イチオシレビューの場で酷評レビューを書くことについての俺個人の意見をぶちまけてやる
レビューとはいいものだ。
俺は面白い小説を探すとき、イチオシレビューを見たりする。
いろんな作者様の力作が読者達によっておススメされ、実際読んでみるととても楽しめる作品ばかりである。
それに、貰えると嬉しい。
俺が連載している小説に初めてレビューを貰えた日の感動は今でも忘れられない。
繰り返すが、レビューとはいいものだ。
だが、このレビューについて少しばかり思うことがある。
そう、酷評レビューだ。
イチオシレビューを見ていると時々見かける。
はっきり言おう。
不愉快だ。
酷評レビューなんて見て誰が得するのだ?
「こいつの作品こんなにクソだからみんな読むなよ〜w」ってか?
ふざけるな。
どんなに酷い出来であっても作品と作者には敬意を払え。
俺もスターウォーズのエピソード789は酷いと思っているが、製作陣を馬鹿にしたりはしない。
と、いうわけで。
今回は酷評レビューについて個人的に思うことをいくつか挙げてみようと思う。
あくまで個人的な意見なので、異論があることは承知の上である。
それでは行ってみよう。
①"イチオシ"レビュー
そう、なろうのレビューコーナーの名前はイチオシレビューだ。
イチオシとは最もオススメということで、つまりイチオシレビューとは読んだ作品を作品を「これめっちゃおもろいからオススメやで」と他人にオススメすることだ。
そんな場で、その作品や作者を侮辱したりこき下ろしたりするのはどうかと思うのだ。
イチオシレビューは俺みたいに面白い作品を読もうと思って見ている者が大半だろう。
面白い作品を読もうと思ってイチオシレビューを見ている中で、作品をボロクソに言っているレビューを見たら不愉快でしかないのだ。
書店で例えよう。
本棚にずらりと並ぶ本。
読者の感想や有名人のオススメする言葉が書かれたカードが本の前に置かれていたりするだろう。
そんな中で、その本をボロクソに言っているカードがあったらどう思う?
買おうと思わんだろう。
つまり、酷評レビューというものは"イチオシ"から最も程遠い存在であるということだ。
②レビューで指摘する必要あるか?
酷評レビューを書く者はこう言うのだろう。
「いや、この作品を読んでみた上で、ここがダメやと思ったから指摘してやっとるんや。レビュー書いてやっとるだけ感謝しろや」
いやいや、そうじゃない。
レビューで指摘なんて間違っていると思わんのか?
指摘するなら感想とかじゃねーのか?
レビューっていろんな人が見てるんだ。
レビューによる指摘はただの晒し上げ行為でしかない。
すると何か?
渋谷の交差点で悪口書いたプラカード掲げて「こいつのここがダメです! 直すべきですよね?」って叫ぶのか?
普通はやらんだろう。
普通は。
③作品及び作者への敬意が足りない
とにかく敬意を払え。
最初の方にも述べたことだが、これに尽きるだろう。
酷評をするならするで、作品や作者に敬意を払い、改善点を述べてこそだろう。
でも彼らはそれをしない。
こういう者は読者に敬意を払えとは叫ぶくせに、作品や作者には全くと言っていいほど敬意を払わない。
だからこそ酷評レビューなどというものに手を染めてしまうのかもしれない。
考えてみろ。
あんたが読んでいる小説は、作者が日々努力し、自分の頭で長い時間をかけて作り上げた結晶だ。
例えどんな駄作でもだ。
酷評レビューを書く奴にはわからないかもしれないが、小説を書くのは思っている以上に難しい。
そんな努力の結晶にいきなり豪速球のストレートで石を投げられてみろ。
傷ついたり怒らない作者がどこにいる。
喜ぶのはドMくらいだ。
④最後に
個人的には酷評レビューなんて書いてほしくないと思うし、書くだけ無駄だと思う。
誰も幸せにならないし。
まあ、書くなと強制するわけではないがね。
あと、俺は酷評や指摘は大歓迎だ(酷評レビューは周りが不愉快になるので許可しない。書くなら感想で)。
好きに書いてくれ。
俺自身、至らないところが多いから。
ただ、あまりにおかしいことを書いている場合は容赦なく反撃させてもらう。
OK?
【追記】
俺はあくまで酷評レビューをイチオシレビューの場で書くことについての不満を言っているわけで、酷評をするなと言っているわけではないです。
【追追記】
感想で指摘してくださった方によると、規約違反なんだそうです、酷評レビュー。
あれまー、もうちょっと強めに書くべきだったかな。
他人に甘かったかもしれねェ……。
それと、俺がチキンってのもある笑。
毅然とした対応をするべきですな、酷評レビューに対しては。