ガラス細工の心
担任の先生は元パティシエである。
製菓学校だからもちろんではあるが……
パティシエとしての技術は一流だ。しかし、先生としての技量は……
箱根研修の保養所には露天風呂がある。
俺と先生は二人っきりで体を洗っていた。
「いやー! 本当に助かったよ、甲賀君! ……やる事多すぎだよね。あ、俺みたいアニメがあるからもう出るね!」
三十路独身のチョイヲタの先生は身体を適当に洗い流して、足早と風呂を出ていった。
「はぁ……」
俺はため息を吐いた。
今日の夕飯は簡単なパスタが出されたが、明日の夜はフレンチのコース仕立てで提供される。そして、研修というだけあって、特製石窯を使って、パンを焼いたり、ケーキを作ったりする。
先生は裏方作業で忙殺される。
仕込み、買い出し、計量、器材準備、生徒が夜ふかししないように見回り……
俺は夕食後ずっと先生の手伝いをしていた。
おかげで俺は露天風呂を独占することが出来た……
「ふぅ……儂は満足なのじゃ……生き返る気分じゃ」
裸の少女姿の呪いが俺の隣でくつろいでいる。
……ロリコンじゃないからいいけど……いや、こいつは本当に女なのか? ていうか呪いだよな?
俺もタオルを頭の上に乗せて湯船に肩を鎮める。
「……はぁ……確かに心が洗われるな……」
昼間は色々な事が多すぎだ。
まさか玲子が一時的にでも記憶を取り戻すなんて……以後注意して観察しよう。
完全に取り戻した瞬間俺はどうする? 取り戻す前にいなくならなきゃいけない?
玲子の事を考えると、少し笑ってしまった。
「うん、どうしたのじゃ?」
「ん? 昼間の事を思い出していてな……恥ずかしいくせに俺の裾をずっと掴んでいて、それを委員長に見咎められたり、楓にからかわれたり……突き放す口調のくせに、意外と素直だったり……玲子は可愛いな、ってね」
呪いは足をバタバタさせて身悶えていた。
「むっきー!? 惚気なのじゃ! うざいのじゃ! もっと儂をかまうのじゃ!」
「はは、誰もいない場所だったら、これくらいいいだろ? じゃないと俺はストレスでハゲるぞ!」
――そう、別にいいだろ? 俺、頑張って我慢したんだからさ!
「ふふ、玲子の可愛さを語ったら夜が空けるぞ。……聞きたいか?」
「いやなのじゃ! ……でも主が意外と元気そうで良かったのじゃ……わ、儂が気合を入れて肌を晒したかいがあったのう。……よしよし」
呪いが俺の方に向き直って、頭を撫でてくれた。
裸の少女に頭を撫でられている俺……うん、ヤバい人だな。
「……なんだそれ。お前呪いだろ? 人に優しくしていいのかよ?」
「バカチンが。儂は人に優しくしてるのではなく、正樹に優しくしてるのじゃ! 他の人はどうでもいいのじゃ!」
――衝撃だ。コイツにこんな感情があるとは……
「……ありがとな」
「へへ、良かったのじゃ!」
呪いはバカみたいな笑顔を俺にくれた。
――よし、俺はこのまま玲子に対して鈍感なフリを続けよう。
――まだ大丈夫なはず……
――まだ時間はあるはず……
こうして、俺は部屋に戻ると、同室の田中君が女の子を部屋に連れ込んで楽しそうに喋っていた。
俺は二人を叩き出してゆっくり眠ることにした。
箱根の街は意外と交通量が多い。
車が常に渋滞していたり、峠をイキって走る車やバイクを頻繁に見かける。
行き交う車に気を付けながら、俺たち天童班は箱根ガラスの森林美術館へたどり着いた。
ここは美術館だけでは無く、ガラス作りの体験やコンサートのイベントがあり、一日いても楽しめるところだ。
と、委員長が俺たちに偉そうに説明していた。
「とういわけで、ガラス作らないか? 私は楽しみだ!」
「おい、委員長、なんかキャラ変わってないか?」
「……ああ、クラスではどうしても優等生キャラを演じてしまうが元々こんな性格だ。ふふ、改めてよろしく、正樹君! あ、委員長って呼ばないでいいぞ。雫って呼んでくれ」
「あ、ああ、よ、よろしく雫……」
――俺は委員長の性格を読み間違えたのか!? なんだこの武闘派的なキャラは……まあ、引っ込み思案な玲子と丁度いいか……
玲子は今日も俺のシャツの裾を握っている。
心なしか昨日よりも距離が近い……
楓が俺に向かってヒップアタックをしてきた。
「ちょっと、二人でいちゃつかないでよ! 私が寂しいじゃん! ……ていうかそんなに仲良かったっけ、玲子ちゃんと正樹って?」
「「仲良くない!」」
俺と玲子は奇しくもハモってしまった。
玲子は俺の顔を見て赤くなって、そっぽを向く。
俺は頭をかいてごまかした。
「はは……あれっしょ? 初めて喋った奴だから刷り込み的な何か?」
楓は俺の様子を見て、なぜか機嫌が良さそうだった。
「はいはい、早く行きましょ! ガラス作るの超楽しみ!」
楓は健康的な素足で、森林美術館まで走り出した。
「あ、こら、楓! 私が一番だぞ!」
雫……委員長も走り出した!
