2.ヒヨコのピッコ
「ええと、チーズとパンと、野菜は……」
その日の朝、ラミッタは母親に買い物を頼まれた。
家から市場までは山をいくつか越える必要があるので、歩くと往復で半日はかかる。体の弱い母に代わって、ラミッタが一人で行くことは多かった。
体だけは丈夫よね、とラミッタはよく言われる。
幼いころの遊び相手は、男の子ばかりだった。女の子らしくない、と何度も言われたけれど、女の子らしい服は何だか窮屈だったし、人形遊びも裁縫も苦手だった。
野山を駆け回るのが一番楽しかった。
しかし。体力があるせいで、農場の仕事だけでなく、竜騎士だってできる、という思いにとらわれている。
どうも自分は物怖じしない性格らしく、魔物に立ち向かうことも格好いいと感じる。そんなことまで親に知られたら、窘められるに違いないけれど。
次の仮入団の日までに決められたらいいけど、無理だよね。
市場へ向かう道すがら、ラミッタは考え込んでしまう。
竜騎士団では、入団前に仮入団という二泊三日の研修が設けられている。それを経て正式入団、ということになる。ふた月ほど前には、春の仮入団があった。
次の秋の開催は気になるところだ。
アルマはそのうち入団するつもりだって、言ってたよね。秋はどうするつもりなんだろう。
友人のことを思うと、ぐるぐると思考が回ってしまう。
アルマは『竜の加護』の血筋を引いている。
竜を助けたところ、夢にその竜が現れ「そなたの子孫まで守護しよう」と伝えられた――そんな祖先を持つという。
こうした何らかの加護持ちの家系は、この王国ではたまにあること。しかしながら、竜というのは珍しい類だ。
最初に会ったときに加護のことも聞いたのだが、いきなり告げられたら自慢としか感じられない逸話のはずが、なぜかアルマが語ると謙虚に思えて、驚いたものだ。
竜をはじめとする生き物が好きなところは、意見が一致して盛り上がった。
けれど、いざ竜に乗せてもらうとき、アルマは慎重だった。団員に竜の性質や触ってよいところなどを質問していて、すごく感心した。
要するに、ラミッタにとって、アルマは大好きな友人だった。はじめて気が合った、女の子の友だちかもしれない。
ついでに、一般に加護のある家系は、その物とかかわりがあると幸運がもたらされると言い伝えられている。また、周囲の人々にもその運は波及するものだという。
アルマの姉のサリアは竜騎士だ。
よく似た亜麻色の髪とヘーゼルの瞳を持つ姉妹は、七歳年が離れていても仲がよさそうに見える。
この間の見学の前に、アルマの家に遊びに行ったとき、たまたまサリアはこれから職場へ出かけるところだった。これまで竜騎士団で姿は見かけても、個人的な話をするきっかけは見つからなかったのだ。
いい機会なので、短い時間のなかでいろいろ話を聞かせてもらった。
竜舎にいる三十頭ほどの竜の話。騎士団のみんなの話。
「意外と団長って面倒見がいいんだよね」
そんなひと言でさえ、ラミッタには貴重な情報で、ときめいた。
次の七月の見学でサリアの都合を尋ねて、また三人でゆっくり話をしたいと、アルマに約束まで取りつけてしまった。
それにしても、騎士団の宿舎からも近い場所に住んでいて、竜騎士のお姉さんまでいるなんて、つくづく羨ましい。こうした事情から、アルマは迷いがないに違いない。
それに比べて自分は一人っ子だし。
そう思うとラミッタは急に気持ちが沈み込む。あまり深く考えるのは、得意ではないけど。
少しずつ両親に望みを伝えて、説得したりするのは自分の性質上、無理。かといって、どうすればいいのやら。
心の底からため息をついてしまう。
やっぱり竜騎士になりたい、なんてお父さんには言えないよなあ。
徐々に建物が増えだし、市場へと近づいている。
そのうち、店の軒先が数多く見え始め、人々の賑わう声が聞こえてきた。彩りのある野菜や果物、肉類、香辛料、陶磁器や木製の生活用品など、さまざまなものを扱うお店が並んでいる。
