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セドリックが発見した種子は、捜索隊の面々の尽力によりどうにか回収することが出来た。
瓦礫群がある場所がロープの届くギリギリの深さであったり、複雑に噛み合わさった瓦礫の隙間の奥にあるせいで手が届かないうえ、下手に瓦礫をどかせば穴ごと崩れかねなかったりと相応に苦労はしたが、臨機応変な対応力に長けた上級探索者が複数人がかりともなれば大概のことは何とかなる物である。
「こ、この種で間違いないです」
急な崩落などに備えておんぶされっぱなしの倉庫管理担当の職員の言葉に、種子回収に苦慮させられた面々から一斉に安堵の声が漏れた。
発芽しないよう、念のためにと細かくナイフで分割したうえで枯死剤がたっぷりと入れられた革の水筒に放り込み、ついでに発見されたいくつかの遺物も回収した種子捜索隊は揚々と帰還を始める。
祝福を重ね掛けして無効化しているとはいえ、周囲を遺物のガスが満たされた場所で動き回らなければならないのは、遺物の恐ろしさを身をもって知っている探索者だからこそ強いストレスとなっていたのだろう。
街の脅威を無事解決できたこともあり、鼻歌すら歌い出すものがいるほどのうかれっぷりを披露しながらも機敏な動きで瓦礫や大穴を軽々と越えてゆく上級探索者たちの姿に、中堅魔術師は感心半分、呆れ半分の感情を持て余し何とも言えない顔であった。
緑のガスと土埃に満たされた荒れ地を抜け風の壁に近づけば、濁った空気を通さなくなったことで見えた空はすでに夕暮れとなっていた。
待機していた探索者と職員たちの視線は帰還した捜索隊に集中し、誰もが固唾を飲んで結果を聞こうと待ち構えている。
ニヤリと笑い、種入りの枯死剤袋を種子捜索隊の一人が掲げ「やったぞ!」と声を上げた。
直後、爆発のような驚喜の雄たけびが空気を揺らす。
風の壁を維持する魔術師たちも顔を緩め、手の空いたものは誰かの肩を叩いたり拳を突き上げたりと思い思いに湧き上がる感情を開放していた。
かくして、遺物の暴発による此度の大事件は終息を迎えたのである。
二日後。
セドリックはのんびりと、定宿の自室で頭痛に効く薬湯をすすっていた。
風の壁を作り出した魔術師たちは、大規模な魔術の行使と長時間の精神同調の反動から回復しきっておらず大半が休養中。
神官たちも、魔術師たちが魔術を維持している間に風の壁の内側に満たされたガスを『せいじょう』の祝福によって無害化させる必要があったため、種子捜索隊の守りのために消耗した分が戻りきる前に再び祝福をかけ続けることになり、こちらもほとんどが休息を必要としている。
そういった事情からメンバーが欠けた状態の探索者チームも多く、そうでなくとも神官たちの状態から神殿が開店休業となっているため、遺物によって何らかの異常を受けても祝福による十分な処置が受けられない可能性が高い。
加えて組合も未だ仮設天幕のままであることもあり、現在ほとんどの探索者たちが遺跡探索には向かわず、街の復興作業をこなしていた。
遺物管理組合の倉庫があった跡地の周辺には未だ多くの遺物が残されているはずだが、それの回収依頼が出されるのは教会の人員がもう少し余裕を持てるようになり、周辺の復興が多少進んでからだろう。
今遺物を回収したところで、天幕しか組合の建物がない現状では保管する場所も足りない。
となると、力仕事に向いていない魔術師であり、かつ先日の大枝落下事件の際の『アイヒスの揺り籠』の共同発動の反動が収まるまであまり魔術を使いたくない状態であるセドリックが出来ることは大してなくなってしまう。
青年はそれを良い機会だと考え、諸々が正常稼働するまでの期間をのんびりと過ごし、休養に充てるつもりだった。
「やあセド。呼び出しだよ」
しかし突然勝手に鍵を開けて入ってきたマーリャに、彼のつかの間の平穏はあっさり破られた。
魔術師は驚いて取り落としかけた薬湯入りのカップをどうにか捕まえ、ピッキングという犯罪行為をさらりと行った知人に、色々と言いたい文句を飲み込んで話を促す。
「呼び出しとは?」
それに応えたのは、マーリャの後ろからひょいと現れたグラントだ。
