長の代理を務めるくらいになっている。
自分はそんな姉のそばにいて、何か手伝えたらいいなと考えていた。でも、自信が持てない。入団すれば、サリアの妹だと言われると思うと、とても怖くなった。
どことなく行き詰ったなかで、アルマはラミッタと出会った。
自由奔放なところがあるラミッタと一緒にいると、自分の心も体も軽くなった気がして、何でもできそうに思えるのだ。
今、そのラミッタが大変な状況に陥っている。
「それで、このあとどうすればいいの?」
緊張しながら、アルマは問いかける。姉は少しだけ表情を緩めた。
「別の町の話だけど、近所をうろついていた犬が実は魔物だったケースもあるんだよ」
「え、そうなの」
「あまり心配しないで。ラミッタが元気になると信じてあげなよ」
「……うん」
まだ先のことがあやふやで不安を覚えながらも、アルマは頷く。
竜騎士の姉と友人のラミッタ。この二人の力なら信じられる。
サリアは颯爽と歩き出す。
後ろを追うアルマは、次の姉の言葉に再び緊張を強いられることになる。
「行くよ、アルマ。これからの話は馬車のなかでするから」
姉妹は馬車に乗り込み、ラミッタの家へ向かっていく。