怒っている人について
抗がん剤治療前に、毎回採血をして、先生が抗がん剤点滴をしてもいいかの判断をします。
私が採血を待っている時と、先生の診察を待っている時、大声で怒っている人がいました。同じ人です。
聞きたくなくても声が大きいので丸聞こえでした。
怒らなくても言える内容を怒鳴っています。つじつまはいまいち合っていません。もう帰る、と言いながら、デンと座ったままです。
怒りたい。
怒鳴りたい。
そのための材料をあちこちから引っ張りだしている印象でした。ご本人は私と同じでおそらく抗がん剤治療中。
体が辛いという訴えが、怒りと怒りの間に一度はさまれました。これが怒りの源なんだなと私には感じられました。
以前、里山系の仕事をしている時、取引先の人から理不尽な怒りをぶつけられて困っていた時期があります。
私はその人の部下でもなんでもない。お客さんをその人に斡旋する、いってみればお客さん案内係みたいなものでした。ありがたがってもらえるものだと思っていたからこそ、その仕打ちが信じられないものでした。嫌な思い出なので、細かいやり取りを覚えていないのが嬉しいくらいの罵詈雑言、その人に電話をかけるのが苦痛でした。そう、電話のみでのやり取りだったから余計に、言葉=その人だったのです。
ある時、その人が病気になり、その人への電話業務がなくなりました。正直、ヤッター万歳ラリホーです。
それほどたたないうちに、亡くなったことを知らされます。
抗がん剤治療を待っていた人の言葉を聞いているうちに、私の仕事相手のことがありありと思い出されました。
二人は同じだったのではないか。
体の不調が怒りとなって、小さな刺激を受けるたびに、ドカーンと口から飛び出る。飛び出たものがどういう影響を与えるか考える余裕もないほどの不調です。
彼らほどではないと思いたいけれど、私も感情に任せてぎゃーぎゃーわめいてしまうことはあります。子どもに、夫に、あかんと思っても我慢できないことがある。他人事ではない分、身につまされつつも、それでもやっばり怒りの無差別放出はしてはいけないことですよね。
怒っている人の負のオーラは強烈で、浴びてしまうとダメージを食らいます。
しかしその人の怒りの元はその人自身にあるものだと考えながら浴びると、その人との距離が空いてダメージは激減する。激減してくれました。
自分に応用もできます。不調を自覚したら、不調と自分の距離が空いて、いたわりの気持ちが生まれるような気がします。
「アンガーマネジメント」で検索したら、素人の私のエッセイなど陳腐なものでしかないでしょうが、抗がん剤治療現場からは以上です。