94.アザミの末路(1)
ポルム王国 都端の船着き場にて―
大罪人となったアザミは、監獄に入れられる事となった。監獄は海に囲まれており、向かうには、船に乗らなければならない。
船着き場は、整備が行き届いていない土地にある。元々、極悪人が船に乗るまでに過ごす土地柄な故、娯楽も無い。住んでいる住民も殆ど居らず、駐屯兵が僅かに居るだけだった。
けれども、船着き場は、今までに無い賑わいを見せていた。多くの野次馬達が、精霊に裁かれた稀代の罪人を一目見ようと押しかけて来たのだ。まだ、日が昇って間もないというのに。
「出航の時間だ。さっさと立て」
兵士が鼾をかいて眠るアザミを、ベッドから蹴落として言った。
急に蹴られて、無理矢理目を覚ましたアザミは、咄嗟の事で頭が追い付かない。
「ゲホッゲホッ!な、なによぅ。まだ暗いじゃない……」
「いいから、さっさとしろ!死にてぇのか」
ガラの悪い兵士に怒鳴られ、アザミはびくりと肥えた身体を震わせる。肥えたといっても、何日もの罪人扱いによって体は少し痩せ萎み、幾分か小さくなった。全身の肥えて伸び伸びになった皮膚が、醜く垂れて、ぶらぶらと揺れる。
兵士は舌打ちして、へたり込んで動かないアザミの髪を掴むと、乱暴に立たせた。
「い、痛い、止めて!!ごべんなさいぃ」
髪を掴まれたまま引き摺られる様に歩くアザミは、泣きながら懇願するも、兵士はそれを無視して船着き場に向かう。
本来、罪人を刑罰以外で傷つける事は禁じられているが、伯爵夫人―今はもう平民となった女から、兵士は金を受け取ったのだ。
「出来るだけ、惨めに苦しめてください」
王家の権威が行き届いていない田舎では、容易い事だった。相手が罪人な上に、醜いならば猶の事。兵士の心は少しも痛まなかった。
「おい!大罪人が来たぞ!!」
大罪人を心待ちにしていた野次馬の一人が、声を上げる。
ザワザワと遠巻きに、好奇の目に晒されたアザミは消えてしまいたくなるが、どうすることも出来ない。
―見ないで!こんなぼろ切れを着せられた私を!本当の私は、高貴な血をひいた令嬢なのよ!!お前達なんて、パパに言えば簡単に……
今までならば、そう怒鳴りつけるアザミだが、喉が張り付いたように声が出ない。
魔力封じの手枷を嵌められ、兵士に小突かれながら、アザミは船着き場に連れて行かれた。先程掴まれた髪は幾らか抜け落ち、所々地肌が見えていた。
「うわぁ、気色悪い」
「頭から爪先まで、どす黒い模様だ。あれは炎か?」
アザミが来ている囚人服は袖が無く、丈の短いぼろ布で、手足を曝け出した状態だ。そのせいで、全身に刻み込まれた痣―刻印は、後方の野次馬達にもはっきりと見えた。
「精霊の怒りですって。何をしたら、ああなるのかしら?」
「知らないのか?何でも精霊を殺したらしいぜ?それも惨たらしく!!」
「しかも、殺された精霊が高貴な精霊の手下だったから、それはそれは、火の精霊はお怒りになったって話だ!」
「火の精霊なの?」
「ああ、見ろよ。あのキモイ痣!火の大精霊の怒りそのものじゃないか!!俺は魔法の花で見たんだけどよ。あんな神々しい鳥は初めて見たぜ!!」
「それ、僕も見ました!!精霊なんて初めて見たから感激して!」
野次馬達は各々好き勝手に盛り上がる。ここに集まったのは、アザミがホルムクレンからポルム王国に戻るまでに、散々見せしめにされて来た影響で広まった「罰当たりな大罪人」を、この目で見ようと集まった人々だった。中には見せしめを見て、わざわざここまで来た物好きも居るらしい。
「あんな恰好、死んだ方がマシだわ!」
身なりの良い若い娘が、父親らしき男に抱き着いて叫ぶ。
父親は娘を抱きしめ、
「可愛いレディ。お前は、あんな化け物みたいにはならないさ。こんなに優しくてチャーミングなんだから」
と、優しく言った。
親子のやり取りに、アザミは自分の父を思い出し、涙が零れる。
「パパ……パパに会いたい……」
掠れた声が漏れる。
―私が望むことは何でも叶えてくれたパパ……。私のパパはどこに居るの?助けて、早くこいつ等を皆殺しにしてよ!!
