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腐った林檎

作者: 中井田知久

「うんうん。そうだね。君の言うとおりだと思うよ。」

(2分沈黙)

「ところで、話は変わるけどいいかな。「腐った林檎」っていう話なんだけど。」

「そうだね。よく分からないかもしれない。でも、誰かに聞いて欲しくて。そして、君に

 は聞いて欲しいんだ。君はいつも僕に適切なアドバイスをくれる。」

「ありがとう。」

(1分沈黙)

「僕は自分の中に「腐った林檎」があるんじゃないかなと思ってきた。」

「え。比喩かって。いや、比喩でもない。実際に僕のそうだな。ちょうど両肺の間くらいにあるかな。」

「え。それは触れるかって。いや、触れない。それは、僕の中にあることは実感できるんだ。うん、そうだな。食べた肉が胃のなかに残っているという感覚と同じような感じかな。

 それでね。僕は子供の頃からうすうす何かあるなと感じてきたんだけど、2年程まえから林檎の形を取り出した。そしてね、何かの拍子でついた傷口から赤黒いじゅくじゅくしたものが流れ出しているんだ。そして、それは傷口からひどい臭気を放っているんだ。」

「どんな臭いかって。そうだな。とても人語に表せない。生ごみを3ヶ月ほどほって置いた臭いに似ているかもしれない。」

「ははは。生ごみを3ヶ月もほって置いたことがあるかって。いや、勿論ないよ。僕は、こう見ても綺麗好きだからね。すこし話がずれたね。でね、その臭いが自分で耐えられないんだ。それは、起きた瞬間から眠りに落ちる瞬間まで続くんだ。」

「そうだね。とても耐えられないよ。生活が灰色でね。そして、一番耐えられないのは人と会うときだ。僕はずっとその臭いが人に嗅がれないか、いつも不安に思っていた。そして、会っている人が何かの拍子に少しでも顔をしかめたら、僕は臭いに気付かれたと思って、顔に火がついたように恥かしかった。特に仕事に行く電車の中は苦痛でしかなかった。僕は、なるべく人気のない車両に乗り込んで、適当に間を開けて、体を小さくして座って寝た振りをしていた。」

「え。君の思い込みなんかじゃないのかって。そうだね、どうだろう。ある時、林檎の事を考えすぎて、抑うつになってしまった。とてもつらくてね。一日中、誰にも会わずにベッドに横たわっていた。今が朝か昼か夜かが分からないんだ。僕は、意を決して精神科に言って、「腐った林檎」ばかりが気になります。」と言った。医者は不思議そうな顔をして、坑不安剤を処方してくれた。薬のおかげで、気持ちは安定したけれど、林檎は腐ったままひどい臭気を発しているんだ。」

「そうだね。君は気付いていなかったかもしれない。いつも通りに酒を酌み交わして笑いあっていたからね。そのときから僕はあることに気付いた。だれもがそれぞれの林檎をもっているんじゃないかってね。そしてね、健全な林檎を持っている人は腐った林檎を持っている人の臭いなんかわからないんだって。それくらいから、僕は周りの人を見渡した。あ、この人の林檎はまともだ。あ、この人の林檎は腐りかけている。あ、この人の林檎は腐っている。とか、この人の林檎は腐って無くなってしまった。とかね。」

(1分沈黙)

「ん。じゃあ、腐った林檎を健全な林檎にするにはどうすればいいのかって。うん。僕もずっと考えた。考えた末に腐った部分を切り取ればいいんだという結論に僕は達した。結構簡単だったよ。切った瞬間はやっぱり痛かった。そして、切り落ちた林檎の腐った部分は生を持ったようにうようよと蠢いているんだ。僕は、それを生ごみと一緒に外に捨てた。僕は、嬉しくて、外を出歩いた。するとね、とても気持ちがいいんだ。空気が爽やかでね。まともな林檎を持つってこういうことだったのかと思った。そしてね、前はあれだけ気になっていた人の林檎が全然気にならないんだ。僕はもう林檎のことなんか気にしなくてもいいんだって思った。僕は何でも気にすることなく出来るようになった。」

「え。この話がハッピーエンドだって。そうだな。でも、話の続きがあるんだ。ちょっと待っていてくれないか。少しトイレに行ってくる。5分待っていてくれ。」

(5分電話の保留音)

「すまない。えっと、話はどこまでだったかな。この話がハッピーエンドだって事だったことかな。そうだな、でもね、すこしするとだんだん寂寥感に襲われるようになった。なんて言えばいいのかわからないんだけど、僕は林檎の腐った部分だけを気にしていた。それは僕にしては耐えられないことだったんだよ。


でもね、腐った部分も僕の一部だったんだよ。

 

するとね、急激に腐った林檎が恋しくなり始めた。僕は自分の半分を失った不安と恐怖に苛まれるようになった。前とは逆にね、夜が眠れなくなった。そして、頭の中ではずっと切り取ってうようよと蠢いていた腐った部分を思い出し続けた。そしてね、僕は自殺を考え出すようになった。いろいろと考えるんだ。マンションから飛び降りようか。ガス栓をあけようか。手首を切ってしまおうか。僕は本当に自殺の一歩手前まで行った。そしてね、マンションの屋上の手すりに足をかけたときに、僕の中の林檎がまた腐り始めたことに気付いたんだ。僕は嬉しくて嬉しくて涙を流し続けた。」

「話はこれで終わりなんだ」

(1分沈黙)

「うん。話を聞いてくれて有難う。うん。じゃあ、また。」

(ツー・ツー・ツー)


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