基礎練の鬼
愛称について追記あり。
気になる方はご覧下さい。
気にしない人は、そういうもの、とスルーしてください。
高名な魔術公のご子息、ドミートリイ・イワノヴィチ・エロシェンコとのお見合いが整った。格上貴族のお屋敷に萎縮しながら到着したのは、漆黒の巻き毛に黒曜石の瞳、見目麗しき女武者、槍術侯が第三子のアレクサンドラ・アンドレエヴナ=ニジンスカヤだ。
見えない何処かから、しゃしゃしゃっという音が響いて来る。鋭利な刃物で何か堅いものを削っているようだ。
アレクサンドラ・アンドレエヴナに付き添ってきた長兄ウラジーミル・アンドレエフ=ニジンスキーと両親は、片眉を上げてやり過ごす。
しかし、お転婆娘サーシェンカは黒い巻き毛をすらりと伸びた背中に揺らして、きょろりきょろりと音源を探してしまう。だが、温度の無い瞳の動きをした母に無言で窘められて、そわそわしながらも前を向く。
豪華な応接室に通される。外国産の珍しいカバーが掛かった重厚な長椅子を勧められ、精緻な絵付けの茶器と彫刻が麗しい銀の卓上給湯器に圧倒される。
酸味の強いバラのジャムと共に供された香り高い紅茶も、気後れして無味無臭に感じられる。
やがて、上背のある鼻筋の通った青年が、痩せぎすの老夫婦に伴われて入ってきた。老父の白髪に残る茶色い直髪と、老母の鋭い濃紫の眼を受け継いだ精悍な面立ちである。
ニジンスキー一家は立ち上がる。
老人が手で座るように促し、家主側の3人と共にニジンスキー家の4人も腰を下ろす。
簡単な挨拶が済み、お茶も終わる。後は若いお二人で、となった。両親同士は、つい最近意気投合した趣味仲間である。むしろ若い2人が邪魔物として追い出された疑惑すらあった。
「こいつは魔術ばかりで、つまらん」
現役魔術公当人が、遅く出来た一粒種の息子を捕まえて悪口を言う。息子は顔を顰めた。
「気が利かないわねえ。早くお庭にお連れなさいな」
母も息子を追い出しに掛かる。
「此方へどうぞ」
仕方なくご令嬢を庭へと誘うミーチカ青年。サーシェンカ嬢はびくびく従う。武人の覇気は魔人の闘気に劣るのだ。圧倒的な実力差を前にして、女武者は縮み上がっていた。
「はい」
それでも応えを絞りだし、魔力揺らめく大男について行く。体格は曾祖父に似たのだと聞いた。そんなどうでもよいことを思い返して気を紛らわせながら、立派な絨毯が敷き詰められた長い廊下を歩いて行った。
重たい鉄の扉を開くと、凄まじい冷気が室内に流れ込む。思わず降ろした瞼をそろりと上げると、何か得体の知れない物が林立していた。庭と言うからには、薔薇でも咲いているかと思いきや。これは一体何なのか。
「鍛練はお好きですか」
ミーチカ青年が、大男らしい深い声で尋ねる。
「ええ」
半ば呆然としながら答えを口にするサーシャ嬢。武家とはいえ、格上の貴族家とお見合い中の会話としては、如何なものか。しかし、サーシャの中に辛うじて漂っていた母から施された淑女教育など、最早冷気に当てられ砕け散った。
「そうですか、そうですか!」
対するミーチカの顔は場違いなほど晴れやかに輝いた。
「ここは修練場ですか?」
おそるおそる聞くサーシャを見て、ミーチカは嬉しそうに言った。
「はい!魔力の操作を練習しています!」
魔力の操作は、魔術の才能を見いだされた幼子が初年度に行う修練だ。お見合いをする年頃になってまで練習に打ち込む魔術の徒は少ない。
「基礎は裏切りません!積み重ねるうちに、いつの間にか上達しているのです!ご存知でしょう?」
それを聞いたサーシャも、急に元気な声を出す。
「はいっ!昨日よりは今日。今日よりは明日!より細やかで滑らかな、そして強力な動きが可能となるのですよね!」
「はい!」
「ですが、1日休めば自分が気付き、2日休めば仲間が気付き、3日休めば見物人まで気付きます」
「ええ、3日の遅れは取り戻すのに3ヶ月はかかるでしょう」
「日々を新たに、初心忘るな」
「そうです!その通りです!」
「あら、でも今日は、愛槍を持参しておりませんわ」
残念そうなサーシャの手を愛おしそうに包んだミーチカは、はっとする。
「なんと!ああ、アレクサンドラ、サーシャ、サーシェンカ、ああ、俺の理想のシューラチカ!!」
「まあ」
情熱的な求愛に、流石のお転婆サーシャ嬢も頬を染める。
「ねえ、シューラチカ、君の魔力は素晴らしい!嵐のように渦巻いて、俺の氷を巻き上げる!」
「まりょく?あたしに?」
ついに淑女の総てを手離して、サーシャはまじまじと濃紫の瞳を見詰める。
「そうだよ!さあ、試してみよう」
そう言うと、ミーチカは片手を離して謎の物体に近づく。もう片方の手は、優しくサーシェンカの指に絡めてくる。
よく見れば、それら謎の物体は総て巨大な氷の塊であった。それぞれが、四角や丸や何かの形に削られている。
魔物やユニコーン、牛や山羊等の突き出た角は辛うじてその鋭利な姿を残している。
春の柔らかな陽射しのなかで、溶け始めた表面が氷の冷気でまた固まり、異様な風体を造り出しているのだ。
そうした氷像擬きの1つを選び、ミーチカはサーシェンカの手を導き、氷の表面に翳す。
「掌から風をだしてごらん」
いきなりである。
しかし、サーシャは武姫だった。
発勁のイメージに吹き荒ぶ冬の嵐を乗せてみる。
しゃっ。
氷の塊が鋭く抉れた。
若い2人は喜びに見開いた眼を会わせ、流れるように口付けを交わしたのだった。
ニジンスキーもエロシェンコも、実在の有名人の名字だよ!あと愛称も実在です。
おんなのこ家名は、ニジンスカヤ、エロシェンカ。
家名男姓(誤字ではない)のところありました。なおしました。なんという凡ミス(^^;
●愛称について。
質問があり追記します。
基本的には名前の一部を採用します。
いろんな切り取り方をするので、日本人としては「そこ⁉︎」と戸惑う事も多々あります。
また、チカ、シャ、シェンカなどは「〜ちゃん」の意味で、Aさんから Bさんへの愛称も、固定してはいないで変化しますが、感覚としては、ヴァリエーションは全部一緒です。
ニコライ•ニコラのコーコーやコーシュカ、アレクサンドル•アレクサンドラのサーシャやシューリ•シューラ、ドミートリーのミーシカやミーチャは日本人には想像つかない愛称でしょうか。私は最初びっくりしました。
綴りをみると納得なんですが。
お読み下さりありがとうございました。