父に助けを求めながらも、それが叶わない事は理解していた。
ホルムクレン王城の牢獄で父の首を見せられた時、アザミは発狂した。
その瞬間、母だと思っていた女は父の首を汚い床に転がし、思い切り踏みつける。女のか細い脚で、首が潰れる事は無かったが、非道な行為にアザミは泣き崩れ、母を詰った。
「止めてママ!ママの愛する人でしょう!?どうしてこんな事が出来るのよ!!」
愛する人。
その言葉に顔を歪めた女は、父の首をアザミに向かって蹴り飛ばす。
自分に向かってきた生首に、アザミは悲鳴を上げた。
「貴女をこう出来ないのが、残念でなりません。その醜い痣を付けた精霊に感謝する事ね」
母だった人が吐き捨てた時、アザミは恐怖で言葉を失った。
今、この女の前で何か言おうものなら、本気で父と同じ目に遭わされそうな気がしたのだ。
アザミを視界に捉えた母の目は、カトリーナが見せた殺意に満ち溢れた目と、同じだった。
「モタモタするな、さっさと歩け!」
兵士が苛立った声で言う。父親の事を思い出して、足が止まった様だ。
早く進まないと、また、殴られる。
焦りで気持ちが逸り、足が縺れて地面に倒れた。
「アハハ、見ろよ。なんか転んだぜ?」
「あの人、元は貴族なんでしょう?惨めったらないわ!」
「気分が良い!俺達を家畜同然に扱ってた奴が、ここまで落ちぶれるなんてよ!!」
野次馬から歓声が上がる。平民達の貴族への憎悪が、無様なアザミの姿で嘲りに変わった。アザミはもう貴族では無いが、平民には関係ない。
金を受け取った兵士は、次いでとばかりに、人々の前で蹲ったアザミを鞭で打つ。彼は今、人生で初めて真面目に仕事を熟した。
「ヒィィィィィ!止めてぇぇ、痛いぃぃ、止めて!!止めてぇぇぇぇぇ!!!」
直接肉体を抉られる痛みに、アザミは野太い悲鳴を上げる。
泣いて蹲り、許しを請う中、野次馬達の沸き立つ歓声が聞こえてきた。
「いいぞ!もっとやれ!」
「精霊を殺した罰だ!」
「てか、なんだあの唸り声!!獣みてぇ!」
―なんで?私、この人達の事知らないのに、なんでこんなに嫌われているの?
私、そんなに悪いことした?
ただ貴族に生まれて、何でも手に入る暮らしが、そんなに恨めしいの?
視界には自分の腕―悍ましさを感じずにはいられない奇妙な痣だけが、視界に入る。
―私の精霊を、私に相応しい強さにする事の何が悪いのよ!私は何も悪くない、悪くない!!!
アザミは火の魔法を使おうと魔力を込めようとした。けれども、手枷のせいで生まれた時から体内を巡っていた魔力が、全く感じられない。もう、気に入らない奴を燃やす事は出来ない。
―どうして、なんで、高貴な血をひいた、デルルンド伯爵家の、長女である私が、こんな目に……。
アザミは鞭打ちで震える足取りで、何とか小船に乗り込むと、床に倒れて気を失った。兵士はアザミをそのままに、船頭に船を出す様、指示する。
アザミの生き地獄は、これからだった。
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