ラミッタは気持ちを切り替えて、市場での買い物に集中した。
買い物籠を背負い、ラミッタは市場から家への帰り道を歩く。
頼まれたものをすべて買い終えたのはいいけれど、嵩張る品もあって、ずっしりと重い。六月の日差しは容赦なく照りつけてくる。汗を拭きつつ、時折荷物を背負い直して進む。
市場から離れ、牧草地の広がる地帯へやってくると、ラミッタは一度、草の上に腰を下ろして休みを取った。
遠くの方で羊が数頭くつろいでいるのを眺め、ほっとひと息つく。
水筒の水を啜ったとき、何か鳴き声がしたような気がした。
「何かいる?」
ぴよぴよ、とかすかな声が響いてくる。
立ち上がって、ラミッタは周囲を眺める。すると、草のなかから何か小さなものが飛び出してきた。黄色いふわふわとした羽毛に覆われた小鳥。
ヒヨコだ。
ラミッタはそっと近づく。ヒヨコがこちらに気づいた。逃げられてしまうかと、思わず身を固くする。
ところが、ヒヨコは何か訴えるように鳴きながら、ラミッタに向かってきた。
「お腹空いているんだね。あっ、そうだ」
籠からパンを取り出し、少しだけちぎる。その手をそうっと差し伸べた。
「えっ、ヒヨコ? この辺りで飼っている家はないんじゃないかな」
草刈りをしていた中年の男性を見つけて、声をかけた。それなのに、ラミッタは思っていたような回答を得られなかった。
「この辺は牛や羊しか飼っていないよ」
近くで話を聞いていた老人も同意する。
「でも、すぐそこで見つけたんです。迷子になっていたら可哀想で」
ラミッタは両手のひらに乗せたヒヨコを二人によく見せる。ヒヨコは小刻みに羽を動かし、小さな鳴き声を立てている。
「うーん。もしかしたら、鳥飼の荷馬車から落ちてしまったのかもしれないな」
「それじゃ、飼い主は……」
「もう別の町へ行ってしまっただろうな」
荷馬車が通るとすれば、朝のうちに市場に何か仕入れるか売り込むときだろう。今はすでに午後も上回っている。
「どうしよう」
買い物でとんだ拾い物をしてしまった。
「そいつは、お嬢ちゃんによく懐いているじゃないか。せっかくだから、連れて帰って飼うことにしたらどうかね?」
「ええっ」
ためらいつつも嬉しい気持ちでヒヨコを見つめる。
小さな鳥はぴよぴよと可愛らしい声を上げた。
結局、ラミッタはそのヒヨコを飼うことになった。
母に話したところ、近くの親戚がニワトリを飼っていたことがあるそうで、いろいろ尋ねてみればいいという。
ラミッタは親戚にヒヨコを連れていって、事情を話してみた。
親戚のおばさんは提案した。
「まずは名前をつけておやりよ」
ラミッタは、ヒヨコにピッコと名づけた。
親戚から飼い方を教わって、飼育用にと木箱をもらった。鳥籠というより粗末な檻のような箱といったものだが、充分役に立った。
日中は農家の仕事の手伝いに行く。その合間にヒヨコに餌やりをする。ヒヨコはぴよぴよと鳴いて、ラミッタをよく慕う。
母親になった気分で、かいがいしく世話を焼いた。
ヒヨコのつぶら瞳に向かって、ラミッタはそっと声をかけた。
「ピッコはいつか空を飛べるのかな。ニワトリはあまり飛べないって聞いたけど、翼があるもの。いいなあ。人間は翼がないからちょっとも飛ぶことができないもんね」
ラミッタの心には、竜に乗って飛びたいという想いがある。けれど、農家の手伝いをよく頼まれるようになって、このままでいいのかと焦りも覚えていた。
町では、竜騎士に憧れる幼い子どもは多い。
けれど、大半の大人が農作業に従事している。子どもたちは成長するにつれ、憧れから醒めて、目の前にある職業に就いていくものなのかもしれない。
その晩、ラミッタは夢を見た。
ピッコが大きな黄金色の鳥になって、背に乗せてくれる。
自由に空を飛ぶ夢だった。