72.エル~押し殺した罪悪感~(2)
「ねぇ」
ラトリエルに声を掛けられ、カトリーナは課題から視線を上げる。
「どうしたの?……あ、今から夕食よね。一緒に行く?」
「うん、そうだけど、そうじゃなくて……」
ラトリエルが、何か言いたそうにしながらも、もじもじとして先が続かない。
カトリーナはその様子を見て、ラトリエルからベストを貰った日の事が、思い出された。
―もしかして、私また見苦しい格好を!?
そう思って、さりげなく髪を手櫛で整える。
―見える限りでは、問題無い筈だけど……。
髪の次に、制服を整えていると「名前……」とラトリエルが小声で言った。
「名前?」
「名前、カトリーナ……嬢って呼んで良い?」
そう聞くラトリエルの耳が、だんだん赤くなっていくのが見えた。
「ほら……デイジー嬢もエイミー嬢も名前なのに、君だけトレンス嬢だから」
「確かにそうね。二人はどちらもエステル嬢だから、自然だと思うけど」
「そう。ずっと引っかかってて……良いかな?」
カトリーナは少し迷ったけれど、ラトリエルが言うんだからと、自分に言い訳をしつつ「構わないわ」と答えた。すると、ラトリエルは嬉しそうに頬を染める。
「そ、その代わり、僕の事はエルって……呼んで欲しい」
「え!?」
カトリーナはさっきよりも返答に困った。
何がその代わりなのかも、よくわからない。
―クラリスに悪いわ。彼女の婚約者を愛称で呼ぶなんて。
今までクラリスだと思っていた人が、フォルカー公子―イヴだと、誤解は今日解けたばかり。けれども、ラトリエルが口にした……「好きだ」「会いたい」と求めたクラリスの存在が消えた訳では無い。
カトリーナが言い淀むと、ラトリエルは顔を曇らせる。
「駄目なの?イヴの事は名前で呼んでたじゃないか。僕も名前が良い」
悲しそうに「駄目なの?」と言われると、カトリーナは断れない。
「……わかったわ。よろしくね、エル」
カトリーナは何とか微笑む。口元が不自然に引きつるのがわかった。
ラトリエルには気づかれなかったのか、彼は嬉しそうに「よろしく、カトリーナ嬢」と言って、手を差し出す。
「早く食堂に行こう、カトリーナ嬢。頑張ったから、お腹空いたよ」
差し出された左手に、カトリーナは右手を添える。
小さな罪悪感が身体の片隅で、疼き始めた。
―大丈夫よ、クラリス。
カトリーナは、命に関わる疼きを押さえようと冷静に言い聞かせる。
まだ見ぬ想い人の婚約者(だと思っている)に言い訳をして。
―私とハスティー卿は……エルは、唯のお友達よ。呼び方に拘るのだって、きっとイヴ先輩に嫉妬しているんだわ。
そういう子供っぽいところがあるの、クラリスは私以上に知っているでしょう?
―だから安心して。今だけは、許して。
自分がクラリスの立場でこんな事を言われたら、持ち得る全ての力を発揮して、二度と相手を喋れなくするだろう。
そんな言い訳を、心の中で続ける。
―少しくらい良いじゃない。だって……
ラトリエル・ハスティーが愛しているのはクラリスだけなんだから。
どんなに一緒の時間を過ごしたって、親しくなったって、付け入る隙なんて、私には無いんだから。
そう思うと、罪悪感が小さくなっていく気がする。
そして、あの日、医務室で目の当たりにした―無意識の中でクラリスを求めるラトリエルの姿が、明白に思い出される。
―ラトリエルは、エルは、夢の中でもクラリスの事を想っているんだから。
私は二人の邪魔はしないわ。絶対に。
そう考えれば考える程、罪悪感は消えて行く。
身勝手な言い訳をして、自分の心を守ることもレーム学園で生き残る術だ。
―恋愛って、人を駄目にするのね。
カトリーナは自虐しながらも、ラトリエルと一緒に居る今を幸せに感じる自分に、嘘は付けなかった。
お読み頂きありがとうございます。
次回も読んで貰えると嬉しいです。
よろしければ評価★★★★★や、ブックマークを
お願いいたします。




