40.平民テオと公爵令嬢マルガレーテ
スープを飲み終え、パンが半分残ったところでお腹がいっぱいになる。食事の手が止まったカトリーナは、残ったパンを見つめた。
―食べなくちゃ。でも、もう入らない……。
いっそ持って帰ろうかとも思ったが、食べかけのパンを持ち帰るのは、淑女としてちょっと気が引ける。
「食べないのか?」
カトリーナがお腹を摩りながらパンを凝視していると、一人の少年が声をかける。
いつの間に大食堂に入って来たのか、平民のテオだった。話したことはないが、目立つので彼の事は知っている。
来ている服はツギハギだらけで、昨日カトリーナが借りた白シャツが新品に見える程だ。テオにも貸してあげたらいいのにと、カトリーナは思った。
「そのパン。ずっと睨んでっけど、カビでも生えてたのか?」
「そんな事はないわ。ただ、お腹が一杯になって」
「勿体ねぇな。要らないならくれ」
テオはそう言って、残りのパンを一口で飲み込んだ。作法はなっていないが、その食欲がカトリーナには羨ましい。
「お前はもっと食べたほうが良いぜ。俺たち平民にとって、タダ飯にありつけるなんて滅多に無い幸運なんだから。食べられるうちに食べておかないと」
「私は平民じゃないわ。この格好で言うのもなんだけど」
「え、お前貴族なのか?」
テオは驚いて聞き返す。
そして、未だに食事をしているマルガレーテを見て「全然違うじゃないか」と言った。
「貴族のお嬢様にしてはガリガリじゃね?それにその服だって、お嬢様なら絶対に嫌がって着ないだろう」
「仕方ないじゃない。そういう貴族もいるのよ!」
カトリーナは少しムッとして、声を尖らせる。
そんなカトリーナには目もくれずに、テオは「そっか、貴族なのか……。俺はてっきり―」と一人ボソボソと呟いた。
テオは先程までの親しさが薄れ、目つきが鋭く、睨みつけるようにこちらを見ると「あのうるさい女貴族を殺しかけたって本当か?」とぶっきらぼうに聞いた。
カトリーナは急なテオの変貌ぶりに、驚きつつも努めて冷静に聞き返す。
「女貴族ってデルルンド嬢の事?」
「ああ、うるさい貴族の女なんてアイツだけだろう?で?なんで殺そうとしたんだ?」
―何で話したことも無い人に、そんな事を話さなきゃならないのよ。それもこんな失礼な奴に。
カトリーナは不服だったが、無視をする必要も無いため「荷物を燃やされた仕返しに」と素っ気なく答える。
―多分、テオは貴族に良い感情を持っていないんだわ。私が貴族って知っただけで、こんなにもあからさまに態度が変わるんだから。
カトリーナの故郷マシャード王国では、貴族と平民の身分格差は圧倒的だ。
現にカトリーナは何人もの平民を葬ったが、これらは罪にさえ問われない。
平民が貴族を恐れ、嫌う理屈は理解できる。
―テオがどこの国から来たのかは知らないけれど、どの国も同じなのかしらね。
仲良くするのは、お互いに無理だろう。
カトリーナは席を立って「要件は終わりかしら?では、ご機嫌よう」と丁寧に挨拶して、トレイを片付ける。
すると、テオは「待ってくれ、燃やされたってあの女にか!?魔法で?」と驚いたように引き留める。
「そうよ」
「同じ貴族なのに喧嘩するのか?」
「あんなのと一緒にしないでよ。貴族の恥だわ」
「何を燃やされたんだ?」
「服や日用品とか。いろいろとね」
「貴族だから物はたくさんあるだろう?別に困らないじゃねーか」
テオの言葉に、カトリーナは大きなため息をつく。
「あのね。世の中には生みの両親に虐げられて、清潔な洋服や食事すらも、ろくに与えられない貴族もいるの」
それに、とテオを真っすぐ見て続ける。テオは気まずそうに、カトリーナから目を逸らした。
「仮に私がたくさんの物を持っていても、大切な物を燃やされて、笑って許すほどお人好しじゃないわ」
「大切な物って?」
テオの問いで、カトリーナは我に返る。
感情的になって話し過ぎた。伯爵家での暮らしは、誰にも話していないのに。
別に隠している訳ではない。これと言って話すきっかけが無かっただけだ。
それに加えて、カトリーナは自分から不幸自慢をするような女にはなりたくなかった。
けれども、今そうなってしまった。
よりにもよって、自分よりも貧しいテオに向かって。テオからしたら、ツギハギの無いシャツも、満腹の食事も無いのが普通なのだ。
それを「そんなのすら与えられない」と嘆く自分は、テオにしてみれば、滑稽なお嬢様に違いなかった。
「もういいでしょう?失礼するわ」
カトリーナはテオが何かを言う前に、今度こそ大食堂を出て行った。今度は誰にも止められなかった。
―あんなの「可哀そうな境遇の私」自慢じゃない。こんな事まで言うつもりはなかったのに。今の私は少なくとも、テオよりも清潔なシャツを着ているんだから。
その時に一瞬視線を感じて横目に見ると、カトリーナ達が話している間も黙って食事をしていたマルガレーテが、呆然と佇むテオを見つめているのに気が付く。
―騒がし過ぎたかしら。それにしても、あんなに小さなパンを食べるのにどれだけの時間がかかるの?本物の令嬢って大変そうだわ。
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