俺と玲子は顔を見合わせた。
お互い呆れた顔をしていた。
「ぷぷ……二人とも子供なんだから……ほらほら正樹、早く行くよ。……あ、わ、私はそ、そんなに楽しみになんかしてないんだからね!」
――超ソワソワしてるじゃん!
「はいはい、走ると転ぶからゆっくり行くぞ?」
「う、うん」
俺と玲子はゆっくりと歩きだした。
裾を掴んでいた玲子の手が、俺の長袖のシャツの袖を掴み直した。
まるで手をつないでいるみたいだ。
俺は気づかないふりをする。
――うん、これくらいならきっと大丈夫。
(――そうなのじゃ。主はもう頑張ったのじゃ。もう少し自分に甘くなってもいいのじゃ……あ!? またじゃ? この感覚……)
――ん、どうした?
(――うむ……もう少し様子を見て、はっきりしたら教えるのじゃ……今はまだ確信が持てないのじゃ……)
――そうか。
委員長と楓が遠くから俺たちを呼んでいる。
俺と玲子はそんな声を無視してゆっくりと歩いていった。
ガラス工房は……暑かった……
お菓子で習う飴細工と共通している部分が沢山ある。
これは非常に勉強になった。
俺が使う事はないと思うけど、玲子達にとっては大切な思い出になるだろう。
玲子が自分で作ったガラスの器をまじまじと眺めている。
その顔は真剣だ。
思わず声をかけてしまった。
「……玲子ちゃんって実はこういうの得意なの? 正直、俺達の中で一番綺麗に完成したよね?」
玲子はハッとした顔で俺を見た。
「……わ、わからない。……でも、細工物は嫌いじゃない」
ガタガタのガラスの器を持った委員長が玲子に抱きついた。
「玲子! 凄いな! 私のなんかこんなにブサイクなのに! 私は誇らしいぞ!」
――なんだ。ちゃんと本当の友達になってきたじゃん。テコ入れ必要ないね。
楓は少しもじもじしながら俺の脇腹を突いてきた。
「……ちょっと、私の作品は評価してくれないの? 玲子ちゃんばっかりずるいよ」
言葉とは裏腹に清々しさを感じられる。
――もしかして一緒に旅行に来れた気分だからかな?
「うーん、楓の作品も悪くないけど、やっぱり玲子ちゃんの方が凄いな!」
「ま、そうね。私もそう思うしね……ていうか正樹! あんた大丈夫!? ――少し休む?」
――どうした? 俺は普通に喋っているだろ?
委員長と玲子も俺の事を心配そうに見ている。
楓なんて泣きそうな顔になっている。
俺は工房の鏡で自分の顔を見た。
そこには、泣き腫らした子供みたいな顔の俺が立っていた。
――な!?
なんでだ? 俺はみんなと距離と保ちながら楽しんでいたはずだ。
こんな顔をこいつらに見せられない……
どうして? どうして? どうして?
(――限界じゃよ……主は頑張ったのじゃ……主は……生きたいって思ってしまったのじゃろう……すまん……)
――違う! なんでお前が謝る! 全部俺が悪いんだ! だって楽しいと思ってしまった……こんな時間が続けばいいと思ってしまった! 俺がさっさと消えていればこんな事にならなかったのに! 俺が……俺が……
――あっ……
身体が柔らかい感触に包まれた。
と、同時に頬に強烈な痛みを感じた。
玲子が泣きながら俺を抱きしめてくれた。
楓が俺の頬を平手打ちして、そのまま玲子ごと俺を抱きしめていた。
玲子が抱きつきながら叫ぶ。
「――正樹君、絶対離さない! 二度と私の前から消えないで!!」
楓が弱々しい声で泣きじゃくる。
「ほんとバカ……あんたはバカよ……無理しているの分かるわよ……あんたの事嫌いになれるわけないでしょ! 泣いていいからさ……ていうか泣きなさいよ……バカ……」
俺の心の壁はいともたやすく破壊された。
「…………う…………うぅ……ぁぁぁぁ!!!!!!!」
今は子供の様に泣きじゃくる事しか出来なかった。




