120.公爵邸での密談(1)
話を公爵邸まで遡る―
「イヴ先輩。何かお話でも?」
暫くこちらを見つめて黙っていたイヴに声を掛ける。彼が王女様だけを連れ出させた事に、カトリーナは気が付いていた。
「ああ……まず先に感謝を。彼女の癇癪を静めてくれてありがとう。ああいう手合いとは、僕はどうも上手くいかないらしい」
全く情けないよ、とイヴは肩を落とした。
―確かに、レーム学園での……エルを揶揄ったり、諫めたりする時とは違って、イヴ先輩自身に余裕が無いみたい見えるわ。感情的というか、心から憎らしく思っているような……。
ラトリエルに転校しろと厳しく言った時でさえ、今日の様な感じでは無かった。あの時も冷たい目をして怒っていたけれど、憎んでいるようには見えなかったのだ。
―イヴ先輩は、海の王女様が苦手……もしかしたら、本当に嫌いなのかしら?
昨日の「高貴な身の上に生まれながら、その責務を全うしない奴は嫌い」と言ったイヴが思い出される。あの時は売り言葉に買い言葉的なものかと思ったけれど。
王女様がそれについて怒っている様子は無かったし、精霊の特別な力でその様子を知った海の王が、公国を大波に晒すような事は無く、無事に平穏な朝を迎えた。
これからの為にも、イヴに本心を聞いた方が良いのか考えるも、止めることにした。
聞いてそれが本心だったとして、次期公爵であるイヴがそう明言できるのか、して良いのかがカトリーナには判断が付かなかった。
「相手は精霊界の王女様ですもの。仕方ありませんわ」
「懐かれている君が協力してくれて助かっているよ。力づくで敵う相手じゃないからね」
「イヴ先輩でも敵わないんですね」
「それはそうさ。仮にもし、僕の実力が彼女を上回ったとしても、精霊と袂を分かつような真似は出来ないよ。……だからこそ絶対に王女様には海へ、彼女の父王様の元へ、帰ってもらわないといけないんだ」
ここからが本題ね、とカトリーナは続きを待つ。
しかし、イヴはなかなか本題に入ろうとはしなかった。
早くしないと、王女様が戻ってきてしまう。
とうとう、イヴは思いつめた―カトリーナが初めて見る顔をして、話し出した。
「話すまいと決めていたのだけど、やはり話しておきたい。貴女の重荷になるけれど、聞いてくれるかい?」
一瞬、答えるのを躊躇う自分をカトリーナは感じ取った。人魚姿の王女様に危機感を持った時と似ている感覚だ。
―嫌な予感がするけど、ここまで関わって置いて知らない事があるのも怖いわ。
「ええ、聞きますわ」
―それに……
答えに詰まった瞬間、ほんの少しだけ、イヴが縋る様な目をした事に気付いてしまった。それは直ぐに隠れてしまい、イヴが本心を無理矢理飲み込んだのがわかった。
カトリーナの返事に、イヴはまた「ありがとう」と言った。
―私には顔に出さない努力をしなさいって、言っていた癖に。もしかして、そういう策略なのかしら?
勘ぐってみるも、目の前に座る彼は、もういつものイヴにしか見えなかった。真意はもう測れない。知った所で、もう撤回は出来ないのだけど。
「トリスタン様が宣戦布告を取り下げたのは、昨日話したよね?」
「ええ、王女様が頼んだと」
昨日聞いた時は、喧嘩はするけれど仲睦まじい親子なのかと思っていたが、先程の王女様の話では、それが初めての顔合わせだと言う。不思議な話だ。
「そう。今のところ正面衝突を避けられているが……実は、全く被害が出ていない訳じゃないんだ」
「何か困った事があると?」
「……」
沈黙が生まれるも、少ししてイヴは重い口を開いた。
「この数ヵ月、何とか交易は保ってきたけれど、水難事故が後を絶たない。歌声に魅了された船乗りが海に飛び込んだり、海路に渦を巻いたりね。海の精霊達が、ちょっかいを掛けているんだよ」
何事にも縛られない精霊達は、好奇心の赴くままに行動する。それも、人間にとっては厄介な悪戯を仕掛けるのだ。物が無くなるとか、道を迷わせるは可愛い方で、時には人間を攫ったり、命を奪ったりと、厄介では済まない最悪を引き起こすものも居る。
そんな彼らと人間が共存するに辺り、ホルムクレンでは精霊達を統括する精霊王の存在が鍵となる―と、スローン先生から学んだのだが。
「王女様の件で、トリスタン様の目が行き届いていないんだよ。精霊達にとっては、ちょっとした悪戯やお遊びなのだろうけど国内外の損失が大きい。先日……」
イヴは最後の所を言い淀み―
「とにかく早い所、王女様をトリスタン様の元に送って、海の精霊達をしっかりと統括して貰いたいんだ。これ以上、暮らしの平穏と、国益に損害を出さないために」
と、言った。
追い込まれた大臣のような気持ちで、カトリーナは綺麗に磨かれた窓の方を見た。
「こんなにいい天気なのに、海は今も荒れているんですね」
空は快晴だ。海が荒れているなんて信じられない程に、雲一つなく晴れ渡っている。
「信じられないだろうけど、事実なんだ。ここ最近は魚が獲れないから、漁を生業としている民はかなり困窮しているし、子どもが何人も海に飛び込んだ」
子どもは、精霊の標的になりやすい。妊婦の住まう家には貧富問わず、取り替え子を防ぐために、必ず銀の匙が教会から届けられるよう、法律化して徹底されているほど。これはホルムクレンにしか無い決まり事だ。
「まだ死者が出ていないのが、不幸中の幸いだ。漁師や船乗り達などへの支援を尽力してはいるものの、いつ終わるとも知れない現状に不安が広がり始めている。箝口令は牽いているけれど、国内外問わず、既に海の異変は、船乗りを通じて漏れ始めているんだ。彼らからしてみれば、自分の命が掛かっているからね」
イヴ先輩が髪を乱暴に掻き乱す。本当に参っているようだ。
周辺国に弱みを掴まれては、長年、戦と無縁だったホルムクレンとて、防衛戦は免れないだろう。手を出せなかった理由である精霊の加護が不安定な今を、好機と捕らえる国は後を絶たないに違いない。
ホルムクレンは、思っていた以上に危機に瀕していた。そして、この事実を知っているのは、殆ど居ないのだろう。そうでなかったら、レーム学園だって授業どころでは無かったはずだ。昨夜の食事会の様な穏やかな空気が、ひと時でも流れる筈なんて無い。
心に厳格な大臣を宿したカトリーナの顔は、無意識に引き攣る。
「こんなにも大変な事、本当に私に話すべきでしたか?これって絶対に機密事項ですよね?」
ここがレーム学園だったら、絶対にしない言い方でイヴに問いつめた。この場に罪悪感を持たない者はいなかった。仮にもし、カトリーナとイヴがこのまま聖地に送られたら、二人とも命を絶ってしまうだろう。
カトリーナの問いかけに、イヴは答えなかった。答えられないのかもしれない。
「フォルカー公爵は、どうお考えなのです?イヴ先輩は、公爵の指揮の元、動いているんでしょう?」
イヴはあくまでも、後継者だ。公爵家の人間に生まれ、公務を担っているとはいえ、絶対的な決定権は彼の父である公爵にある。自国の一大事なら猶更だ。
カトリーナはこの話の間、ずっと聞きたかった疑問を口にした。
「イヴ先輩やノレッジ校長を通じて、フォルカー公爵が一介の学生でしかない私を、巻き込んだのは何故です?」
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