第23話 花に棘なく
「さぁ、来い、虫螻!」
僕の一声が虫型を誘き寄せる。廃墟と化した町に残響として木霊する自分の声が気色悪い。
虫型の羽音が徐々に大きくなる。どうにも虫の羽音というのは生理的に受け付けないらしい。痺れと怒りにより震えが棍の重心を歪ませる。僕はそれでも強く握ることを止めない。
節と節が擦り合うような音と共に毒針の生成が始まる。複眼には僕の姿が投影されているのだと思う。
僕は加速した。奴の視界の端から端を動き回ってやるのだ。特殊生物は必ず胸を狙撃する。だとすれば、狙われるのは静止した敵だ。
困惑する虫型。標的を捉えられずにいる。だが、準備がいいのか、毒針の射出の構えになっている。今飛び掛かれば、止む無く貫通される。僕は隙を伺う。
『制限時間、終了まで残り2分です』
虫型の目が赤く染まった。
「来やがった」
倍モード。
制限時間が2分を切ると、特殊生物の動作規制が解除され、より獰猛になる。僕らが機能死したモードだ。もう後に引けない。
僕は歩を止め、覚悟を決めた。やるしかない。
虫型は複眼をぎょろりと向け、触覚を天に向け、嘶いた。来る。身構える僕。狙いを定める射出口。笑う複眼。ニヤける口元、僕の、ね。
僕は棍の柄をできるだけ下に持ち、跳び上がる。
「何も策が無い程、僕は成長していなくないぞ!」
「復仇」。
威勢よく飛び出した黒い毒針は僕を目掛けて風を切る。轟音は僕の耳にも届いた。
「喰らえ、虫螻がぁぁぁあぁあ」
僕が振るった棍は毒針の頂点を捉えた。
カウルが僕に実演してくれたんだ。そういう意図でなかったとしても、僕はこれを身に付けないと!
毒針はその場で砕け散った。弾き返ることなく粉々に。
「なんで――」
虫型の羽音がすぐ近くに聞こえた。僕の鼻先に射出口が見えた。死ぬ。
『防衛カウント:3 メニュー画面へ移動します』
町は白く染まり、僕の手の痺れは消えていた。頬に飛び散っていたはずの液体も拭い去られていた。僕は下手な着地をし、尻餅をついた。棍がカランと冷たい床に転がる。
「――だ」
呆然と僕は何もない白を眺めた。
「やるじゃないか」
僕の近くにピンピンしたリヴ先生がいつもより少し明るい顔で立っていた。毒針に因る傷は疾くに癒えているようだった。
「いえ、僕は何も」
「謙遜するな。ところで最後だが、『復仇』を撃とうとしたな?」
リヴ先生にはバレていた。僕はあんな上級な技を試みたことが自棄に恥ずかしくなり両手を顔の前で振ってみせた。
「いえ、あれはカウルが、って言うか、真似をしてみたくなったと言うか」
リヴ先生は棍で僕の頭を軽く叩いた。
「あの場面での『復仇』はよくない。リスクが大きすぎる。『復仇』は攻撃技だ。防衛カウントをしている場合には向かないぞ」
「はい」
「だが、自分の身を3度防衛することはできたようだから、今日の補習はこれくらいで勘弁しておいてやる」
リヴ先生は棍を背中に背負うと、シミュレーション室の扉へと向かい歩き出した。
「え、僕は2回しか――」
「何の話をしている? 補習が終わったならさっさと帰れ。鍵を閉めるぞ?」
「え? ちょっ」
僕は急いで棍を拾い、リヴ先生のいる扉に向かって走った。
『シャットダウンしています。しばらくお待ちください』
照明の落ちたシミュレーション室には優しさが残っていた。
第23話 花には棘なく




