107.ノレッジ校長からの呼び出し(2)
理由も知らないまま校長室に呼び出されて困惑し、ノレッジ校長の前置きの長い話に苛立ち始めたカトリーナは、今度は唖然とした。
ホルムクレンの魔女について煌々と語り続けていたノレッジ校長が、突如としてずぶ濡れとなり、大きなくしゃみをする。
丁寧に撫でつけられていた金髪は無残にも崩れ、全身に高級感を纏う威厳ある校長は、一瞬にして貧相な濡れ鼠と化してしまった。
その情けない姿は、もう数か月も前の出来事となった、カトリーナが事あるごとにびしょ濡れにしたアザミを思い出させた。
けれども、今回のカトリーナは何もしていない。怒りの沸点が低いとはいえ、話が長いだけの校長に魔法をけしかける度胸は、カトリーナには無い。
―私は何を見せられているのかしら?
どうして自分が呼び出されたのも分からなければ、今ここで何が起こっているのかも分からない。レーム学園に来て初めて、カトリーナは、ここから逃げ出したいと思った。
「ぶえっっくしょん!!い、一体何事ですか!?」
視界に邪魔な前髪を後ろに撫でつけ、ノレッジ校長は叫ぶ。
―何事ですか、はこっちの台詞よ。
と、カトリーナは言いたかったが、流石に言えなかった。
すると突然―
「いつまで待たせるのよ!」
不機嫌な幼い声が聞こえる。決して大声では無いのに、良く通る声は校長室に響き渡った。そして、不思議な事に、声がどこから聞こえているのかが分からない。
「はやくしてって、言っているでしょ!!」
声はすれども姿は見えない。今までここには、カトリーナとノレッジ校長しか居なかったはずだ。キョロキョロと辺りを見回し、後ろに居るのかと思って振り返るも、部屋の扉があるだけだった。
「誰!?どこにいるの?」
カトリーナは何となく天井を見上げて、声の主に尋ねる。天井を向いたのは他に目を向けていないのが、天井しかなかったからだ。
「ト、トレンスさん……!言葉に気を―」
唇の青くなった校長が何かを言いかけたのと、
「うふふ、上じゃないわ。こっち、こっちよ」
声が可笑しそうに笑ったのは同時だった。
幼い声は先ほどの不機嫌さが薄れ、楽しそうに笑う。その声に、カトリーナは覚えのある気がして、心が安らぎ、ずっと聞いていたい声だと思った。
―こっちって言われても……
カトリーナは呼びかけられた気のする方向―ノレッジ校長を見つめる。
「この声って、校長先生の魔法ですか?」
違うだろうと思いつつ聞いてみると、案の定
「違います……」
「ちがうわよ」
弱弱しい声と、元気な声が否定する。
「ご紹介します、この方は―」
魔法で乾かしたのか、いつの間にか元の威厳ある姿に戻っていた校長が咳払いをして言いかけるも―
「まったく、陸はうごきにくい……もうかってにするわ」
「お、お待ちください……!」
「だれに指図しているの?アタシはじゅうぶんにまってあげたわ」
ノレッジ校長はおろおろとする。服が乾いても、いつもの威厳は戻っていないようだ。
「し、しかしトレンスさんにはまだ何も知らせておらず……」
「アタシをこれだけ待たせておいて、そんな事ゆるされるとおもっているの?」
「申しわけございません……」
「あなたさっきから、ずっとヴィオラの話しかしていないじゃない。矮小なニンゲンのぶんざいで、アタシをバカにしているのかしら?」
「め、滅相もございません!そのような事は断じてありません!!」
―ノレッジ校長があんなに下手に出るなんて、何者かしら?詳しくは知らないけど、校長も屈指の名門貴族の一員らしいのに。
声の主がそんなにも尊き身分の方なら、自分は顔を見る事も許されないだろう。
―だから、私には見えないのかしら?
そんな風に考えていると、
「ああ、もうじれったいわ!!」
と、幼い声がしびれを切らしたように言うと、何かが執務机の向こうからとびかかって来た。
「うぉわ―」
カトリーナが想い人にはとても聞かせられない悲鳴を上げるも、その悲鳴は何かによって飲み込まれた。
何かはカトリーナに纏わりつく様に抱きしめると、校長室から消えてしまったのである。
消える直前、自身に触れる体温がひんやりとしているのを、カトリーナは感じていた。
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トプン……
静かな音を立てて、カトリーナは水の中に浸かった。
そっと降ろされたのだが、足が届かないほどの深さに驚き、手足をバタつかせる。
―身体が沈む!溺れる!
暴れれば暴れる程に沈んでいくのだが、必死に藻搔くカトリーナは気が付かない。
「あわてなくて大丈夫よ、あなたこのまえは泳げてたじゃない」
幼い声がカトリーナの身体を支える。身体が安定した事で、落ちついたカトリーナは初めて自分を連れてきた存在に目を向けた。
海の色を思わせる豊かな髪。幼さを感じさせるふっくらとした頬に、まんまるとした金色の瞳。そして何よりも目に入るのは、人間とは異なる水掻きのついた手に、ザラザラとした鱗。
「やっと会えたわ」
嬉しそうに笑うその存在は、とても綺麗で愛らしかった。
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