115.知らなかった大事件(2)
「宣戦布告……」
聞いた言葉をそのまま口に出す。まるで初めて聞く言葉の様に。口にする事で、自分のした事の大きさに眩暈がした。
「わ、私は、自分の身を守っただけよ」
カトリーナは自分を正当化する理由を探した。これはレーム学園で生き残るのに必要な処世術だった。大嫌いなアザミが生きて聖地を追放された事で、皮肉にもそれが証明されている。
―ここが、レーム学園じゃなくて良かった。
小刻みに身体が震える。身の危険を回避する為に、精霊を敵に回した事実をカトリーナは受け入れたくなかった。しかも、海の精霊王は、カトリーナだけを標的にはしないだろう。人間に宣戦布告をしたのだから。
―レーム学園に居たら、私はジゼルの二の舞だわ。それも、ジゼルなんかよりも重い罪悪感で。
「ちょっと小童!カトリーナをいじめるんじゃないわよ!!」
人魚―カトリーナが「攫った」海の王女様が声を上げる。王女様はカトリーナに抱き着いて
「こわがらなくていいのよ」
と、宥める様に微笑んだ。
―慰めてくれているのかしら。有難いけど、今は何を言われても、心が軽くなれない。事が大きすぎるもの。
せっかくの王女様の気遣いに、カトリーナは申し訳なくなる。その上、小さな子供に慰められている学生。傍から見れば、変な構図だ。カトリーナは王女様に「ありがとう」と言ったが、頭と心が不安でいっぱいだった。
―海の王女様に何があったのか、どうして逃げていたのかはわからないけど、私は王女様を連れてきてしまった。どうしたら、許してもらえるかしら……。
王女様はカトリーナに好意的だ。しかし、その親……トリスタン王は宣戦布告に至る程、娘の身を案じ、その娘を連れ去ったカトリーナの所業に、烈火の如く怒っているのは間違いない。
表情が曇ったままのカトリーナを見た王女様は、キッとイヴを睨みつける。
「ふるえてるじゃない、どうしてくれるのよ!」
「僕のせいじゃない。大体、貴女が気まぐれでトリスタン様に心配を掛けるから、こんな事になったんだ」
「まぁ、ニンゲン風情がアタシに説教しようっていうの?」
「僕は高貴な身の上に生まれながら、その責務を全うしない奴は嫌いなんだ。たとえそれが、精霊のお姫様でもね」
海の王女様を睨むイヴの瞳に怒気が宿る。自分に向けられた訳じゃないのに、カトリーナの身は竦んだが、当の海の王女様には、全く聞いていない。
「ふん、アンタなんてアタシが本気をだせば、ひとひねりなのよ」
ここホルムクレンでは、精霊と人間の戦争は大昔の神話などではない。
精霊の加護によって、他国からの侵略に怯える心配がない精霊の故郷にして、争いと縁の無い平穏な国。その反面、精霊との関係が抉れたら、一気にその平穏は崩れ去る。
その一因を、カトリーナが引き起こしてしまったのだ。
―でも、それにしてはイヴ先輩も大人達も落ち着いているわ。
カトリーナが海を召喚してから、かなりの日数が経過している。その間、授業は普通に行われていたし、公王お住いのここ公爵邸も、緊迫感のきの字も無い。海の精霊王が人間に報復に来るのなら、暢気にここで座っている場合ではない筈なのに。
「イヴ先輩、王女様」
カトリーナは口論を続ける二人に呼びかける。
「どうしたの?」
「どうかした?」
二人は同時にカトリーナの方を向く。
「その、海の精霊王が宣戦布告したのなら、ホルムクレン公国は大変なんじゃないんですか?王女様も慣れない環境よりも海に帰りたいだろうし……」
カトリーナがそう言うと、海の王女様はふくれっ面で、
「かえらないわ。アタシはカトリーナといっしょにいる!」
と言った。
「でも、お父様が心配しているんでしょう?」
「いやよ。おとうさまなんて知らないわ。ずっとアタシを閉じ込めて、姉妹たちとおとうとは、自由にお出かけできるのに。アタシだけを除け者にして!もうウンザリよ!!」
「閉じ込められた?除け者?」
「やっとでてこれたの。ぜったいにかえらないわ!」
アタシだけを除け者に。
カトリーナはその言葉に引っ掛かった。
自分が生まれて、自分の居場所のはずなのに、伯爵家に自分の居場所はなかった。カトリーナだけが、使用人も含めて異質だった。異質だったから除け者にされた。
だから、出ていける事に、レーム学園に入学できることに、とても喜んだのだ。
こんな所、二度と戻って来るものか。そう意気込んで。
―でも、王女様にはお父様……王様の加護があったわ。それは王女様を守るためじゃないの?
カトリーナは愛らしい海の王女様に、親近感を持つと同時に、何か理由があるんじゃないかと、思わずにはいられなかった。
「いい加減にしないか。今から海まで引き摺って行く事も出来るよ」
イヴが幼子を叱る大人の様な声色で言った。ここまで苛立っているイヴを、カトリーナは初めて見た。
―いつもは揶揄うような感じなのに。
「やれるものならやってみなさい。こんどこそおとうさまがこの国を海の底にしずめるわ!!」
「そうなったら、貴女が大好きなカトリーナも悲しむね。カトリーナは学校が好きだから。ここに居られなくなるのは可哀想だ。……そうだよね、カトリーナ」
急に話を振られたので「え、えぇ、そうね」と慌てて頷く。
「カトリーナはかなしむの?」
海の王女様がこちらを窺う様に見上げる。
「ホルムクレンが、レーム学園が消えてしまうのは、悲しいわ。私にとって大切な居場所だから」
ホルムクレン王城の魔法ゲートが消えたら、レーム学園には、聖地には二度と行くことは出来ないだろう。恐ろしい呪いがあっても、楽しい思い出のあるあの場所への道が途絶えるのは、正直に悲しい。
「カトリーナがイヤなら、絶対にさせないってやくそくするわ」
「ありがとう、王女様」
「なかよしだから、このくらいとうぜんよ」
胸を張って得意げな少女が、微笑ましくてカトリーナから自然に笑顔がこぼれる。そして、その様子を黙って見守るイヴに向き直り、話を元に戻した。
「先程の続きですが、公国に危険はないのですか?さっき王女様も「こんどこそ」と言っていましたが」
イヴは「それをずっと言いたかったんだけど、ようやくだね」とため息をついて答える。
「そこの王女様の我が儘のおかげで、トリスタン様は宣戦布告を取り下げたよ。ただ、娘を早く返してくれという要求は健在だ。そうしないと、取り下げを撤回されかねない。だから、この王女様には速やかに海に帰って欲しいんだよ」
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