逆打ち出の小槌作戦
巨木から大きく距離を開け、その周囲をとり囲むように巨大な円を描いて等間隔に並んだローブ姿の魔術師たちが、一糸乱れることなく抑揚のない声で淡々と魔術を司る神への祈りの言葉を繰り返していた。
はたから見れば異様な光景ではあるが、彼らの気が狂ったりした訳ではなく、これから大人数で魔術を発動させるために必要となる精神の同調とその維持を行っているだけである。
巨木発生から六日目。
枝に茂る葉の付け根についた蕾は豊かに膨らみ綻び始め、その花を咲かせ実りへと変化するのも時間の問題となっていた。
巨木を処理するための最後の作戦、その第一段階となる強大な魔術の発動のために集められた街中の魔術師たちからやや離れた場所で、少数の探索者たちと共に待機する紺色のローブの青年が一人。
セドリックである。
若返りのガスは安全地帯から連れ戻された研究家たちによって、植物にも十分に効果が及ぶこと、木の年齢がたったの数日であるために若返らせる必要のある日数が少なく、タンク内にあるガスの量でも優に足りるであろうことが確認された。
よってこれを用いて巨木を縮めることとなったものの、この危険物たるガスを壊滅しかかっているとはいえ街中である木の周囲にただぶちまける訳にもいかない。
そうして立案された作戦の工程は全部で三段階に分けられた。
まず第一段階として、魔術によって巨木の周囲に壁を作る。
これは次の第二段階のために必要な下準備だ。
そのために街中にいた殆ど全ての魔術師が集められ準備を整えている。
第二段階。
事前に設置しておいた細工を施したガス入りのタンクを巨木の根元で爆発させ、中に詰まったガスを拡散させる。
通常、植物が気体を吸収するのは葉からではあるが、この遺物のガスは樹皮からも浸透し作用するため高い位置までガスを届かせる必要はない。
第一段階で作った魔術による壁があるため、ガスは拡散せずに巨木の周囲に留まる。周囲の人的被害を抑えるとともに、巨木へと十分な濃度でガスを作用させることが出来るだろう。
そして最終段階。種子の回収と無力化だ。
緑のガスは若返らせる効果はあるが、成長を止める効果はない。
よって、ガスが無くなってしまえば一度若返った木は再び伸びだし、また元通りになってしまう。
それを防ぐためにはガスが充満した魔術の壁の内側で、種になっているだろう遺物の巨木を探し出して成長しないように手を加えなくてはならない。
作戦の要ともいえる大役を担う種の捜索部隊が待機している場所が、今まさにセドリックがいる場所であり、つまるところ彼は捜索部隊に選ばれた探索者の一人であった。
「何故だ……」
集まった神官たちが、ガスの影響を抑えるためにこれでもかと祝福を重ね掛けしてくる中で、セドリックは納得のいかない顔で小さく呟いた。
彼と同じく祝福を浴びせられながら待機している探索者は、誰も彼もが上級チームに所属する五感の鋭い斥候役であったり目の良い弓持ちばかりである。
それと、種子探しにあたり邪魔になるであろう瓦礫類の撤去のために、特に腕力体力に優れたこれまた上級チームに所属するガタイの良い探索者が若干名。
一人の神官が祝福をかけられる回数にも限りがあるために、種子捜索部隊は少数精鋭となっている。
そんな軽装に身を包んだ、この街の探索者であれば名を知らぬものはモグリと言える高名な彼ら彼女らに混じるローブの中堅魔術師。どう見ても浮いていた。
他の魔術師がほぼ全員壁づくりに駆り出されていることも余計に目立っている原因だろう。
「何故って、うちとカーンのとこが推薦して組合が承認したからだな」
「そういうことだね」
「……そうか」
グラントと、隣に並んだ半笑いを浮かべた弓を背負った小柄な女性、マーリャの言葉に、セドリックは何とも言い難い表情でただ一言だけ返した。
マーリャはグラントのチームで斥候役を担っている探索者だ。
グラントは腕力を、マーリャは目の良さを期待され捜索部隊に選ばれている。
二人のようにセドリックとそれなりに知り合いである者はともかく、そうでない面々はセドリックと同じように疑念を浮かべた顔で、平凡な紺のローブ姿の青年に視線を向けていた。
とはいえ、推薦込みであったとしても組合が実績や能力から選び出した人選であるため、多少疑問を感じようとも表立って反対するような阿呆はいない。
セドリック自身も組合が自分を種子の捜索部隊に入れたことを納得しきっていないため、疑問符の浮いていそうな視線にも内心で同意するばかりである。