「組合からだ。きちんと管理してねぇと確実に暴発する遺物がいくつかあるのが分かったらしくてな。急ぎで回収しとく必要があるんだとよ」
種子捜索の際の成果からの、迅速な発見を期待されての抜擢だった。
なるほどそれは行くしかなさそうだ、とセドリックは立ち上がって支度を始める。
ローブや魔導書など、魔術師としての装備を整えだしたセドリックを尻目に、いったん扉を閉じたグラントとマーリャは魔術師の準備を待つ間、廊下の壁に寄りかかりながら雑談していた。
「あのガス、下水に開いた穴から無事な区まで流れたらしいぞ。んで、若返った一部のやつが神殿の治療を拒否してるらしい」
「うーん、気持ちは分からなくもないけどねぇ。遺物に対する認識が甘すぎ? 最近引っ越して来た人なのかな。ああ、遺物と言えば。あの木、ただ成長が早いだけのシロモノだったらしいね。巨大化は別の遺物の影響。グロブグリン紋の肥料だって」
「グロブグリンか……役に立つもんも多いんだがなぁ。蓑小麦なんかもあそこの遺物だろ?」
「だねぇ。蓑小麦のパンは少し酸味が強いけど、もっちりしてるのがいいよね。特に羽車亭のバゲットサンドは最高」
「確かにアレは文句なしに旨……」
不意に、グラントとマーリャはほとんど同時に口を閉じて身構えた。
何が起こったわけでもない。しかし、上級探索者として培ってきた『勘』が彼らに警戒を促している。
無言で合図を交わし、ひとまずセドリックと合流しようと扉にグラントが手を伸ばした瞬間、部屋の中から「うわっ」と声が上がった。
直後の二人の行動は上級探索者の名に恥じない迅速さであった。
マーリャは廊下の前後の通路を警戒して死角をカバー、グラントは片手を背の大剣の柄にかけ扉を即座に蹴り開けて突入すると同時に、室内に視線を走らせ状況を把握せんとする。
部屋の中にいたのは少しだけのけ反るような姿勢で驚いた表情をしている魔術師と、その目の前を宿の壁をすり抜けながらふわふわと泳ぎ去っていく半透明な熱帯魚の群れだった。
見ている間にも次々と異なる種類のカラフルな魚たちが、壁など無いかのように空中に尾ひれ背びれを優美に揺らめかせながら現れては去っていく。
「無事そうだな。魚か? これ」
「廊下の方にも出たよ。音からして、外も騒ぎになってるみたいだ」
即時の危険は無さそうだ、と警戒は維持しつつも一旦武器からは手を離した上級探索者二人に対し、人に魚にと続けて自室に不法侵入される羽目となったセドリックは、今日は厄日かと内心ひっそりため息をつきながら、ベルトに下げた魔導書に触れて両目を閉じた。
セドリックの探知術で得られる情報はヒトが五感で得られるものより遥かに多様かつ詳細であり、それを利用してこの異常事態の簡易的な解析を試みたのだ。
数秒して目を開けた中堅魔術師は渋い顔をして、ぬるりと人を迂回して泳ぎ去る細長い斑点模様の魚に視線を向ける。
「実体のない幻の類のようだ。分かる範囲では害は無し。由来は魔術でも祝福でもない、となれば……」
「まあ、遺物だよねぇ」
納得したようなマーリャの言葉に、むしろ遺物以外がこんな妙な事態を引き起こしたなら、そちらのほうがよっぽど異常な一大事である、と遺物都市アンシェナートルに染まり切った探索者たちはそろって頷いた。
宙を泳ぐ半透明の色とりどりな魚たちは何かしらの遺物の作用により現れたものであり、十中八九、巨木発生で散乱した遺物のどれかが暴発した結果だろう。
宿の外でも半透明の魚たちは自由に泳ぎ回っているようで、遠近問わず方々から騒めきの音が上がっていた。
しかし、宿へ届くその音は一定の大きさを超えることはなく、むしろ時間の経過とともに少しずつ小さくなっていく。
なぜならば、探索者だけでなくこの都市に住まう大半の住民もまた、巨木が生えたとたんに素早く避難して被害者をほとんどださない程度には遺物慣れしているからだ。
復興作業中の街並みを、幻影の魚たちがすり抜けていく。
アンシェナートルは今日もいつも通りであった。
探索者豆知識7:セドリックの定宿
安い代わりに立地が悪く、大通りから遠い奥まった路地の分かりづらい場所にあるため、セドリックの知り合いの中でも僅かな者しか場所を知らない隠れ家的な宿屋となっている。
サービスはやや悪くベッドは固め。