124.忍び寄る歌声(2)
幽かに聞こえてくる歌は、どうやら海から聞こえてくるようだ。
歌と共に波のさざめきも聞こえる。
―こんな夜更けに誰が歌っているのかしら?
その歌はカトリーナをどことなく不安にさせた。
海の近くとはいえ、どうしてこんな屋内にまで波の音が聞こえるのか。
ついさっきまで、聞こえてこなかったのに。
心が誘惑されるような魅力的な歌声。
しかし、こちらを油断させておびき寄せようとするような猫なで声は、獲物が罠にかかるのを今か今かと待ち構えているような、そんな悪意に似た何かを感じさせる。まるで、その真意を隠すつもりも無いみたいに、あからさまだった。
聞こえてくる歌がだんだんはっきりとしてくる。
それに合わせて、不安もだんだん大きくなっていった。
同時に、今すぐこの歌声の元に馳せ参じなくてはならないような使命感のような気持ちが芽生えてくる。
~おいで、おいで、こちらにおいで。あなたは、私と、同じよ。私と、同じく、選ばれて、自ら、海に、飛び込むの。おいで、おいで、こちらにおいで。哀れな、哀れな、孤児よ~
カトリーナは恐怖を感じた。何かが可笑しい。
このステラ・マリナの外で、何者かが悪意を持って誰かを待ち構えている。
そして、その誰かは―
カトリーナは隣で眠っている王女様を揺さぶった。
「王女様、王女様。起きて、起きて頂戴」
しかし、王女様は夢から覚めないのか、うにゃうにゃと口ごもりながらも目を覚まさなかった。
「王女様!外に何かがいます!王女様!」
海の王女様に呼びかける間も、何者かの歌声はカトリーナを誘おうと心に侵食してくる。
~おいで、おいで、こちらにおいで。あなたは、私と、同じよ。怖いことは、何もない。あなたも、私も、選ばれた。偉大で優しい、母の海。強くて尊く、美しい、王族達に、選ばれた~
―母の海?王族?
不気味な歌詞に引っ掛かり、眠りこける王女から手を放す。
―この歌声は、王女様の仲間なのかしら?
浮かんだ疑念に、悲しみと怒りがこみ上げるも、カトリーナはそれらを自分から追い出す様に頭を大きく横に振った。
―王女様は逃げてきたのよ。この声は王女様を追いまわした人達かもしれないわ。でも、本当に追手なら、海の王の手先って事よね?
その声を無視して良いのだろうか?今すぐに、王女様を連れて行ってしまえば、すべて解決する。王女様が熟睡している内に、海に帰してしまえば―
~おいで、おいで、賢い子。幼き王女を、連れて来て。共に海へと、帰りましょう~
―やっぱり駄目よ。これは罠だわ。本当に王女様の父王が迎えに来たのなら、堂々と姿を現せば良いんだもの。私が初めて王女様と出会った時みたいに。
声の主はカトリーナを使って、王女様を外におびき寄せたいみたいだった。
それは何故か。陸に上がれないから?それもあるだろう。
―でも、正式はお迎えならイヴ先輩から話がある筈よ。王女様には内緒にしたとしても。こんな風に騙す形で海に帰すだとしても、その役目を私にさせるのなら、私に黙ったままでいる筈ないわ。
イヴは本気で、一刻も早く王女様に帰って欲しがっていた。海からの使いが来たとなれば、喜んでもてなすだろう。フォルカー公子として、国の安寧を第一に動かねばならないイヴには、そうする他ないからだ。
そして、王女様に気に入られているという理由でここにいるカトリーナに、拒否権は無い。身分的にも、現実的にも。出来る事と言えば、王女様が、またこちらに遊びに来られるようにお願い申し上げる程度だろう。
けれども、イヴは何も言わなかった。
つまり、この訪問をイヴは―公爵家は知らないのだ。
歌声に惑わされてはいけない。それだけは明白だが……
~はやく、おいで、意固地な子。お前は、無力な、哀れな子。お前は、陸から、捨てられた。愚かで、無価値な、ニエの子よ~
とうとう歌声に苛立ちが目立ち始めた。歌詞の意味は分からないが、見下されたのは察した。カトリーナは、自分に向けられた悪意には目聡いのだ。
出来る事なら、この歌声を無視して煽り返したい所だが、歌の感触が誘惑なものから威圧的なものに変わり、そんな余裕は無くなった。
歌には魔力が宿る。歌魔法を自在に操れる者は、相手を誘惑し術者の思いのままに操る事を得意とする。
―何者かは知らないけれど。王女様を連れては行けないわ。
カトリーナは部屋全体に防壁魔法をかける。
―王女様ほどの強者なら必要ないかもしれないけど、寝込みを襲われたら一溜りもないわ。
―たかだが魔力持ちなだけの人間風情が。私に楯突こうなどと烏滸がましい。昔も今も、無力な癖に傲慢な醜き生命。それもちっぽけな孤児が、さっさと王女を連れて来なさい!
