56. 閑話~夢の中のラトリエル(2)~
魔法ゲートの先で倒れたラトリエルは夢を見ていた。
辛く苦しい、消し去りたいほどに憎い過去の夢を。
両親を事故で失ってから、ラトリエル・ハスティーの人生は地獄の日々であった。
ハスティー侯爵夫妻の一人息子ラトリエルは、当時まだ6歳の子どもだった。
他に兄妹姉妹の居ない彼は、必然的に将来、侯爵の爵位を引き継ぐことになっていた。そんなラトリエルは幼いながらに小侯爵と呼ばれて育った。
両親の死後、そんな彼の後見人を名乗り出て、父の弟であるリチャードとその妻バーバラ、一人娘のイザベラが、侯爵邸に移り住むようになった。
両親の生前と同じく、ラトリエルが成人するまで正式な爵位の継承をさせない事を決めたのも、叔父リチャードだった。
この叔父一家に、ハスティー侯爵家は乗っ取られたのである。
叔父リチャードは、本来の家主であるラトリエルを物置部屋に軟禁し、自らが侯爵であるかのように振舞い始めた。
リチャードに逆らう使用人を次々と追い出し、屋敷は完全に叔父の支配下に置かれた。
更に叔父は、自分の娘イザベラをラトリエルの婚約者に勝手に決め、同い年である二人が成人してすぐに式を挙げさせると言って、昔から決められていたクラリス・エルディナンド伯爵令嬢との婚約を、ラトリエルに何の断りもなく破棄したのだ。
この時、ラトリエルは叔父に食って掛かり反抗したが、息が出来なくなるほどの折檻を受け意識を失った。
この時、ラトリエルは何ヵ所もの骨が折れ、死にかけていた。
叔父は焦った。
ここでラトリエルを死なせて殺人罪で捕まる事を危惧したリチャードは、秘密裏に闇医者を侯爵邸に呼び寄せ治療をさせた。
奇跡的に綺麗にくっついた骨もあったが、手には一生治らない障害が残った。
肥えた叔父に思い切り踏みつけられたラトリエルの利き手の右手の指は、歪に曲がったまま骨がくっついた為、ラトリエルはナイフとフォーク、ペンすらも握ることが難しい生活を強いられる事となったのだ。
「本当に可哀そうで見ていられません。この子は両親が死んでから、自傷行為をするようになってしまったのです。何とか心の傷を治してやりたいと、私も妻も気に掛けているのですが・・・」
叔父は目を伏せて声を震わせながら、ラトリエルの絶える事の無い怪我を、そう周囲に話して同情を集めた。
真実を知らない大人たちは叔父の話にいたく感動し、叔父夫婦の事を聖人の様に敬った。ラトリエルの右手を潰したのは、他でもない叔父のリチャードなのに。
いくらラトリエルが「違う!叔父上にやられたんだ」と声を上げるも、誰も信じてくれなかった。
「心を病んでしまって、夢や妄想を本当の事の様に思い込んでしまっているのです」
とか
「ラトリエルは僅かながら魔力を持って生まれまして、何か悪いものに惑わされているのかもしれません。教会に相談に行ってみたりしているのですが、特に効果がなく・・・」
と叔父夫婦が周囲を言いくるめてしまうのだった。
それでも、諦めずに気づいてもらおうと真実を話しても、周囲の大人の目はだんだんと冷たくなっていった。
「まだ子どもだから仕方ないのよ」と同情する者。
「いつまでいじけているんだ。リチャード様ご夫婦は、あんなに優しく君に寄り寄っているのに」と嫌悪する者。
更には、今まで交流のあった子ども達にまで「親が死んで頭がいかれた奴」と呼ばれる様になりに、周囲はラトリエルを問題児として扱う様になった。
一番傷ついたのは、かつて婚約者だったクラリスの疎まし気な言葉だった。
「あんな人じゃなかったのに。今は怖くて汚くて、近づきたくもないわ」
彼女が友人たちと話しているのを聞いてしまった時、心が折れてしまった。
親同士が決めた婚約だったが、ラトリエルはクラリスの事が好きだった。大人になったら結婚して、自分が幸せにするんだと信じて疑わなかった日々を思い出して涙が零れた。
その直後、何度痛めつけても従わないラトリエルに業を煮やした叔父夫婦は、正当な後継者を物置部屋に数年間も閉じ込めたのだった。
その監禁生活は、12歳のラトリエルを追い出す日まで続いた。
「リエル……、ラトリエル……」
夢の中の幼いラトリエルは、懐かしい声の方に顔を向ける。数年間も閉じ込められた、あの固く閉ざされた物置の扉の外から、自分に呼び掛ける優しい少女の声が聞こえた。
「クラリス?」
幼い自分は、かつての婚約者の名前を口にする。
当時の自分が両親と同じくらい好きだった少女。
閉じ込められていた時に、何度も思い出した幸せな日々を一緒に過ごした過去の象徴。
でも、今のラトリエルが会いたいのは、彼女ではない。
―カトリーナ、カトリーナに会いたい。会って気持ちを伝えるんだ。
「ラトリエル!」
何年も開かなかった扉が開く。
開けてくれたのはラトリエルが今、一番会いたい人。
「カトリーナ!」
ラトリエルは、出会ってからずっと呼びたかった彼女の名前を呼んだ。
名前を呼ばれたカトリーナは、嬉しそうに微笑みラトリエルに抱き着く。
夢だとわかっていても、ラトリエルは幸せだった。
現実のカトリーナの誤解を解くのにしばらく苦労することを、夢の中のラトリエルは、まだ知らない。
お読み頂きありがとうございます。
次回も読んで貰えると嬉しいです。
よろしければ評価★★★★★や、ブックマークを
お願いいたします。




