66.名無しの精霊
その日の夕刻―
カトリーナは、デイジーの部屋に招かれ、エステル姉妹と一緒に宿題を片付けていた。ラトリエルは登校初日なのもあり、医務室にかかっているので、ここには居ない。とはいっても、女子寮に男子は入れないのだが。
「そういえば、二人とも「名無しの精霊」って知ってる?」
宿題を何とか片付けた後、カトリーナは遅刻した顛末も含めて二人に尋ねた。
結局、カトリーナは午後からの授業―植物学に遅刻した。教科担当がメディアン先生だから、軽い注意だけで許してもらえたのは幸運だった。
ちなみに、憎きアザミとジゼルは、最後まで植物学に現れる事は無かった。
「名無しの精霊?」とデイジーが首を傾げる横で、エイミーは黙ったまま考え込む。こういう時のエイミーは、過去に見聞きした知識を記憶から探っているのだと、カトリーナはここ最近気が付いた。
「が、外国の本で読んだことある気がする……」
ずっと黙っていたエイミーがようやく口を開き、説明する。
「どこの国かは忘れちゃったけど、契約を結んだ精霊の序列で身分を決めてた国があったのね。「名無し」というのは下位精霊にも満たず、人間が認識できない程の魔力しか持たない精霊の事を言うの」
エイミーは右上の天井角を見つめ、思い出しながら続ける。
「見えないから名前どころか、種族名すら付けられない。だから「名無し」。その弱い精霊としか契約を結べない人は、周囲から冷遇された歴史があるって読んだ事あるような……」
エイミーの説明に、カトリーナはアザミの暴言の数々を思い出す。
「あらぁ!?落ちこぼれのトレンス嬢じゃありませんこと!?」
「名無しを召喚するような落ちこぼれだから、スローン先生に呼ばれて罰を受けてたんでしょう?」
「アンタの精霊は名無しよ、名無し!生きてる価値の無い奴!そんな奴を召喚したアンタは価値の無い無能なのよ!!」
―水浸しにする程度じゃ足りなかったわ……。でも、研究室の前で血だまりを作るわけにもいかないし。
カトリーナがアザミ達の所業を考えていると、デイジーが「貴女は本当に物知りねぇ」とエイミーに言うも「あれ、でもちょっと待って」と片手を上げた。
そして「あっ」と気まずげに声を上げる。
普段から丁寧な話し方を心がけるデイジーは、自分の口調が砕けた事に気が付き、咳ばらいをすると、また丁寧な口調でエイミーに聞く。
「あの方々が、カトリーナ様の事を「名無し」って揶揄った理由は説明付きますが、名無しの精霊は人には見えないのですよね?プレオは姿も見えるし、その国の名無しとは違う気がしますわ」
姉の質問に「うーん」と悩みながらも「わからないけど」と、前置きをしてエイミーが話す。
「その国も、今はそんな差別はしていない筈なの。無くなった風習、伝統は廃れて忘れられる事がほとんどだわ。だから、同じ間違いは繰り返されるのだけど」
エイミーが、先人の愚かさを嘆きつつ続ける。
「でも、中には昔の悪しき風習や、価値観を掘り起こして「由緒ある伝統」と平然と主張する人は、貴族に多い……わ、私の偏見だけど。それも、本来の考えや信念とは掛け離れた、全く違う解釈が伝わっている事もあるの」
話の途中でエイミーはお茶を飲み、一息つく。こんなに話すエイミーは、本をくれた時以来かもしれない。
「アザミやジゼル……二人の出身が同じかなんて知らないけど、二人の家や地域に名無しの精霊や契約者を下に見る風習があるのかも。二人は、その名無しというのが姿を持てない程の弱い精霊の事って知らなくて、種族名の無いプレオの事を……勘違いした……かもしれない……」
話しながら、だんだん自信なさげになっていくエイミーは
「でも……お姉さまが不思議に思ったように、私が知っている話と、あの二人が言ってる名無しの精霊が同じとは、か、限らないから……。二人が誤った知識で暴走したと決めつけるのは……良くないかも」
一通り持論を話してくれたエイミーは「何の本で読んだっけ?忘れちゃった……」とブツブツと呟きながら、一人の世界に入ってしまった。
カトリーナはエイミーの博識に感心しつつ、今の話について考える。
―名無しについて調べたら、プレオについて知れると思ったけど、アザミ達が嘘の知識で言ってただけなら、違うわね。エイミーは自信なさそうだけど、そうに決まってるわ。
間違った知識を振り翳して相手を見下すなんて、アザミのしそうな事だ。
―プレオについては観察だけでなく、図書室とかでも調べ物もしてみようかしら。スローン先生なら全部読んでるかも知らないけど、もしかしたら、素人目線で何かが見つかるかもしれないわ。
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