116.公爵家のお食事会
「お帰り下さい」
「イヤよ」
「帰りなさい」
「イヤ」
「……帰れ」
「イヤ!」
イヴと海の王女様の口論は、公爵家の執事が夕食を知らせに来るまで続いた。
―そろそろレーム学園に帰らなくちゃ。
日の出ている時間が長くなって来たこの頃とはいえ、窓から見える雲は紫がかっていた。銀の鍵を使えば瞬時に戻ることが出来る。本来、学外に銀の鍵を持って出るのは退学ものだが、今回は仕方がない。きっと許してもらえるだろう。
―許されなかったら納得いかないわ。万が一にも退学になれば、新聞社とかに全部暴露してやる!
痛い妄想だと思いつつ、カトリーナはお暇しようとソファから立ち上がる。
「先輩、私そろそろ……」
「夕食が出来たって言われたでしょ。今日は泊って行きなよ。校長にはすでに伝えてあるから」
思いがけない言葉に、カトリーナは唖然とする。執事はイヴにだけ言ったと思ったからだ。
「急な事ですし、ご迷惑じゃないですか?」
「いいや。貴女にとっては急かもしれないが、明日からは、そこの我儘娘の相手をして貰わなくちゃならない。貴女の言う事なら聞き入れるだろうからね。無理を頼むんだ。このくらいはさせて欲しい」
イヴの言葉に
「では、お言葉に甘えますわ」
と、返すカトリーナだが、内心は王女様を説き伏せる自信は無い。
―王女様は頑固だし、そもそも、自分から出て行った場所に戻れなんて、私だけは絶対に言えないわ。
もし、自分が言われたら同じように抵抗するだろう。
―どうしたものかしら……。
思案するカトリーナの傍では、イヴと王女様の小競り合いが再発していた。
「王女様にも、今晩はこちらで過ごして貰います。今日の所は引き下がりますが、明日はお帰り願いますからね」
うんざりした目を向けながら言うイヴに、王女様は、ベーと舌を出して
「かえらないもん。カトリーナといるんだから」
と、本物の幼子の様な口調で言い返す。
「小癪な。僕達よりも年上の癖に」
イヴが眉間に皺を寄せるも、王女様はどこ吹く風だった。
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公爵家の夕食は、どれも美味しかった。サラダはドレッシングと合っていて、コーンスープはサラサラしているのに濃厚だ。初めて食べた仔牛のステーキは、カトリーナの好物に昇格した。
夕食はカトリーナ、イヴ、海の王女様の三人だけ。
―イヴ先輩のご両親は一緒に食べないのかしら?
三人分の食事にカトリーナは不思議に思ったが、公王夫妻にお会いするかもしれないと少しだけ緊張していたので、顔見知りだけと知って安堵する。
カチャカチャ、カチャカチャ―
隣で食器を鳴らして食べる王女様。食事で音を立てるのはマナー違反だが、陸での暮らしに慣れていないから、仕方ない。
しかし、王女様はそれがお気に召さないらしい。
「どうしたら、音ならせずにたべられるの?」
頬を膨らませて、カトリーナに尋ねる。
「慣れれば自然と出来るようになるわ。海でも音は立てちゃいけないの?」
「他はなにもいわないけど、エテルナは怒るわ。しかもアタシにだけ」
「エテルナさん?」
「アタシの教育がかり。……おとうさまがアタシにつけた監視役よ」
大っ嫌い。
そう呟く王女様の瞳に憎しみで満ちる。幼い今の姿には似合わない、ドロドロとした暗い雰囲気だ。
「……この場は公では無いし、咎める人は居ないから、作法は気にしなくていい。誰も咎めはしないよ」
イヴはそう言って、フルーツをひとつ摘まんで口に放り投げる。口を大きく動かしてモシャモシャ食べる様は、次期公王では無く、普通の若者だ。顔が美しすぎるので、庶民には見えないが。
普段の公子はこんな食べ方をしないのか、一瞬、控えている使用人が驚いた顔をしたが、直ぐに元の澄ました顔に戻る。
カトリーナはイヴの意思を汲み取って、飾り切りされたフルーツを手づかみで口に運ぶ。淑女として、放り投げる事はしない。
王女様はカトリーナとイヴを交互に見ると、
「アナタ達、いいヒトね」
と、言ってフルーツを摘み、イヴの真似をして口に放り投げる。
こうして、フォルカー家の非公式お食事会は、いつもよりも賑やかに過ぎていった。
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