118.おでかけ
「ぜったいにかえらない!イヤッ!!」
応接間にて海の王女様は、頑として動かない姿勢を崩さなかった。
「約束しただろう。今日になったら帰ってもらうと」
「アタシは承諾なんてしてない!!」
フンッとそっぽを向く王女様を冷たい目で睨むイヴ。
そんな二人を交互に見ながら、どうする事も出来ずに立ちすくむカトリーナ。
―私の役目は王女様を宥めて、言いくるめてでも海に返す事。
だからと言って素直にイヴに加勢して「海に帰りましょう」なんて言えない。それで済むなら、ここにカトリーナは必要ない。
―とはいっても、こんなにも海を拒絶する王女様を納得させる術なんて、思いつかないわ。他者を操ったり、魅了したりする魔法があれば試すのだけど。
都合のいい魔法を考えるカトリーナだが、仮に使えても海の王女様に効かないだろう事は察しが付く。魔法以外での解決を図るしかない。
瞳に涙をためてイヴを睨み返す王女様の傍に寄って、カトリーナは尋ねる。
「王女様は、これからどうしたいの?」
「かえりたくないって言ってるじゃない!
「どうして帰りたくないの?」
「だってぇ……」
スカートのフリルをギュッと握りしめて、王女様は俯く。
「……まだ、なにもやってないもん」
「やってない?」
「おでかけとか、おかいものとか」
王女様は
「海じゃなにもできないから、かえりたくない」
と、言った。
「海の中にも楽しい事、いっぱいあるんでしょ?昨日たくさん教えてくれたじゃない」
昨晩、カトリーナと海の王女様は同じベッドで休んだ。元々、部屋は分かれていたのだが、王女様がやって来て「カトリーナと一緒が良い」と言って潜り込んできたのである。
色々あって疲れていたカトリーナだが、嬉しいお誘いで眠気が飛び、目が冴えたついでに興味本位で海の世界について聞いてみたのだ。
「貝殻楽器や海藻の森でのかくれんぼ、海流に乗って早く泳ぐスリル感。どれもすごく楽しそうだわ。私も行きたいくらいよ」
教えて貰った事を挙げていくカトリーナに、海の王女様が顔を上げる。
「カトリーナともあそびたいわ。でも、海はダメ。すぐにみつかっちゃったもの」
「お父様に?」
「うん。でもね、おとうさまは陸まではおいかけてこられないわ。だから、にげずに遊べるの。それにね」
王女様は悲し気に「おとうさまは、アタシが居ないほうがうれしいの」と言った。
「それは無いよ。貴女が攫われたと心配して、僕たち人間を沈めるくらいなんだから。それも、娘である貴女が止めるからという理由だけで、押し留めたんだよ。親馬鹿にも程がある」
イヴが話に入る。先程よりは冷たさを収めた様子に、カトリーナは内心で安堵した。
「それなら、アタシをひとり深海にとじこめないわ。アタシね、おとうさまに会ったの、このまえがはじめてなのよ。うまれてから、いちども来なかったんだから」
「会った事なかったの?それじゃあ、お父様の加護って?」
「エテルナがそうよぶの。貴女はおそれおおくも王にご加護をあたえられたのですよって」
王女様が「おそれおおくも」の部分を、厭味ったらしく言う。きっとエテルナという人がそんな風に話すのだろう。
「畏れ多くって……誰に加護を授けようが、王の意思なのに。それこそ、公爵家の始祖であるかの魔女だって、海の王から加護を受けているんだよ?それに比べたら、娘に授けるって順当じゃないか」
イヴがそう言うと、王女様は「そんなこといわれても、知らないわよ」とむくれる。
「とにかく、アタシは海になんていかないから。カトリーナにいわれたっていかないからね」
念を押されて言う王女様にカトリーナは、また振り出しに戻ったと困り果てる。
―けれど、収穫はあったわ。王女様は追手を気にせずに遊びたいのね。出かけて満足させてから、もう一度言い聞かせる。それにか思いつかないわ。
「ねぇ、王女様。今日は一緒にお出かけして、お買い物しない?今日一日、色んな所を見て回って、夜になったら、また一緒に寝るの。良いと思わない?」
「かえれっていわないの?」
「言わないわ」
今はね、と心の中で付け足しつつ、カトリーナは言った。王女様はすると「いっしょに行く!」と嬉しそうに抱き着いてくる。純粋に喜ぶ姿に、いつもは鈍らせている良心が刺激された。
―これは私の役目よ。何も悪い事じゃないわ。
イヴが従者を呼び、王女様のお出かけの準備をするよう命ずる。
「貴女も付いて行くといい。その姿では目を惹いてしまうから」
そう言われた王女様は、今度は素直にイヴの言う事に従った。イヴの言う通り、幼子の姿をした王女様は、人間離れした見た目の良さに加えて、身に纏う高価な服も相まって、どうみても名家のお嬢様―悪人からすれば、良くて金ヅルだ。万が一にでも誘拐なんてされようものなら、公国は海の底に沈むだろう。
海の精霊姫である王女様なら誘拐犯を返り討ちに出来るが、厄介事は無いに越した事は無い。
「カトリーナは?」
従者に付いて扉に向かいつつ、王女様がこちらを振り返る。
「私はこのままで平気よ」
若葉色のワンピースの裾を少しだけ持ち上げて言う。
袖元や裾に施された白のレースが清楚ながら可愛いデザインだ。今朝、公爵家の侍女がイヴに言われて用意してくれたものらしい。
制服があるからと遠慮したのだが「着てくれないと、私が公子様に叱られてしまいます」と、有無を言わせない笑顔で言われると、断るわけにはいかなかった。
「髪もそんなに長くないし、私に変装は要らないわ」
冬に焦げた髪の長さは肩を超えたものの、未だ裕福の象徴である腰まで届くほどの物じゃない。結っているリボンを質素な髪ゴムに変えれば、平民と差して変わらないだろう。上品なワンピースによって、お忍び王女様の付き人に見えたら良い方だ。
「アタシを置いて、でかけちゃイヤよ」
「そんなことしないわ。待っているから、いってらっしゃい」
カトリーナの言葉に納得した王女様は、今度こそ応接間を離れた。
さて―
「イヴ先輩。何かお話でも?」
暫くこちらを見つめて黙っていたイヴに声を掛ける。赤みの強いアメジストの瞳は、小さなカトリーナを映していた。
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