36.ラトリエルの訪問(3)
「デルルンド嬢の言った事は嘘よって、言って欲しい?」
カトリーナは、今すぐに自分の口を縫い付けたくなった。こんな可愛げの無い冷たい態度を、ラトリエルには取りたくなかった。
それでも、今日できたばかりの傷口を刺激するような事を聞くラトリエルが、今は少しだけ憎い。
―あの女の言った通りよ。私はあの不潔なデブを殺すつもりだったわ。……そう言ったら、この人は私を軽蔑するかしら。
そんな事を思っていると、ラトリエルは意外にもこう言った。
「いや、そんな事は正直どうでも良いんだ。それが嘘でも本当でも」
ラトリエルは「僕は直接何もされていないけど、デルルンド嬢には嫌悪感しかないから。あの人がどうなったって興味ない」と軽蔑のこもった目をして言った。
その目は、ここに居ないアザミに向けられているとわかっていても、カトリーナはラトリエルから目を逸らす。
ラトリエルは美しい顔立ちであるがゆえに、顔を歪めると圧が強くのだ。カトリーナは、その圧に負けた。
「ただ……」
ラトリエルが話す。カトリーナがそっと彼の方を向き直すと、ラトリエルはいつもの気弱そうな儚げな美少年に戻っていた。
「デルルンド嬢がひとしきり騒いだ後も、大食堂が閉まる最後まで、君は来なかったから。何かあったのは君の方じゃないかって思ったんだ」
「それで、様子を見に来てくれたの?」
カトリーナがそう言うと、ラトリエルは頷く。
「一度、エステル姉妹と君の部屋を尋ねたんだけど、返事がなくて」
「そうだったの?眠っていて気が付かなかったわ」
「うん。その時にコルファー先生に会ってさ。「彼女の事は、今はそっとしておきなさい」って言われて、一旦その場は解散になったんだ」
「デイジー達も来てくれたのよね?明日、大丈夫だってお礼を言わなきゃ」
カトリーナは、エステル姉妹達と昼食を取った時の事を思い出す。あの時は自分に起こった悲劇を知らなかったから、カトリーナはいつも通りだった。
デイジーとは初日から打ち解けて、顔を合わせたら話す仲になり、人見知りのエイミーも、挨拶を返すほどには、心を開いてくれたようだった。
双子たちは、昼間は元気だったカトリーナが急に部屋に閉じ籠ったのを、気にしてくれたらしい。
カトリーナがその事を嬉しく思っていると、ラトリエルが少し怒ったように言う。
「大丈夫って何が?」
「え、どうかしたの?」
急に不機嫌になったラトリエルに、カトリーナは聞いた。ラトリエルは軽く息を吐くと、少し呆れた口調で話す。
「デルルンド嬢に何かされたんだろう?」
「まぁ、そうね。私にとっては一生許せない事だったわ」
「それは大丈夫とは言わない。泣いてたんだろう?」
「泣いてた?私が?」
身に覚えのない事を言われて困惑するカトリーナに、ラトリエルは左手を伸ばす。その手はカトリーナの頬に触れ、目尻を親指でなぞる。
相手によっては不快感を抱く行為だが、カトリーナは嫌じゃなかった。
「目元が赤く腫れてる。冷やした方が良い」
ラトリエルがそう言うと、目の周りがじんわりと涼しくなるのを感じた。寝起きに感じた乾燥の痛みが楽になっていく。
「うーん。まだ赤いけど、明日には治ると思うよ」
ラトリエルはそう言って手を離した。
カトリーナは「自分はいつ泣いたんだろう?」という疑問は残りつつもお礼を言う。
「ありがとう。今のって魔法?」
「そうだよ。幼い頃、泣いてた僕にお母様がかけてくれた魔法なんだ」
「優しいお母様ね」
「羨ましいわ」と続けようとしたが、カトリーナはその言葉を飲み込む。
カトリーナの母親―トレンス伯爵夫人が自分に優しくするのを想像して鳥肌が立つ。
―有り得ない妄想過ぎて気分が悪いわ。でも、ラトリエルが家族に嫌われてないみたいで良かった。デイジー達と同じで、追放された子では無いのね。
そう安心した時、通路の角から複数の足音が聞こえる。カトリーナ達が音のする方向に目を向けると、先程話題に上がったエステル姉妹が現れた。
姉妹はお揃いのネグリジェの上に、お揃いのストールを羽織っていた。
妹のエイミーは姉の後ろにくっ付くようにして付いて来ており、姉のデイジーはカトリーナ達を見て、一瞬固まった後、申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい。お邪魔だったかしら?」
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