多少は『目』が良いとは自認しているが、それだって上級探索者と比べて優れているとは彼は考えていなかった。
実際、組合からも周囲からも、そして彼自身の評価としても、探索者としての実力分類は中堅であり、祝福の都合上参加人数の枠が限られている中で選ばれるなど露ほども思っていなかったというのに、現実はこれである。
グラント達と、カーン……グラントとは別のチームの上級探索者の面々に能力を高く買ってもらっているというのは嬉しい反面、現状の己の場違いさにセドリックは胃が痛む思いだった。
まだ距離があるにもかかわらず大きすぎて壁のように見える巨木の幹を見上げ、青年はため息をついた。
たかだか中堅探索者でしかない自分が街どころか国の存亡に関わるような重要な作戦に向かうなどおかしな話だと、彼は内心で愚痴をこぼす。
しかし同時に、出来ると思われているからやれと言われここにいることも理解していた。
であるならば、彼に出来るのは、己を推薦したグラント達や選んだ組合の判断を信じ、覚悟を決めて全力を尽くすことだけだった。
高級品である小型の時計を手にした組合職員が、遠方まで音が届くように術の刻まれた魔術道具の小さな鐘を打ち鳴らしだしたのを合図に、魔術師たちが一斉に詠唱を開始する。
幾重にも重ねられた呪文が遠近からうねり響く中、魔術師たちが作る輪の内側でセドリックたちは待機していた。
「「「■■■よ、■■の■たる■よ、■り■りて■の■■を■■に■し■え――――【ゼフカの溜息】」」」
詠唱が終わり、魔術が発動する。
巨木を中心に渦を巻くように風が生み出され、繋がり巡って内と外を隔てる壁となる。
その壁は幹の方へと斜めに傾いており、目に映すことができれば巨木がスカートをはいたようにも見えただろう。
ただ風を生み出すだけの魔術である【ゼフカの溜息】は、基礎的であるがゆえに大抵の魔術師が習得している上、そのシンプルさから魔導書による補助的な効果をのせやすい。
故に魔導書による補助をもって、生み出される風に指向性を持たせ形を整え循環するようにし、大人数と儀式的行為による効能の増幅を行えば、天を貫く巨木の馬鹿げた直径の幹であっても包むことができる。
前日の魔術師たちは必要となる補助記述の魔導書への書き込みに、効率的な儀式要素を盛り込んだ立ち位置のパターン構築、必要な補助具の配置、そして精神同調と大層な忙しさに追われることとはなったが、それらは存分に手間と労力に見合った効果を発揮したのだ。
捜索部隊の背後が風によって閉じられてから数十秒。瓦礫の向こうの前方で爆発音が鳴り、遠くから濃緑色の煙が吹きあがり若返りのガスが拡散しはじめる。
人力で運べる程度の大きさでしかないあのタンクの中にいったいどれほどの量のガスが詰め込まれていたというのか。風の壁の内側の空気は徐々に緑色に染められるばかりでなく、少しずつその色を濃くしていく。
捜索部隊もガスに包まれるが、重ね掛けされた祝福の防護効果により全員が異常なくその場に立っていた。
ガスが内に満たされたことにより、風壁の範囲も明確に見えるようになる。
巨木全体からすればガスに浸されているのはほんの一部でしかない。しかし、理不尽な巨木と同じく遺物である緑のガスは、非常識さを上書きするようにその本懐を果たした。
元々が急成長だったためか、奇怪なほど急速に巨木はその背を縮めていく。
色づいていた蕾が彩を無くし、葉は枝に吸い込まれるように姿を消す。
枝も根も長さを失い、幹の元へと巻き戻っていった。
巨大さから遠近感の狂いをもたらし、まるで眼前に立ちふさがるようにそびえ立っていた白線の引かれた幹もその体積を減らし、細く低く変わっていく。
押しのけられていた瓦礫が支えを失い崩れる音が響き、舞い上がった土ぼこりが緑の大気に色を加えた。
小さく、小さく。巨木が縮まり風壁の内側に収まったことで、幹に遮られていた魔術の風壁が本来テントのような円錐型であることが露になる。
城のような高さから、深い森で稀に見かける程度に。森で見かける高さから、貴族の庭園に植えられている程度に。
縮んでいく巨木の姿が残された瓦礫の向こうへ消えて見えなくなったのを確認し、捜索部隊は行動を開始した。
探索者豆知識5:祝福
神に仕える神官が扱う奇跡の業。
守護や治癒の効果を持つものが多く、遺物によって非常識かつ悲惨な目に遭わされることの多い探索者たちにとって無くてはならない存在。