カトリーナの抵抗の意思を察したのか外から聞こえる声は、もう歌っていなかった。ヒステリックにこちらを威圧し責め立てる。
その声の威圧のせいか部屋の窓が僅かに音を立てて震えた。防壁魔法はあまり意味を為していないらしい。
カトリーナは無意識に
「プレオ」
絶対的な自身の味方を呼び出した。
「……」
ポンと軽やかな音を立てて現れたプレオは、黙ったまま、不満げな瞳でカトリーナを見つめた。明らかにいじけている。エステル姉妹達とのお茶会をバックレた挙句、今まで放置されていたが原因だろう。
―この非常時に!
いつもはプレオにデレデレのカトリーナだが、今はそんな余裕は無かった。
しかし、自分が普段から甘やかしてきたツケが回ってきているのも分かっていた。
「こんな時間に呼び出してごめんね、プレオ。会いたかったわ。私、今とても危ない状況なの。助けてくれない?」
なるべく優しく冷静に声を掛けるが、プレオは丸い身体ごと横に背いて
「プッ」
と、否定的に鳴いた。
「お茶会に連れて行かなかったのは謝るわ。貴方を仲間外れにした訳じゃないのよ。私も行けなかったの。急な用事が出来たのよ」
聞く耳を持たないプレオに、なおも話しかける。正直、自分以外に起きている者が傍にいるだけで、カトリーナの不安は少しだけ和らいでいた。
「そうだわ、これ」
カトリーナはサイドテーブルから街で買ったお菓子を手に取る。
「街で買ったのよ。とても美味しそうでしょ。レーム学園に戻ったらみんなと食べようと思ってるの。勿論、貴方ともよ」
「プー、プオッ」
お菓子に目を輝かせるプレオだが、直ぐにハッとして自分は怒ってるんだぞという体を崩さなかった。しかし、瞳は正直で、お菓子にチラチラと目線を寄こし、興味津々なのが隠せていない。
「今までのお詫びに一つだけ先にあげるわ。だから、私に力を貸して。賢い貴方ならわかっているでしょ?」
カトリーナが窓の方に目をやる。自分たちを脅かす存在が、この先で待ち構えているのだ。
「プオプオ~♪」
長い鼻でお菓子を受けとったプレオは、そのまま口に運ぶ。気に入ったのか直ぐに機嫌を直した。単純で助かったと、カトリーナはホッと胸を撫で下ろす。
「ブォーーー」
お菓子を堪能したプレオは、本調子を取りもどしたかと思うと、急に窓に向かって唸り声を上げる。やる気を出してくれたようだ。
「外―おそらく海に何かがいるの。私達をおびき寄せようとしているわ。防衛魔法の強化を―」
「プブオオオォォォ-」
カトリーナの指示が途中にも関わらず、プレオは窓をすり抜けて外に出て行ってしまった。
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