89.暗示と殺意
療養期間のある日―
夢の中でカトリーナは、水中を漂っていた。
呼吸は陸の上のように苦しまず、水の抵抗なんて無いかのように、スイスイと思いのままに動くことが出来る。とても穏やかな海の中だ。
自由に泳ぎ回っていると、どこからか声が聞こえる。朧気で聞き取れないが、歌う様に言葉が紡がれているのはわかった。
―とても綺麗な声……。癒されるわ。
声に誘われるように近づくと、だんだん聞き取れるようになっていく。
(何も怖くないわ、もう苦しまなくて良いのよ)
(あなたを傷つける者は、もう居ないわ。安心して眠りなさい)
誰かに語り掛けるような優しい声を頼りに泳ぎ進むと、黒い岩に腰かけた人影を見つけた。その人が声の主だろう。けれども、話しかけている相手の姿は見えない。
―あなたは誰?誰かと一緒に居るの?
話しかけようとするも、声は泡となって消えるだけ。それでも、その人はカトリーナの声が聞こえたかのように、こちらを振り返る。
その時に、その人が大事に抱えていた小さな生き物が目に入る。どうやら、その生き物に語り掛けていたらしい。
カトリーナは、抱えられた生き物を目の当たりにして、酷く悲しくなった。
―あぁ、嫌な勘が当たってしまった。
夢の中のカトリーナは、直感的にそう思った。
小さな生き物は見るからにボロボロで、今にも息絶えそうな程に傷ついていた。
その生き物にカトリーナは、見覚えがあった。
―これは夢よ。唯の夢。嘘だと言って……!
これが真実だったならば、なんて残酷なのだろう。
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「フォルカーさん。いくら貴方でも許しませんよ」
誰かの厳しい声が聞こえて、カトリーナはうっすらと目を開ける。
瞼が重たい。ぼんやりと医務室の天井を見つめていると、だんだん視界がはっきりしてきた。
―今は何時かしら?随分と眠れた気がする。そして、夢を見ていたような。
どんな夢だったかを思い出そうとしても、頭に靄がかかったみたいに、何も出てこない。ただ、その夢の事を考えると、何故か気持ちが酷く沈む。
―悪夢でも見たのかしら?でも、何だかとても重要な物を見た気がする。
寝起き特有の倦怠感で、ゆっくりと寝返りを打つカトリーナだが、聞こえてきた言い争いを、自然と耳が拾う。
―そういえば「フォルカーさん」って聞こえたわ。イヴ先輩が来ているの?
カトリーナがそう推測すると、カーテンの仕切りの向こうから、イヴの声が聞こえてくる。
「アキレア先生。何も僕は、いますぐ彼女に動いて貰おうなんて、思っていません」
「わかっておりますわ。仮にそのつもりでいらっしゃったのなら、貴方はとっくに追い出されていますもの」
話しているのは、イヴとアキレア先生らしい。二人の声量は小さいが、騒めきとは無縁の医務室ではしっかりと聞こえる。
―何の話をしているのかしら?真面目な話みたいだけど、どうして医務室に?
黙って聞き耳を立てるカトリーナの疑問には、誰も答えない。話はどんどん進んでいくが、カトリーナには全く何の見当も付かなかった。自分とは無関係なのだろう。
「この件は彼女―カトリーナにしか頼めないんです。全くの偶然とはいえ、あの方をここに連れてきたのは彼女ですから」
突然、イヴがカトリーナの名前を出し、本人は驚愕する。
「え、私!?」
思わず声に出してしまった瞬間、二人の会話がぴたりと止まる。
そして、こちらに近づく足音が聞こえて直ぐに、カーテンの隙間からアキレア先生が顔を覗かせた。
「起きていましたのね?気分はいかがですの?」
イヴと話していた時とは違って、優しい声でアキレア先生は、カトリーナに尋ねる。
「起きたばかりなので何ともですが、気分は普通です」
カトリーナが正直に答えると、アキレア先生は「そう」と穏やかに微笑んだ。
「カトリーナ。起きてるの?」
カーテンの向こうからイヴの声がする。顔を見せないのは、彼が紳士だからなのだろう。
仕切りを挟んだまま、カトリーナ達は話す。
「お久しぶりです、イヴ先輩」
「あぁ、目が覚めて良かった。ずっと意識が戻っていないと聞いていたから」
「ご心配かけました。それと、助けて頂いたようで……本当にありがとうございます」
「いや、貴女には危険な目に遭わせてしまった。療養が済んだら、レーム学園の理事長代理として、改めて謝罪させて貰いたい」
仰々しい事を言うイヴに、カトリーナは見えないにも関わらず、慌てて首を横に振った。
「そんな、大丈夫です!」
そんな事をされたら申し訳無くて、冗談抜きで死んでしまう。
「あの火事は、私も無関係ではありませんから」
暴走して炎を撒き散らしたのはアザミだが、カトリーナは、自分がアザミを追い詰めたのを自覚していた。
更に正直に言えば……
カトリーナはあの日、アザミを追い詰めて殺すつもりだったのだ。
* * * * * * * * * *
カトリーナが復讐の決行を決めたのは、単純な理由だった。クラスメイト―これと言ってカトリーナと仲良くない人達の目が多い中で、アザミが喧嘩を売って来たからだ。
―まさか、エステル姉妹が私を庇って、あんな侮辱を受けるとは思わなかったけれど。
庇ってくれたのは、素直に嬉しかった。アザミが言葉を吐くまでは。
カトリーナの思惑では、火事の起こる前の言い争いで、普段のアザミの言動―他者にとっては恥を晒させて、それを指摘して怒らせるつもりだった。
怒ったアザミは短絡的に、魔法で攻撃しようとしてくる。この魔法にわざと当たって怪我をし、周囲の目がある場所で、アザミを加害者に仕立て上げようと考えたのだ。
―手作りクッキーに目敏かったのを皮切りに、馬鹿にしてやろうと思ったのだけど。
友達想いのデイジーとエイミーが、カトリーナを庇って、アザミの攻撃対象に入ってしまった。
皮肉にも、カトリーナが大切に思っている友人の不幸が、より復讐のチャンスを作り出したのだ。
―決して、復讐の為に怒ったんじゃない。
デイジーが涙を溢した瞬間、頭に血が昇ったカトリーナは、アザミを殴った。そして、怒ったアザミは、結果として、思惑通りに魔法を使い始めた。
その時、いい加減にしろと、周囲がアザミを責め立て始めた。アザミは初めて動揺を見せ、これで復讐は完璧に達成したと、カトリーナは思ったのだ。
ここまで周囲に非難され、悪と見なされれば、アザミも自分の非を誤魔化せやしない。罪悪感が生まれ、アザミ自らを死に追いやる事に繋がる筈だった。
結果は、失敗に終わったが。
―あの状況で逆ギレするんだから、あの女には、やっぱり罪悪感なんて、欠片も無かったのよ。
そして、
―私の中にも、友人の不幸を利用した罪悪感は無かった。目を覚まして、自覚があっても生きているのが、その証拠……。本当に嫌な女。
別に、善人として死にたい訳ではない。
ただ、それでも、
―あの二人への暴言が、デイジーを傷つけて、泣かせたアザミが許せなかったのも、本当なのよ。
誰に対してか、カトリーナは弁明するように、心の中で言い訳をした。
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