112.人魚の涙
表情を歪めた人魚の様子に、カトリーナは自身の最期を悟った。
―やっぱり無礼だったわ。鵜呑みにするんじゃ無かった…。さよなら、デイジー、エイミー。そして、エル。
心の中で大切な人達に別れを告げて、鋭い爪が、恐ろしい手が向かって来るのを待つ。
が、いつまでたってもその時は訪れなかった。
人魚は顔を歪ませたまま、じっとカトリーナを見つめている。
「どうかされ…どうしたの?」
カトリーナが敬語になりかけた時、背筋がヒヤリとして、とっさに砕けた口調に変える。その事に、内心カトリーナは焦っていた。
―口が勝手に動いたわ。二度もやってしまったら、もう言い逃れも出来ない…。
勝手に動いたと思っているが、これはカトリーナの生存本能の賜物である。この時に、敬語に戻していたら、どうなっていただろうか。
カトリーナの問いかけに、突然人魚は涙を流す。カトリーナはギョっとしたが、何も言えなかった。
人魚の方も涙を止めようと目に力を入れているのが、何となく察せられた。
けれども、涙は止まること無く、大粒の雫がポロポロとカトリーナの顔に落ちてくる。
―人魚の涙もしょっぱいのね。
不可抗力で涙が口に入ってしまい、そんな感想を持つ。そして、ふと、自分が変態臭い気がして、その感想は墓まで持っていく事に決めた。
「う、うえっ」
とうとう泣き声を漏らし出した幼い人魚に、カトリーナはおろおろとする。
―エレナが本気で泣いている時は、ざまぁみろって思うのに。この子が泣いているのは、居心地が悪いわ。
人魚は幼い見た目に似合わず、じっと気持ちを押さえるかの様に静かに泣く。それはあまりにも胸を締め付けたのだ。
「どうしたの?どこか痛いの?」
動けないので寝そべったまま声をかけるカトリーナに、人魚はしゃっくりを上げながら
「ご、ごめんなさい。こ、こ、こわがらせて……」
と言った。
さっきまでの傲慢さなど欠片も無い様子に、カトリーナは
―何かの罠かしら?涙で油断を誘うとか…
警戒しつつも、心から、目の前の涙を疑うことは出来なかった。
「ア、アタシね、ニンゲンがこんなに弱いなんて、し、しらなかったの。い、いのちを奪うつもりなんて、これっぽっちも無かったのよ。ほんとうよ」
人間の幼子が必死に話すのと同じ様に、人魚が一生懸命に言葉を紡いでいるのが分かった。
「アタシね、ずっと会いたかったの。なのに、ノレッジの若造は理由をつけてはぐらかすし、アナタとずっといっしょにいたオンナの魔法士は、結界をはって近づくこともゆるさなかったわ」
ノレッジの若造とは、ノレッジ校長の事だろう。カトリーナから見れば、良い年した大人だが、長寿な人魚からすれば若造呼ばわりなのは滑稽だ。
―女の魔法士は、きっと治癒魔法士アキレア先生の事ね。……結界を張っていたなんて知らなかったわ。
医務室で退屈していた裏側での攻防を、カトリーナは初めて知った。
「アイツらの事はムカついたけど、アタシ、がまんしたの。アナタがげんきになるまで。いのりの歌だってとどけたわ。…ほとんど結界にはじかれたけど」
祈りの歌。
カトリーナに思い当たるのは一つだけだ。
医務室で眠り夢で見た、海の底でロウバードを優しく抱えて歌う誰か。その人の歌も幼い人魚と同じ、ずっと聞いていたいと思わせる歌声だった。
「きょうやっと会えて、うれしかったの。だから、浮かれてしまったの。こわがらせるつもりは、なかったのよ。何度だってあやまるわ。だから―」
どうか、アタシを嫌わないで。
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