88.ラトリエルのお見舞い
お昼前にはカトリーナの検査結果が出て、お見舞いの許可が下り、自由時間にラトリエルが一人、医務室にやって来た。
「これはデイジー嬢、これはエイミー嬢から」
ラトリエルから授業ノートの他に、見舞いの果物と本を渡される。お礼を言って受けとるカトリーナに、ラトリエルは、
「二人とも来ると思ったんだけど、今日は僕が行ったほうが良いって、デイジー嬢が言うんだ」
と、どこか言い訳をするように、早口で言った。
デイジーの思惑に、カトリーナはむず痒い気持ちになる。
「デイジーは気配りさんだから……」
―やっぱり、デイジーは気が付いているのね。私がエルの事が好きって。
友人の気遣いを温かく思う。
とは言っても、姉妹が来てくれたとして、同じくらい嬉しいのだが。
「身体は、どこも痛くない?」
「すっかり元気よ。ただ、アキレア先生が言うには、魔力の回復が万全じゃないんですって」
「そっか……僕も医務室にはお世話になっているから、分からなくも無いよ」
検査の結果、カトリーナの魔力はまだ枯渇状態だという。そのため、復帰が早まる予定は今のところ無いと言われたのだ。カトリーナは検査結果に納得が行かなかったが、先生の
「元々の魔力量が多いから、回復にも時間が掛かりますのよ」
と言う説明に頷くしかなかった。
「座学だけでも受けられないかしら……」
勿論、アキレア先生の前で不満を漏らすような真似はしない。先生は今、遅い昼食を取りに医務室を空けているのだった。
カトリーナは貰った授業ノートを捲る。3人が交代でまとめたのか、それぞれの筆跡が見てわかった。
「まだ寝てなきゃ。アキレア先生も言ってただろう。絶対に安静にして無いと駄目だって」
ラトリエルの口からアキレア先生の名前が出てきて、カトリーナは肩をすくめる。
「先生の言う事は聞くわよ。ただ、授業が恋しいの。私ね、休暇も楽しかったけど、魔法の授業を受けてる方が、やっぱり好きだわ」
復帰の日が待ち遠しい。自習では限界がある。
―早くしないと、置いて行かれちゃうわ。ただでさえ、私はレーム学園に来るまで殆ど勉強をした事が無いんだもの。やり過ぎなくらいが丁度良いのに。
カトリーナが持つ知識は、文字の読み書きや簡単な計算が出来る平民と差して変わらない。そのコンプレックスを振り切るように、毎度真剣に授業を受けていたカトリーナにとって、今の状況は気持ちを焦らせるばかりだった。
魔法学校の名門であるレーム学園の授業は、若い魔法士の卵にも実践で教え込む授業が特色である。今までは座学中心だった1年の授業も、後期に入ってかなり本格的になって来たのが、貰ったノートを見たら一目瞭然だったのだ。
カトリーナの焦りを感じたのか、ラトリエルは持ってきた果物を一つ手に取って、宥める様に言う。
「君が助かったのは奇跡だって、どの先生も口を揃えて言ってるよ。変に罪悪感を煽らないために、大勢の前では言わないけどね。僕が気になって医務室をウロチョロしていた所を、アキレア先生が教えてくれたんだ」
ナイフで果物を切り分けながら、ラトリエルは続ける。
「魔力の回復には時間が掛かるし、身体だってこの数週間で窶れて見えるよ。今はしっかり休んだ方が良い」
窶れているという言葉に、カトリーナは両手で顔を押さえる。言われてみれば、頬が少し痩けている気がしなくもない。
―鏡を見る時、どうしても短くなった髪に目が行くから、気が付かなかったわ。
長く伸ばしていたので、起きて無くなっていた時の衝撃は大きいのだ。
ラトリエルがウサギの形に切り分けた果物をお皿に乗せて「どうぞ」と差しだす。
―可愛い。食べるのが勿体ないわ。
器用なラトリエルは、こういった飾り切り等を気取らずにこなす。元々の見た目の良さに、育ちの良さも感じられて、カトリーナは見惚れた。
「食べないの?まだ、食欲無い?」
こちらを覗き込むラトリエルに
「いいえ、可愛いから見ていただけよ」
と言って、果物を一切れ、口に入れる。
美味しい。
口の中に甘酸っぱさが広がる。
飲み込むと更に食欲が増して、可愛いウサギ達は直ぐに胃袋に収まってしまった。
「ご馳走様」
「まだ食べる?まだまだ剥くよ」
「ううん、もうお腹一杯」
「そう、良かった」
「ね?食欲も戻ったから、私、もう元気でしょう?」
ラトリエルを頷かせた所で、どうしようも無いと分かっているのに、カトリーナは同意を求めた。
ラトリエルは困ったように眉を下げて、けれども、はっきりと
「まだ、寝てないと駄目」
と言った。
「カトリーナ……」
ラトリエルの左手が、カトリーナの髪を撫でる。ふいに、入学前にリボンを褒められた時を思い出した。
「君は、本当に凄い魔法士になると僕は思うよ。……イヴが言ってた。海を召喚するなんて、並の魔法士じゃ無理だって」
だから、授業の事は心配しないで。
ラトリエルは続ける。
「でもね、カトリーナ。君はとびっきり優秀な魔法の才を証明したと同時に、凄く危険な目に遭ったんだ」
ラトリエルの手が、髪の先まで下りる。肩に届くくらいの髪先に。
「あんなに長くて綺麗だった髪が、こんなに短くなっちゃって……。いや、短いのも似合ってるんだけど」
カトリーナの長かったキャラメルブロンドは、炎に焼かれてちりぢりに焦げてしまった。眠っている間に、アキレア先生が傷んだ髪を切って整えたお蔭で、何とかマシになったが、カトリーナとしてはショックだった。
ラトリエルの手に、カトリーナは自分の手を重ねる。
「私、結構お手入れ頑張ったのよ。……焦げちゃったけどね」
休暇中に図書室で借りたレシピ集から見つけたお手製のオイルで、髪の手入れをするようになってから、見違えるように綺麗になり始めたばかりだったのに。
目を伏せるカトリーナの事を、抱きしめたいとラトリエルは思ったが、今一つ勇気が出なくて、真っすぐと見つめる事しか出来なかった。
「君はショックかもしれないけど、僕は……傷ついたらごめんね。髪の毛だけで、数週間休むだけで済んで、良かったと思ってしまうんだ。だって、それ以上に……」
君にもしもの事があったら……
ラトリエルは、その続きが言えなかった。
カトリーナが手を離すと、ラトリエルの手もカトリーナから離れる。
「ありがとう」
カトリーナは言った。ラトリエルの気持ちは、言葉以上に受け取ったつもりだ。
想い人にここまで言われたら、これ以上、我儘は言えない。
「心配しないで。私は生きているわ。ちゃんと休むから……たまに話に来てくれる?」
やっぱり、これくらいは許してくれるかしら。
「あ、あぁ!勿論、毎日来るよ」
「待ってるわ。デイジーとエイミーにもよろしくね」
カトリーナがそう言うと
「えっ!?あ、そ、そうだね……」
ラトリエルは、複雑そうな顔をするのだった。
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